ヴィクトワールピサ
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| ヴィクトワールピサ | |||||||||||||||||||||
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2010年4月18日 中山競馬場 | |||||||||||||||||||||
| 欧字表記 | Victoire Pisa | ||||||||||||||||||||
| 香港表記 | 比薩勝駒 | ||||||||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド | ||||||||||||||||||||
| 性別 | 牡 | ||||||||||||||||||||
| 毛色 | 黒鹿毛 | ||||||||||||||||||||
| 生誕 | 2007年3月31日 | ||||||||||||||||||||
| 登録日 | 2009年5月6日 | ||||||||||||||||||||
| 抹消日 | 2012年1月15日[1] | ||||||||||||||||||||
| 父 | ネオユニヴァース | ||||||||||||||||||||
| 母 | ホワイトウォーターアフェア | ||||||||||||||||||||
| 母の父 | Machiavellian | ||||||||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | 社台ファーム | ||||||||||||||||||||
| 馬主 | 市川義美・吉田照哉 | ||||||||||||||||||||
| 調教師 | 角居勝彦(栗東) | ||||||||||||||||||||
| 調教助手 | 松田全史[2] | ||||||||||||||||||||
| 厩務員 | 瀧川清史[2] | ||||||||||||||||||||
| 競走成績 | |||||||||||||||||||||
| タイトル |
JRA賞最優秀3歳牡馬(2010年) JRA賞最優秀4歳以上牡馬(2011年) | ||||||||||||||||||||
| 生涯成績 |
15戦8勝 中央:12戦7勝 海外:3戦1勝 | ||||||||||||||||||||
| 獲得賞金 |
10億8504万500円[1] 中央:5億9595万4000円 海外:4億8908万6500円 | ||||||||||||||||||||
| WTR |
L121 / 2010年[3] M122 - I122 / 2011年[4] | ||||||||||||||||||||
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ヴィクトワールピサ(欧字名:Victoire Pisa、2007年3月31日 - )は、日本の競走馬・種牡馬。主な勝ち鞍は2010年の皐月賞、有馬記念、2011年のドバイワールドカップ[5]。
馬名の意味は「勝利の山」(フランス語)に冠名[1]。日本馬として史上初めてドバイワールドカップに優勝した[6]。引退後は種牡馬となり、日本国内で9年間供用された後、トルコに輸出された[7]。2026年現在、トルコで種牡馬生活を送っている[8][9][10]。
2歳 (2009年)

2009年10月25日、ヴィクトワールピサは京都の新馬戦で競走馬としてデビューした。レースは1番人気に支持されるがローズキングダムを差し切れず2着に敗れ、中1週で同競馬場の未勝利戦に出走して初勝利を挙げた。続く11月28日の京都2歳ステークスは直線で先頭に立ってそのまま押し切り、2勝目を挙げる。そして12月26日のラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは後方から徐々に順位を上げ、逃げるコスモファントムをクビ差で差し切り、3連勝で重賞制覇を果たした。
3歳 (2010年)
3歳となったヴィクトワールピサの初戦には、2010年3月7日の弥生賞が選ばれた。レースでは馬群の中ほどに控え、直線詰まり気味になりながらも残り100メートルほどでエイシンアポロンを捉えて優勝した。
しかし、デビューから騎乗していた武豊が3月27日の毎日杯での落馬事故で負傷したため、4月18日の皐月賞では岩田康誠に乗り替わりとなった。その皐月賞では、前年度JRA賞最優秀2歳牡馬のローズキングダムを抑えて1番人気に推される。レースでは後方の内に控え、直線もそのまま最内から抜け出して優勝した。この勝利は父・ネオユニヴァースとの父子2代の皐月賞優勝でもあった。
管理調教師の角居勝彦は、この勝利から前年まで厩舎の看板であったウオッカの後継馬へと期待を膨らませ[11]、凱旋門賞への一次登録を行った[12]。しかし、5月30日の第77回東京優駿も1番人気に支持されるが、先に抜け出したエイシンフラッシュ、ローズキングダムを交わすことができず3着に敗れた。
6月26日、角居からヴィクトワールピサの凱旋門賞挑戦が発表された[13]。この遠征は日本調教馬が3歳で凱旋門賞に挑戦する初めてのケースである[13]。8月19日(日本時間)、ヴィクトワールピサは帯同馬のピサノヴァロンとともにアムステルダム経由でフランス入りした[14]。フランス入り後はシャンティイ調教場で調教を重ね、まずプレップレースとして9月12日のニエル賞 (G2) に出走した。レースでは中団のやや後ろを追走し、直線で懸命に追い上げてくるも残り200メートル付近で脚が止まり4着に敗れた。続く凱旋門賞では直線入り口での位置取りが絶望的だったため、確かな脚を見せたが、勝ったワークフォースから8馬身以上離れた[15]7着[註 1]に終わった。

帰国後の初戦は11月28日のジャパンカップを選択した。主戦騎手の武豊がローズキングダムに騎乗することが決まっていたため、鞍上はマキシム・ギュイヨンに乗り替わった。当初、騎手はミルコ・デムーロに乗り替わることが発表されていたが、デムーロがオーナーと騎乗契約を結んでいるヴォワライシに騎乗するため直前に変更された[16]。レースは2番手グループで流れに乗ると直線ではローズキングダムとの激しい争いとなり、ハナ差でローズキングダムに交わされて3着となった。 騎手がミルコ・デムーロに交代した12月26日の有馬記念では、4、5番手追走から早めに先頭へ立ち[17]、追い込んできた1番人気のブエナビスタをハナ差振り切って優勝した。写真判定の結果が出るとデムーロは感極まって涙を流した[17]。なお、同年にGI競走を制していたため、報奨金3000万円も獲得した。そして、有馬記念でこの年の3歳馬唯一のG1競走2勝を挙げたことにより、JRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。
4歳 (2011年)
2月4日(日本時間)、ブエナビスタ、のちにトランセンドとともにドバイワールドカップに選出され、招待を受諾したと発表した[18]。そのドバイワールドカップに向けた前哨戦として、中山記念に出走。道中はやや後方を追走するも、4コーナー近くから一気に大外を回って進出。直線では他馬を突き放し、4歳初戦を勝利した。
そして迎えた3月26日のドバイワールドカップ。スタートでは行き脚がつかず、最後方からの競馬となるが、向正面で一気に進出し、逃げるトランセンドの外側の2番手につけた。そして直線残り300メートル付近で先頭に立つとそのまま押し切り、日本馬では初めてドバイワールドカップに優勝した[19][20]。鞍上のデムーロは初参戦にして初勝利。勝利後はインタビューの途中、馬上で涙を見せる場面もあった。レース後の会見で、オーナーの市川は次走を香港のクイーンエリザベス2世カップにすることを明言した。また、秋は前年に引き続き凱旋門賞へ向かうことをデムーロが強く促した[21]。
その後ドバイから香港へ移動し、クイーンエリザベス2世カップ出走に向けて調整されていたが、右後肢に軽度の跛行が生じたため、同レースを回避した[22]。4月27日にいったん日本に帰国[23]。秋のローテーションについては、アイリッシュチャンピオンステークスから凱旋門賞に出走するプランとなっていたが、のちにフォワ賞から凱旋門賞に出走するプランに変更[註 2]。さらに、その凱旋門賞で勝利した場合は引退して種牡馬入りし、敗れた場合はジャパンカップに出走する予定であるとオーナーの市川が発表した[24]。しかしレースに向け、8月10日に現地に到着し[25]調整を行っていたが、13日に行った調教後に左後肢の跛行が生じ、また左飛節に炎症があることがわかり、5週間程度の安静が必要との診断を受けたことからフォワ賞と凱旋門賞への出走を取りやめた[26]。

その後11月27日のジャパンカップで復帰したが終始後方のまま13着に敗れ、連覇をかけて挑んだ有馬記念は2番手追走も、直線で一杯になり8着に敗れた。結局この年のGI勝利はドバイワールドカップの1勝のみに終わったが、天皇賞(秋)に優勝しジャパンカップでも好走したトーセンジョーダンとの接戦を制し、JRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出された[27]。有馬記念直後の2011年12月27日に引退が決まり、2012年1月15日に京都競馬場で引退式を行って同日付で競走馬登録を抹消した[28]。
なお、ヴィクトワールピサの出走シーン(2011年)は2012年の日本中央競馬会「近代競馬150周年テレビCM〜「次の夢へ」〜」(30秒版・60秒版)に使用されている。
種牡馬時代
総額12億円のシンジケートが設定されて種牡馬となり、2012年1月19日に北海道安平町の社台スタリオンステーションにスタッドインした[29]。初年度の種付料は350万円(受胎確認後支払い、フリーリターン特約あり)[30]。
初年度産駒は2015年にデビュー[31]。2歳時には中央競馬の出走頭数62頭のうち勝ち上がりは15頭に留まり、2勝以上を挙げる産駒が1頭も出なかったが[32]、そのうちの1頭で2歳時には1戦1勝だったジュエラーが3歳を迎えた2016年にシンザン記念2着、チューリップ賞2着から桜花賞を制し、産駒の初重賞および初GI勝利となった。この時の鞍上は父ヴィクトワールピサに有馬記念とドバイワールドカップの冠をもたらしたミルコ・デムーロであった[33][34]。
2016年にデビューした2年目の産駒からは、3歳になった2017年にファルコンステークスを制したコウソクストレート、ドイツでデビューしG3バイエルンクラシック(バヴァーリアンクラシック)を制したウォーリングステイツ(Warring States)を輩出したが、アーニングインデックス(AEI)が1.0に満たない成績に終わり[35]、 2017年12月3日、社台スタリオンステーションからブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動し、種付け料は200万円(フリーリターン特約あり)に低下した[36]。2018年から2020年にかけて、社台スタリオンステーション供用時代の産駒からウィクトーリア(2019年フローラステークス)ら5頭の中央重賞・ダートグレード競走の勝ち馬が出たが、ジュエラーに続くG1勝利を挙げられず、サイアーランキングも2019年の15位(中央14位)が最高順位だった[35]。
2020年12月22日、トルコジョッキークラブが購買してトルコで種牡馬入りすることが発表され[37][38]、2021年2月に同時に購買されたクルーガーと一緒に同国でスタッドインした[39]。
2021年シーズンはブルサ県のカラジャベイスタッドで供用され、種付け料は20,000トルコリラ(約28万円。レートは種付け料発表時点のもの)[40]。トルコにおける産駒は2024年にデビューし、3歳になった2025年にはトルコの3歳最強馬を決めるガジ賞(ガジダービー)で1着と2着に入るなど良好な成績を収め[41]、2世代のみでサラブレッド種の種牡馬リーディング2位となった[42]。2026年の種付け料はトルコジョッキークラブ所有種牡馬の中で最高額の600,000トルコリラ(約220万円)まで上昇したが[43]、120頭の種付募集枠に255頭の牝馬から申し込みが入る人気となった[44]。
供用場所は毎年移動しており、2026年シーズンはカラジャベイスタッドで供用される[43]。当シーズンは2月のシーズン開始当初に体調を崩して種付けを休止したが、治療を受けて3月から再開している[9]。
年度別種付け頭数
| 年度 | 繋養地 | 頭数 |
|---|---|---|
| 2012 | 社台SS | 150 |
| 2013 | 〃 | 149 |
| 2014 | 〃 | 132 |
| 2015 | 〃 | 163 |
| 2016 | 〃 | 158 |
| 2017 | 〃 | 125 |
| 2018 | ブリーダーズSS | 60[45] |
| 2019 | 〃 | 104 |
| 2020 | 〃 | 64[46] |
| 2021 | カラジャベイPS | 108[47] |
| 2022 | シリヴリ種馬場 | 91[48] |
| 2023 | トルバル種馬場 | 74[49] |
| 2024 | カラジャベイPS | 54[50] |
| 2025 | イズミト種馬場 | 110[51] |
| 2026 | カラジャベイPS | [43] |
主な産駒
太字はGI級競走(国内限定格付けを含む)、競走名の前の国旗は開催国。
GI級競走優勝馬
- ジュエラー(2013年産)
- 2022年産
- クサ / Cutha(
2025年ガジ賞(ガジダービー)、
2025年テンデュレク賞)[52] - ブーンナム / Boon Nam(
2025年クスラック賞(トルコオークス))[53]
- クサ / Cutha(
グレード制重賞優勝馬
- 2014年産
- 2015年産
- 2016年産
- 2018年産
- 2022年産
地方重賞優勝馬
- 2014年産
- イスタナ(2016年ライデンリーダー記念)
- コスモメソッド(2017年大観峰賞)
- 2017年産
- 2018年産
- ブライトフラッグ(2020年ブリーダーズゴールドジュニアカップ)