マイク・マダックス

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生年月日 (1961-08-27) 1961年8月27日(64歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
180 lb =約81.6 kg
マイク・マダックス
Mike Maddux
ロサンゼルス・エンゼルス コーチ #88
セントルイス・カージナルスでのコーチ時代
(2018年9月11日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州モンゴメリー郡デイトン
生年月日 (1961-08-27) 1961年8月27日(64歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 MLBドラフト5巡目
初出場 1986年6月3日
最終出場 2000年7月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

マイケル・オースリー・マダックスMichael Ausley Maddux, 1961年8月27日 - )はアメリカ合衆国オハイオ州モンゴメリー郡デイトン出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。右投左打。現在は、MLBロサンゼルス・エンゼルスの投手コーチを務める。

実弟は元プロ野球選手のグレッグ・マダックス

プロ入り前

1979年MLBドラフト36巡目(全体838位)でシンシナティ・レッズから指名されたが、テキサス大学エルパソ校英語版へ進学した。

プロ入りとフィリーズ時代

1982年MLBドラフト5巡目(全体119位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、6月21日に契約した。契約後、傘下のA-級ベンド・フィリーズ英語版でプロデビュー。11試合(先発10試合)に登板して3勝6敗、防御率3.99、59奪三振を記録した。

1983年はA級スパルタンバーグ・スピナーズ英語版、A+級ペニンシュラ・パイロッツ、AA級レディング・フィリーズでプレー。A+級ペニンシュラでは14試合に先発登板して8勝4敗、防御率3.62、78奪三振を記録した。

1984年はAA級レディングとAAA級ポートランド・ビーバーズでプレー。AAA級ポートランドでは8試合に先発登板して2勝4敗、防御率5.84、22奪三振を記録した。

1985年はAAA級ポートランドでプレーし、27試合(先発26試合)に登板して9勝12敗、防御率5.31、96奪三振を記録した。

1986年はAAA級ポートランドで開幕を迎え、6月にメジャーへ初昇格した。6月3日のロサンゼルス・ドジャース戦で先発起用されメジャーデビュー。初回から4失点を失い、2回にも1失点し、2回1死で降板した。この日は5安打5失点2四球と抑えられず、メジャー初黒星を喫した[1]。この年は16試合に先発登板して3勝7敗、防御率5.42、44奪三振を記録した。

1987年はAAA級メイン・ガイズで開幕を迎え、8月にメジャーへ昇格した。昇格後2試合は先発として登板していたが、3度目の登板となった9月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦からリリーフに転向した。この年は7試合(先発2試合)に登板して2勝0敗、防御率2.65、15奪三振を記録した。

1988年はリリーフとして開幕ロースター入りし、5試合に登板後、4月にAAA級メインへ降格した。6月に先発としてメジャーへ再昇格したが、8月下旬から再びリリーフに転向した。この年は25試合(先発11試合)に登板して4勝3敗、防御率3.76、59奪三振を記録した。

1989年はリリーフとして開幕を迎え4月29日のシンシナティ・レッズ戦から先発に転向した。同試合では9回を2安打無失点1四球4奪三振に抑え、メジャー初完封を記録した[2]。この年は16試合(先発4試合)に登板して1勝3敗1セーブ、防御率5.15、26奪三振を記録した。オフの11月20日に自由契約となった。

ドジャース時代

1989年12月21日にドジャースと契約を結んだ。

1990年は傘下のAAA級アルバカーキ・デュークスで開幕を迎え、5月にメジャーへ昇格した。昇格後はリリーフとして9試合に登板していたが、防御率4.15と結果を残していないまま、6月から先発に転向した。6月6日のアトランタ・ブレーブス戦では3回2失点で降板し、2度目の先発となった12日のヒューストン・アストロズ戦では5安打5失点で1死しか取れず降板し[3]、AAA級アルバカーキへ降格した。この年は11試合(先発2試合)に登板して0勝1敗、防御率6.53、11奪三振を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月15日にFAとなった。

パドレス時代

1991年3月30日にサンディエゴ・パドレスと契約を結んだ。開幕後はリリーフに定着し、自己最多でチームトップタイの64試合(先発1試合)に登板した。7勝2敗5セーブ、防御率2.46、57奪三振を記録した。

1992年は開幕から15日間の故障者リスト入りし、4月27日に復帰した。復帰後は前年と同様にリリーフに定着した。この年は50試合(先発1試合)に登板して2勝2敗5セーブ、防御率2.37、60奪三振を記録した。

メッツ時代

1992年12月17日にロジャー・メイソン英語版マイク・フレイタスとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した。

1993年はリリーフとして58試合に登板して3勝8敗5セーブ、防御率3.60、57奪三振を記録した。

1994年は27試合に登板して2勝1敗2セーブ、防御率5.11、32奪三振を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月18日にFAとなった。

パイレーツ時代

1995年4月10日にピッツバーグ・パイレーツと契約を結んだ。昇格後は8試合に登板したが、防御率9.00と結果を出せず、5月16日に自由契約となった。

レッドソックス時代

1995年5月30日にボストン・レッドソックスと契約を結んだ。移籍後は36試合(先発4試合)に登板して4勝1敗1セーブ、防御率3.61、65奪三振を記録した。オフの11月6日にFAとなったが、12月15日にレッドソックスと再契約を結んだ。

1996年は開幕ロースター入りし、開幕後は13試合に登板していたが、5月6日に15日間の故障者リスト入りした。8月6日に復帰すると、先発に転向した。この年は23試合(先発7試合)に登板して3勝2敗、防御率4.48、32奪三振を記録した。オフの11月1日にFAとなったが、12月7日にレッドソックスと再契約した。

1997年3月26日に自由契約となった。

マリナーズ時代

1997年4月11日にシアトル・マリナーズと契約を結んだ。昇格後はリリーフとして6試合に登板したが防御率10.13と結果を残せず、7月23日に自由契約となった。

パドレス傘下時代

1997年8月19日にサンディエゴ・パドレスと契約を結んだ。契約後は傘下のAAA級ラスベガス・スターズで先発として3試合に先発登板して0勝2敗、防御率5.62、13奪三振を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月15日にFAとなった。

エクスポズ時代

1998年3月30日にモントリオール・エクスポズと契約を結んだ。開幕ロースター入りし、リリーフとして1993年以来の50試合登板を記録した。この年は51試合に登板して3勝4敗1セーブ、防御率3.72、33奪三振を記録した。9月29日にFAとなった。

1999年2月2日にエクスポズと再契約した。開幕後は4試合に登板したが、4月15日に自由契約となった。

ドジャース復帰

1999年4月24日に古巣・ドジャースと契約を結んだ。リリーフとして49試合に登板して1勝1敗、防御率3.29、41奪三振を記録した。レギュラーシーズン終了後の10月14日にFAとなった。

アストロズ時代

2000年2月1日にアストロズと契約を結んだ。開幕後はリリーフとして18試合に登板していたが、5月21日に15日間の故障者リスト入りした。6月23日に復帰後は3試合に登板したが、7月5日に自由契約となり、現役引退を発表した。

引退後

2000年のシーズン途中からアストロズ傘下のAA級ラウンドロック・エクスプレスの投手コーチに就任し、同年のテキサスリーグ優勝に貢献した。

2001年カルロス・ヘルナンデスティム・レディングの好投もあり、テキサスリーグ1位のチーム防御率を記録し、2年連続の優勝を経験した。

2002年もテキサスリーグ三連覇に貢献した。

ブルワーズでのコーチ時代

ミルウォーキー・ブルワーズでのコーチ時代
(2008年8月3日)

2002年オフにミルウォーキー・ブルワーズの投手コーチに就任した[4]

2003年ネッド・ヨスト監督の下でコーチ1年目を迎えたが、チーム防御率はナショナルリーグ平均(4.28)を大きく下回るワースト3位の5.02だった。先発陣もベン・シーツウェイン・フランクリン英語版マット・キニーの三本柱こそ二桁勝利を挙げたが、4番手のグレンドン・ラッシュは1勝12敗、5番手のウェス・オーバーミューラーは2勝5敗と、先発投手の不足も露呈し、投手コーチとしては頭の痛いシーズンとなった。

2004年はシーツとダグ・デービスがナ・リーグ3位タイとなる24度のクオリティ・スタートを記録し、チーム防御率がリーグ平均の4.30を上回る4.24に向上した。

2005年はナ・リーグ5位となるチーム防御率3.97を記録した。

2006年は前年防御率1点台を記録したクローザーのデリック・ターンボウが不調でシーズン途中にマイナーへ異動するなど、リリーフ陣が崩壊し、チーム防御率はナ・リーグワースト2位の4.82に悪化した。

2007年は前年の開幕投手であるデービスが移籍したが、新加入のジェフ・スーパンの活躍もあり、二桁投手を4人輩出。ターンボウからクローザーの座を奪ったフランシスコ・コルデロが球団新記録の44セーブを挙げるなど、先発・リリーフ共に活躍し、チーム防御率はナ・リーグ9位の4.41まで回復した。

2008年は防御率1点台を記録したCC・サバシアの加入もあり、チーム防御率はナ・リーグ2位となる3.85に向上。チームは地区2位となり、ワイルドカード獲得に貢献したが、ヨスト監督の退任に伴い、同年限りでブルワーズを退団した。

レンジャーズでのコーチ時代

テキサス・レンジャーズでのコーチ時代
(2015年3月9日)

2008年11月3日にテキサス・レンジャーズの投手コーチへの就任が発表された[5]

2009年は前年アメリカンリーグ最下位のチーム防御率5.37を、ア・リーグ8位の4.38まで改善。

2010年はア・リーグ3位となるチーム防御率を3.93まで向上させ、地区優勝及びア・リーグ優勝に貢献した。

2011年はチーム防御率が昨年を上回る3.79を記録(ア・リーグ5位)。先発5本柱(C・J・ウィルソンコルビー・ルイスデレク・ホランドマット・ハリソンアレクシー・オガンド)全員が二桁勝利を挙げ、2年連続の地区優勝及びア・リーグ優勝に貢献した。

2012年はチーム防御率が3.99と前年を下回った。

2013年はチーム防御率を3.62まで向上させた。

ナショナルズでのコーチ時代

ワシントン・ナショナルズでのコーチ時代
(2016年8月22日)

2015年11月4日にワシントン・ナショナルズの投手コーチへの就任が発表され[6]2017年まで務めた[7]

カージナルスでのコーチ時代

2018年シーズンからはセントルイス・カージナルスの投手コーチを務める[8]2022年まで務めた[9]

2度目のレンジャーズでのコーチ時代

2022年11月23日にレンジャーズの投手コーチへの就任が発表された[10]。2023年シーズンは2023ワールドシリーズ制覇に貢献するなど2025年2025年シーズン終了まで務めた。

エンゼルスでのコーチ時代

2025年10月31日にロサンゼルス・エンゼルスの投手コーチへの就任が発表された[11]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1986 PHI 1616000370--.30035178.08863443444256475.421.56
1987 72000200--1.0007217.01705001510552.651.29
1988 2511000430--.57138088.29163445594241373.761.41
1989 164210131--.25019143.25231432263129255.151.51
1990 LAD 112000010--.0008820.2243401112015156.531.35
1991 SD 641000725--.77838898.27842731575030272.461.06
1992 501000225--.50033079.27122440604125212.371.19
1993 NYM 580000385--.27332075.06732774574134303.601.25
1994 270000212--.66718644.04571340322025255.111.32
1995 PIT 80000100--1.000429.0140310410999.001.89
BOS 364000411--.80036789.28651532655040363.611.13
'95計 444000511--.83340998.210051842696049454.101.20
1996 237000320--.60029564.176122725321037324.481.60
1997 SEA 60000100--1.0005910.2201821710121210.132.63
1998 MON 510000341--.42922855.25031511333124233.721.17
1999 400000000----265.091301400559.002.40
LAD 49000011010.50023454.25451924411021203.291.34
'99計 53000011010.50026059.26362225451026253.771.42
2000 HOU 2100002202.50012827.13161202170020196.261.57
MLB:15年 47248210393720*12.5133685861.28736728440325644184283884.051.34
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

年度別守備成績



投手(P)












1986 PHI 1651020.882
1987 71110.667
1988 2581841.867
1989 16712011.000
1990 LAD 1102001.000
1991 SD 6491811.964
1992 5091811.964
1993 NYM 5861611.957
1994 2721112.929
1995 PIT 801011.000
BOS 3691111.952
'95計 4491212.955
1996 23712011.000
1997 SEA 611001.000
1998 MON 51310001.000
1999 40000----
LAD 495611.917
'99計 535611.917
2000 HOU 2116001.000
MLB 472731531311.946

背番号

  • 44(1986年 - 1989年)
  • 54(1990年)
  • 51(1991年 - 1994年、1998年 - 1999年、2016年 - 2017年)
  • 60(1995年 - 同年途中)
  • 19(1995年途中 - 1996年)
  • 20(1997年)
  • 36(2000年、2003年- 2008年)
  • 31(2009年 - 2015年、2018年 - 2021年途中、2022年 - 2023年途中)
  • 35(2022年途中 - 同年終了)
  • 41(2023年途中 - 2025)
  • 88(2026年 - )

脚注

関連項目

外部リンク

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