下田昭文

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本名 下田 昭文
通称 Sugar[1]
Speedster[2]
身長 171.2cm
下田 昭文
基本情報
本名 下田 昭文
通称 Sugar[1]
Speedster[2]
階級 フェザー級
身長 171.2cm
リーチ 169.4cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1984-09-11) 1984年9月11日(41歳)
出身地 広島県呉市
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 39
勝ち 31
KO勝ち 14
敗け 6
引き分け 2
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下田 昭文(しもだ あきふみ、1984年9月11日[3] - )は、日本の元プロボクサー広島県呉市出身[3]。両親の転勤で、北海道を経て東京に移る[3]。第32代日本スーパーバンタム級王者[3]。第37代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者[3]。元WBA世界スーパーバンタム級王者[3]帝拳ボクシングジム所属[3]保善高等学校中退。

2002年に帝拳ボクシングジムに入門し、葛西裕一トレーナーの勧めでプロに転向[3]。かつては基礎練習が嫌いで、8回戦時代まではろくにロードワークもしなかったほどであった[3]。しかし西岡利晃の後継者に指名され、2006年に初の敗北を喫したあたりから徐々に考えを改めるようになり、以後はジムの誰よりも練習熱心になったという[3]。本人は後に「自分がいやだと思うことを逃げずにやっていけばいいんだと気付いた」と語っている[4]

800メートル走はジムでトップというフィジカルの強さが武器[3]。WBA世界スーパーバンタム級王者を獲得した2011年1月の李冽理戦では、勝負がほぼ決していた最終12回も攻め続けた。「アウトボクシングは格好悪い。自分の感性でいった」と試合を総括し、今後の目標については「男らしく強く。背中を見せられるようになりたい」と述べた[3]

性格は「天然」で、グアムキャンプで初めての海外渡航の際も、紙袋1つで成田空港に現れた。日焼けサロンを好み、本田明彦帝拳ボクシングジム会長が夏にゴルフで真っ黒になると「会長も日サロに行ったんですか?」と真顔で尋ねたという[4]

来歴

ボクシングを始めたのは中学3年生の時[3]。中学時代は「ちょくちょく停学になった」という問題児で、その影響もあってか5つの高校で不合格となり「ストレス発散のため」に帝拳ジムを訪れたという[3]。しかし入門後は早速才能を発揮し、入門からわずか2日後にはスパーリングを許される。高校は入学後2ヶ月で中退したものの、2002年にはまだプロデビュー前にもかかわらず、同年にセレス小林とのWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチのために来日したアレクサンデル・ムニョスのスパーリングパートナーを務めた[4]

2003年1月18日 プロデビュー戦を初回TKO勝利で収めた[3]

2003年11月2日、東日本バンタム級新人王トーナメント決勝戦で高山和徳を6回判定で下し、東日本バンタム級新人王となった[3]

2006年2月4日 瀬藤幹人に10回判定で敗れ、13戦目で初黒星となった。

2006年11月13日、日本武道館で行われたダブル世界戦のアンダーカードでWBC世界スーパーバンタム級9位・WBA世界同級13位としてソニー・ゴンサレスと123ポンド契約6回戦を行い6回3-0の判定勝利を収めた。

2007年4月9日、日本スーパーバンタム級王者山中大輔に挑戦し、10回判定勝利で念願のタイトルを奪取した[3]

2007年8月4日 塩谷悠に3-0の判定勝ち。

2007年12月1日には小林秀徳に3-0の判定勝ちで2度の防衛に成功した。2007年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で新鋭賞に選出された。

2008年4月5日、JCBホールで前王者・山中との再戦に10回3-0の判定勝利を収め、3度目の防衛戦に成功した。

2008年10月4日、4度目の防衛戦で三浦数馬と対戦。三浦が偶然のバッティングにより6回に眉間、8回に左目上をカットし、8回負傷判定となって1-2で負け、王座を失った[3]

2009年2月21日、ホセ・アルボレタと再起戦を行うも3回負傷引分となった。アルボレタは下田戦を最後に交通事故に巻き込まれ死亡[5]。この後ロサンゼルスのメイウッド・ジムを経てラスベガスへ移り[6]、2009年は通算約4か月半、米国で修業をした[7]

2009年6月27日、メキシコヌエボ・ラレードのラウロ・ルイス・ロンゴリア闘牛場でマウリシオ・ベセリルとフェザー級契約で対戦し、初回KO勝利を収めた[6]

2009年10月10日、国立代々木競技場第二体育館で行われたダブル世界戦のアンダーでWBC7位・WBA11位として124ポンド契約8回戦を行い、6回TKO勝利を収めた。

2010年3月28日、名古屋国際会議場でWBC世界スーパーバンタム級7位・WBA世界同級13位としてWBC世界同級13位でOPBF東洋太平洋同級王者大橋弘政と対戦し、12回3-0(2者が116-113、116-112)の判定勝利で王座を獲得した[3][8]

2010年8月7日、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級1位で韓国同級王者の孫昌鉉と対戦。4回に偶然のバッティングで互いに負傷し、5回に自身の左側頭部からの出血により試合が止められ、3-0の負傷判定勝利で初防衛に成功した[9]

2011年1月31日 26戦目で世界初挑戦。東京有明コロシアムWBA世界スーパーバンタム級王者李冽理に挑戦。激しい打ち合いに終始し、1度のダウンを奪われたものの3度のダウンを奪い、12回3-0の判定勝ちで王座を獲得した[3][10] 。 2011年7月9日 世界王座初防衛戦。アメリカ合衆国ニュージャージー州アトランティックシティボードウォーク・ホールで、WBA世界スーパーバンタム級1位のリコ・ラモス(アメリカ)との指名試合に臨んだ。日本人世界王者が米国本土で防衛戦を行ったのは初めてのことであり、試合はHBOの『ボクシング・アフターダーク』でダブルメインイベントのメインカードのひとつとして生中継された[11][12]。試合を優位に進め、半分の6回を終えた時点でポイントを大きくリード。しかし、7回に入ると下田の動きは急に悪くなり[13]、残り30秒を切ったところで挑戦者の左フックを顎に浴び、たまらずダウン。立ち上がろうとしたものの足がふらつき、そのまま10カウント。逆転負けとなる7回2分46秒KO負けを喫し、5か月余りで世界王座を手放した[14]。CompuBox社のシステムを用いたパンチのコンピュータ集計によれば、全体の手数ではラモスを上回っていたものの、積極的に出したジャブが正確性を欠いていた[15]

2011年12月3日 後楽園ホールでジョネル・アビリオとノンタイトル10回戦を行い、10回3-0(2者が99-91、99-93)の判定勝ちを収め再起に成功した[16]

2012年4月16日、「ダイナミックグローブ」500回記念興行でホセ・アルベルト・ゴンサレスとノンタイトル10回戦を行い、10回1分TKO勝ちを収めた[17]

2011年8月4日、後楽園ホールでリチャード・ベトスと56.2kg契約10回戦を行い、10回3-0(2者が100-87、100-88)の判定勝ちを収めた[18]

2012年11月14日、後楽園ホールでウーゴ・パルティダと124ポンド契約10回戦を行い、9回1分18秒TKO勝ちを収めた[19]

2013年4月6日、後楽園ホールロリ・ガスカと対戦し、10回1-0(97-94、96-96、95-95)の判定で引き分けた[20]

2013年9月7日、後楽園ホールアレハンドロ・エルナンデスと125ポンド契約10回戦を行い、10回3-0(99-91、98-93、97-94)の判定勝ちを収めた[21]

2014年2月22日、マカオにあるザ・ベネチアン・マカオコタイ・アリーナにてWBAスーパーIBO世界フェザー級王者のシンピウィ・ベトイェカと対戦する予定だったが、WBAがWBA世界フェザー級スーパー王者のベトイェカに対し、WBA世界フェザー級正規王者のニコラス・ウォータースとのWBA世界フェザー級王座統一戦を優先するよう指令を出した為、ベトイェカ戦は中止となったが[22]、同日コタイ・アリーナで鄒市明対ヨクトーン・ゴーキャットジムの前座で元WBO世界スーパーフライ級王者マービン・ソンソナWBOインターナショナルフェザー級王座決定戦を行うも、3回1分17秒KO負けで王座獲得に失敗した[23]

2015年12月29日、有明コロシアムで日本フェザー級王者細野悟と対戦するが、1-2(92-97、93-96、96-95)の判定で敗れ日本王座2階級制覇に失敗した[24]

2016年10月1日、後楽園ホールで行われた「第554回ダイナミックグローブ」でガドウィン・トゥビゴンとフェザー級8回戦を行い、2回1分58秒KO勝ちを収めた[25]

2016年12月31日、岐阜メモリアルセンターで愛ドームで日本フェザー級王者の林翔太と対戦し、10回0-3(94-95×2、94-97)の判定負けを喫し日本2階級制覇に失敗した[26]

2017年2月21日、自身のブログに於いて現役引退を表明した[27]

2019年11月、埼玉県さいたま市浦和区にフィットネスボクシングジム「シュガーフィット・ボクシングジム」を開設した[28]

戦績

  • アマチュアボクシング:2戦2勝 (2KO・RSC) 無敗
  • プロボクシング:39戦31勝 (14KO) 6敗2分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
12003年1月18日1R 2:08KO渡辺一正(TI山形)日本の旗 日本プロデビュー戦
22003年4月17日4R判定3-0木下健志(横浜さくら)日本の旗 日本
32003年6月13日1R 0:50KO川島弘也(シャイアン長谷川)日本の旗 日本
42003年7月29日2R 1:38KO宮原弘成(東拳)日本の旗 日本
52003年9月26日3R 2:10KO刈込文宏(館山牛若丸原田)日本の旗 日本
62003年11月2日4R判定3-0高山和徳(船橋ドラゴン)日本の旗 日本東日本バンタム級新人王トーナメント
決勝戦
72004年7月3日4R 1:41TKO佐々木裕(ナカハマ)日本の旗 日本
82004年10月2日6R判定3-0竹下隆之(角海老宝石)日本の旗 日本
92005年2月5日8R 0:42TKO白石拓磨(ファイティング原田)日本の旗 日本
102005年7月2日4R 終了TKO井野秀作(正拳)日本の旗 日本
112005年9月3日8R判定3-0デッサイヤーム・シッポーダムタイ王国の旗 タイ
122005年11月5日10R判定3-0小田島務(新日本仙台)日本の旗 日本
132006年2月4日10R判定0-2瀬藤幹人(協栄)日本の旗 日本
142006年6月3日7R 2:10TKOヘラルド・マルチネスメキシコの旗 メキシコ
152006年11月13日6R判定3-0ソニー・ゴンザレスフィリピンの旗 フィリピン
162007年4月9日10R判定3-0山中大輔(白井具志堅)日本の旗 日本日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
172007年8月4日10R判定3-0塩谷悠(川島)日本の旗 日本日本王座防衛1
182007年12月1日10R判定3-0小林秀徳(角海老宝石)日本の旗 日本日本王座防衛2
192008年4月5日10R判定3-0山中大輔(白井具志堅)日本の旗 日本日本王座防衛3
202008年10月4日8R 0:38負傷判定1-2三浦数馬(ドリーム)日本の旗 日本日本王座陥落
212009年2月21日3R 1:08負傷ホセ・アルボレダパナマの旗 パナマ
222009年6月27日1R 2:15KOマウリシオ・ベセリルメキシコの旗 メキシコ
232009年10月10日6R 2:23TKOセーンヒラン・ルークバンヤイタイ王国の旗 タイ
242010年3月28日12R判定3-0大橋弘政(HEIWA)日本の旗 日本OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級タイトルマッチ
252010年8月7日5R 0:34負傷判定3-0孫昌鉉大韓民国の旗 韓国OPBF防衛1
262011年1月31日12R判定3-0李冽理(横浜光)大韓民国の旗 韓国WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
272011年7月9日7R 2:46KOリコ・ラモスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBA陥落
282011年12月3日10R判定3-0ジョネル・アリビオフィリピンの旗 フィリピン
292012年4月16日10R 1:00TKOホセ・アルベルト・ゴンサレスメキシコの旗 メキシコ
302012年8月4日10R判定3-0リチャード・ベトスフィリピンの旗 フィリピン
312012年11月14日9R 1:18TKOウーゴ・パルティダメキシコの旗 メキシコ
322013年4月6日10R判定1-0ロリ・ガスカフィリピンの旗 フィリピン
332013年9月7日10R判定3-0アレハンドロ・エルナンデスメキシコの旗 メキシコ
342014年2月22日3R 1:17KOマービン・ソンソナフィリピンの旗 フィリピンWBOインターナショナルフェザー級王座決定戦
352015年6月6日8R判定3-0関豪介(角海老宝石)日本の旗 日本
362015年10月3日5R 2:55TKOジェリー・ナードフィリピンの旗 フィリピン
372015年12月29日10R判定1-2細野悟(大橋)日本の旗 日本日本フェザー級タイトルマッチ
382016年10月1日2R 1:58KOガドウィン・トゥビゴンフィリピンの旗 フィリピン
392016年12月31日10R判定0-3林翔太(畑中)日本の旗 日本日本フェザー級タイトルマッチ
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獲得タイトル

受賞歴

脚注

関連項目

外部リンク

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