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中国の首都

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中国の首都(ちゅうごくのしゅと)。ここでは、中国の歴史上の首都について扱う。現在の中華人民共和国の首都については北京、中華民国については中華民国の首都を参照のこと。

概説

中国の王朝においては、西の長安(西安)・東の洛陽の両都が長きにわたって首都に選ばれることが多く、王朝が南遷した場合の仮の都としては、南京が選ばれることが多かった。しかし、北宋では大運河の影響により開封が首都に選ばれ、さらに航海術の発達により元代には大都(現在の北京)に首都が置かれた。顧炎武の『歴代宅京記』によれば、伏羲の時代から元代まで陪都(副都)を含めて46か所あったと記し、史念海(中国語版)の『中国古都和文化』(中華書局、1998年)によれば地方政権や一時的なものまで含めると217か所になると記されている[1]。

中国において近代国民国家における首都(Capital)が初めて成立したのは、1927年に南京国民政府が本格的な「首都建設計画」に乗り出して以降と言えるが、皇帝を中心とした中央集権が早くから進められていた中国では、元・明・清の3代にわたって都城が設けられた北京の段階でその要件はほぼ整いつつあったとする指摘もある[2]。

3世紀以降、江南地域の開発が進んで主要穀倉地帯になると、都城への食糧供給もこの地域から行われるようになったが、江南地域から隋・唐の都城があった長安への漕運による供給は困難を極めた。また、10世紀以降に相次いで成立した非漢族政権(遼・金・元・清)は華北地域に鼎を定めた。こうした事情から、10世紀以降になると古くから歴代王朝の都城が置かれていた洛陽や長安に代わって東方にあるいは北方に都城が設けられるようになったと考えられ、北京や南京に都城・首都が置かれるようになった[3]。

四大古都から八大古都へ

中国では、西安(漢〜唐の長安)・北京・南京・洛陽の4つの歴史的に重要な首都を「四大古都」と呼ぶ慣わしがあった。

ところが、歴史学者らの主張によって1920年代に開封が、1930年代には杭州(南宋の臨安)がこれに加えられて、「五大古都」・「六大古都」の呼称が生まれるようになった。

1988年、地理学者の譚其驤は、商(殷)の都の跡である殷墟を評価してその所在地である安陽を追加するように提案した(なお、東魏や北斉の都あった鄴は主要部は邯鄲に属するが、一部が安陽市域に属している)。

2004年、中国古都学会は、商の時代以降3600年の歴史を持つことから、鄭州を追加した。

その結果、今日では以上の8都市(西安・北京・南京・洛陽・開封・杭州・安陽・鄭州)を「八大古都」と呼称している。

歴代王朝、政権の首都

歴代政権の中心地

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