光明寺 (横浜市南区)
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| 光明寺 | |
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| 所在地 | 神奈川県横浜市南区庚台66番 |
| 位置 | 北緯35度26分34.5秒 東経139度36分35.5秒 / 北緯35.442917度 東経139.609861度座標: 北緯35度26分34.5秒 東経139度36分35.5秒 / 北緯35.442917度 東経139.609861度 |
| 山号 | 吉上山 |
| 院号 | 慈眼院 |
| 宗旨 | 浄土宗 |
| 宗派 | 浄土宗鎮西派 |
| 寺格 | 末寺 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 1878年(明治11年) |
| 正式名 | 吉上山慈眼院光明寺 |
| 法人番号 | 3020005000081 |
光明寺(こうみょうじ)は、神奈川県横浜市南区庚台にある浄土宗の寺院である。山号を吉上山と称する。本尊は阿弥陀如来。市内観世音33所霊場の10番霊場。
1878年(明治11年)10月、鎌倉の光明寺教会所として建立されたもので、鎌倉光明寺の98世住職である馨誉玄信上人が、石川町7丁目に存在した本尊聖観音を安置する観音堂を継承し、徒弟である尼僧、野瀬妙音に寺務をとらせ、観音講社を結び、布教に努めたことが始まりである。
その後、1885年(明治18年)、吉田健三の所有地である太田初音町の山手に移転したが、町域の発展により、1888年(明治21年)、吉田健三の勧めで、さらに現在地である南太田町1296番地(現庚台66番地)に間口9間・奥行6間の本堂を移転し、同年11月17日に開堂式を行った。
1899年(明治32年)3月27日、鎌倉光明寺の執事である宮下(正誉)舜達は、長谷観音が別当であった慈眼院の名蹟を移し、山号としては、大檀那である吉田健三、上郎幸八の頭文字をあわせて「吉上山」として、改めて一寺とし、神奈川県庁から寺号公称の認可が降りたという。これにより、舜達が開山第1世とされている。
1911年(明治44年)4月25日、本堂が落慶し、東京の増上寺の花岳院所蔵の阿弥陀如来並びに両脇侍仏を寄贈されている。
従来の庫裡は民家を買収したものであり、間取りが不十分であったため、書院としての体裁を整えるべく、1916年(大正5年)、すべて木曽の檜材で建造した二階造の15の間数の1家屋を、当時の金額で経費1万5,000円あまりを費やして静岡県より移築している[1]。
1921年(大正10年)11月15日には、第一次世界大戦における死傷者を追悼するために洪鐘を新たに鋳造し[2]、墓地1,500坪を購入している。
2年後の関東大震災では、書院・庫裡・鐘楼が倒壊し、本堂は傾斜してしまったため、書院は同震災で倒壊した小田原の御用邸の一部を払下げを受けて移築されている[1]。
堂宇
本尊
- 阿弥陀如来立像-高さ81センチメートル、舟型光背
- 脇侍-勢至・観音、各高さ46センチメートル、舟型光背
- 開山堂-木造瓦葺平屋