加賀山就臣

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-05-07) 1974年5月7日(51歳)
神奈川県 横浜市
現在のチーム ヨシムラ・スズキ・ライドウィン
ゼッケン 71
加賀山 就臣
2007年 MotoGPセパンテストにて
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-05-07) 1974年5月7日(51歳)
神奈川県 横浜市
現在のチーム ヨシムラ・スズキ・ライドウィン
ゼッケン 71
ウェブサイト team-kagayama.com
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1997年 - 1999年, 2001年 - 2004年
初レース1997年 250cc 日本グランプリ
最終レース2004年 MotoGP マレーシアグランプリ
チームスズキ
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
14 0 0 0 65
スーパーバイク世界選手権
活動期間2005年 - 2010年
2009年 順位12位 (94pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
110 4 16 3 4
2007年スーパーバイク世界選手権第10戦でブランズハッチを走る加賀山就臣

加賀山 就臣 (かがやま ゆきお、本名:加賀山 幸男1974年5月7日 - ) は、神奈川県横浜市出身のオートバイロードレースライダー。

2003年から日本人として初めてブリティッシュスーパーバイク選手権(BSB)フル参戦。2005年よりスーパーバイク世界選手権参戦。BSB以前はスズキワークスより全日本ロードレース選手権に参戦しつつ、テストライダーを務めた。

2011年に自らのレーシングチーム「TEAM KAGAYAMA」を立ち上げ、9年ぶりに全日本ロードレース選手権に本格復帰。

レース中の転倒及び負傷が非常に多く、全日本参戦初年度となった1995年は「12戦で24回転倒した」(本人談)ほか、1998年にポール・リカール・サーキットで両手首を骨折して以後も大きな怪我を重ねた。特にBSB参戦中の2003年にはカドウェルパークでのレースで転倒し「骨盤複雑骨折・脊椎圧迫・内臓破裂・尿管損傷に加え、感染症で体が痙攣し始めるなど、(日本の医者に)帰国があと1日遅かったら命がなかったと言われた」ほどの負傷を負ったが、それでも復帰を果たしたことで二輪レース関係者の間では「鉄人」の異名をとっている[1]。 

2021年には全日本ロードレース第2戦鈴鹿においてJSB1000クラスにおける最年長表彰台記録を自身で塗り替えた。             

2022年3月25日、東京モーターサイクルショーの中で行われたトークショーにおいて、全日本ロードからの引退を発表。同年よりチームカガヤマとヨシムラジャパンの共同チームである「YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN」のチーム代表兼監督に就任することが明らかにされた[2]。ただ「チームカガヤマ」として2022年の鈴鹿8時間耐久ロードレースの出場権を行使しており、全日本以外のレース参戦に関しては一部継続する方針[3]

2020年代に入り、クラシックバイクイベントへの参戦に注力。筑波サーキットで行われる「TASTE OF TSUKUBA」(TOT)には、2019年 - 2021年にかけてスズキ・カタナ(GSX1100S)にスズキ・GSX-R1000のエンジンを載せ、後には燃料系をキャブレター化・モノショックをわざわざツインショック化するなどのカスタマイズを加えた、通称「KATANA 1000R」で参戦していた[4]。2022年からはカタナに代わり、スズキ・GSX1300Rハヤブサのフレームを、TOTの最上位クラス「HERCULES」のレギュレーションに合わせ鉄フレーム化した、通称「鐵隼」(てつぶさ)を投入する[4]

デビューから2023年まで一貫してスズキ製のマシンでレース活動を続けてきた加賀山だったが、スズキがレース活動から撤退。日本のロードレース界に話題性と刺激を与え活性化させたいという思いもあり[5]、自身のスーパーバイク世界選手権フル参戦時に築いた人脈を頼りにイタリアドゥカティとコンタクトを取り交渉を重ねた結果、ワークススペックのドゥカティ・パニガーレV4 Rの貸与を受ける契約が成立。2024年の全日本ロードレース選手権に「DUCATI Team KAGAYAMA」として参戦することになった(ライダーは水野涼[6]。第5戦もてぎ大会では全日本JSB1000クラス初となる日本車以外の優勝を達成した[7]

レース戦績

脚注

外部リンク

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