川裕一郎

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生年月日 (1971-10-27) 1971年10月27日(54歳)[1]
出身校 北陸コンピュータ専門学校卒業
前職 福祉関連企業役員
川 裕一郎
かわ ゆういちろう
生年月日 (1971-10-27) 1971年10月27日(54歳)[1]
出生地 日本の旗 日本 石川県金沢市[1]
出身校 北陸コンピュータ専門学校卒業
前職 福祉関連企業役員
所属政党民主党→)
無所属→)
参政党
公式サイト 川裕一郎公式ホームページ
選挙区 比例北陸信越ブロック石川県第1区
当選回数 1回
在任期間 2026年2月13日[2] - 現職
選挙区 金沢市選挙区
当選回数 5回
在任期間 2011年4月30日 - 2014年2月27日
2014年10月7日 - 2025年6月9日
当選回数 1回
在任期間 2007年 - 2011年
その他の職歴
第2代 参政党副代表
代表:神谷宗幣
2023年8月30日 - 2025年9月8日
第2代 参政党副事務局長
代表:神谷宗幣
2022年3月27日 - 現職)
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川 裕一郎(かわ ゆういちろう、1971年10月27日 - )は、日本政治家実業家参政党所属の衆議院議員(1期)、参政党副事務局長(第2代)。

金沢市議会議員(1期)、石川県議会議員(5期)、参政党副代表などを歴任。

石川県金沢市出身[3]藤花学園尾山台高等学校を経て北陸コンピュータ専門学校を卒業[3]。地元の情報通信企業に就職して会社役員にまでなるが、人生を懸ける仕事でないと考え退職[3]

情報通信企業退職後に福祉の資格を取り福祉関連会社を設立して代表取締役に就任。福祉の現場で弱者に光が当たっていないことを目の当たりにしたために、社会を変えるために政治家になることを決意[3]2007年金沢市議会議員選挙に民主党公認で出馬し、4984票を得てトップ当選[3][4]

2008年北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会の金沢支部設立、支部代表として活動[3]

2009年稲盛和夫が塾長の盛和塾に入塾[3]

2010年龍馬プロジェクトに参加して北信越ブロック長に就任。後に全国会副会長になる[3]。11月出版の『龍馬プロジェクト―超党派の若手政治家たちが日本再興の大きなうねりを創りだす!』を共著[5]

2011年、4月10日に投開票が行われた石川県議会議員選挙に民主党公認で出馬し、当選[6][3]2012年ジョージタウン大学日米リーダーシッププログラムを修了[3]。所属していた民主党では、石川県連青年局長などを務めた[7]

2014年石川県知事選挙に対し、かねてより川は出馬の意向を示していたものの、2013年12月15日に所属する民主党県連が現職の谷本正憲を推薦[8]。川は同党を離党し、12月26日県庁で会見を開いて立候補することを表明した[8]。告示日である2014年2月27日に立候補を届け出て[9]、県議を自動失職。結果は3人中2位で落選[10]

2014年9月26日に告示され、10月5日に投開票が行われた石川県議会議員補欠選挙(欠員3)に立候補し、トップ当選を果たして県議に返り咲いた[11]2015年の県議選では、10891票を獲得して得票数2位で再選(3選)[12]2019年3月29日告示・4月7日投開票の2019年石川県議会議員選挙では、5952票と前回選から大きく票数を減らしたものの得票数16位の最下位で再選を果たした(4選)[13][14]

2020年に結成された参政党に参加し、2022年3月に副事務局長としてボードメンバー(党執行部)入りする[15][16]

2023年4月には参政党が結党されて初となる統一地方選挙が行われ、同党公認で石川県議会議員選挙に出馬して8501票を得て6位で当選(5選)[17][18]。同年8月より党副代表も兼務[19]

2025年5月9日に行われる、結党以来初めてとなる参政党の代表選挙に立候補した。開票の結果、現職の神谷宗幣169票、衆議院議員の吉川里奈45票、川36票となり、神谷の代表続投が決まった[20]。同年5月28日、参政党は夏の第27回参議院議員通常選挙比例代表に川を擁立すると発表した[21]。7月20日の投開票の結果、参政党は比例区で7議席を獲得する躍進を果たしたものの、川の得票数は23,819票であり、7位の後藤翔太と211票差で党内の得票数8位となったため次点で落選した[22]。石川県内の参政党の比例票は前年の衆院選から4倍増と急伸したが、そのうち川への個人票は1割程度にとどまった。党県連会長の久保雅哉は、選挙戦で全国比例の選挙制度を支援者に周知しきれず、比例区に川の個人名でなく『参政党』と書いた有権者が多かったことが敗因と悔やんだ[23]。一方、神谷は川の落選について、「千載一遇のチャンスだったのに、うまく戦いを進めることができなかった。地元を離れ、都市部で街頭活動したのが敗因だ」と指摘した[24]

2025年9月8日に党ボードメンバー及び副代表から退任。副事務局長職は留任した[25]。同日、次期衆院選石川1区に川を公認候補として擁立する事が発表された[26]。2026年2月8日の投開票の結果、石川1区では落選したが、重複立候補していた比例で復活当選[27]

政策・主張

外交・安全保障

経済

社会

選挙歴

脚注

外部リンク

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