篠原孝
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| 篠原 孝 しのはら たかし | |
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| 生年月日 | 1948年7月17日(77歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | 京都大学 |
| 前職 | 国家公務員(農林水産省) |
| 所属政党 |
(民主党→) (民進党(大畠グループ)→) (旧国民民主党 / 新政信州→) (立憲民主党→) 中道改革連合 |
| 称号 |
法学士(京都大学) 博士(農学)(京都大学) |
| 公式サイト | しのはら孝ホームページ |
| 選挙区 |
(比例北陸信越ブロック→) (長野1区→) (比例北陸信越ブロック→) 長野1区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 在任期間 | 2003年11月9日 - 2026年1月23日 |
その他の職歴 | |
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野田佳彦「次の内閣」 (2024年11月11日 - 現職) | |
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代表:大塚耕平 (2017年10月 - 2018年5月7日) | |
篠原 孝(しのはら たかし、1948年7月17日 - )は、日本の農水官僚、政治家。学位は博士(農学)(京都大学・2001年)。
衆議院議員(8期)、農林水産省経済局統計情報部管理課課長、農林水産技術会議事務局研究総務官、農業総合研究所企画連絡室研究調整官、農業総合研究所所長、農林水産政策研究所所長)、農林水産副大臣(菅直人内閣・菅直人1次、2次改造内閣)、民進党選挙対策委員長、衆議院懲罰委員長、立憲民主党幹事長代行などを歴任した。
京都大学法学部卒業後、農林省に入省し、その後継組織である農林水産省にて経済局統計情報部管理課課長などを歴任した。農林水産省の特別の機関である農林水産技術会議では、事務局研究総務官を務めた。農業総合研究所では企画連絡室研究調整官を経て所長に就任し、農林水産政策研究所でも所長に就任した。2003年の第43回衆議院議員総選挙にて当選を果たし、政治家に転身した。菅直人内閣、菅直人第1次改造内閣、菅直人第2次改造内閣にて農林水産副大臣を務めた。
来歴
生い立ち
長野県中野市田麦生まれ[1]。中野市立長丘小学校(2020年に統廃合)、中野市立中野平中学校、長野県長野高等学校卒業。1973年3月、京都大学法学部卒業。同年4月、農林省に入省(農林経済局統計情報部管理課・企画情報課)[2]。
官僚として
本省勤務の他、経済協力開発機構 (OECD) 日本政府代表部参事官、農水省農林水産政策研究所所長を経て、退官。農水官僚時代はフードマイレージの概念を提唱した[3]。
政治家として

2003年、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で長野1区から出馬。長野1区では自由民主党公認の小坂憲次に僅差で敗れたが、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活し、初当選した。当選後、衆議院予算委員会に所属し、BSE問題について首相の小泉純一郎や農林水産大臣の武部勤に対して質疑を行った[要出典]。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、長野1区で再び小坂に敗れたが、比例北陸信越ブロックで復活し、再選。2006年9月より、民主党次の内閣でネクスト農林水産大臣を務め、農家への戸別所得補償制度の立案に携わる[要出典]。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、長野1区で小坂を破り、初めて選挙区で当選した。
2010年、菅直人内閣で農林水産副大臣に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める。2011年9月の民主党代表選挙では、現職の農林水産大臣であった鹿野道彦を支持し、代表選出馬に際して鹿野が旗揚げした素交会の結成に参加[要出典](鹿野は野田佳彦らに敗れ、1回目の投票で4位に終わった)。野田内閣発足に伴い農林水産副大臣を退任し、民主党副幹事長に就任[要出典]。
2012年の消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決で、党の賛成方針に反して棄権した[4][5]。民主党は7月3日の常任幹事会で厳重注意処分とする方針を決定し[6][7][8][9][10]、7月9日の常任幹事会で正式決定した[11][12][13]。
同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙には民主党公認、国民新党推薦で出馬。与党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、長野1区で自民党新人の小松裕、日本維新の会新人の宮沢隆仁を下し、4選。同年12月25日に行われた民主党代表選挙では海江田万里の推薦人に名を連ねた[14]。また同年、フランス共和国農事功労章シュヴァリエを受章[15]。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、長野1区で自民党前職の小松裕、次世代の党前職の宮沢隆仁らを破り、5選。この選挙で民主党代表の海江田万里が落選。海江田の辞任に伴い2015年1月18日に行われた代表選挙に当初は立候補に意欲を示していたが[16]、立場の近い候補と一本化するため自身の出馬は見送り、自身も所属する素交会も推す長妻昭元厚生労働大臣を支持[17]。長妻の推薦人に名を連ねたが[18][19]、長妻は1回目の投票で最下位に終わった(当選者は岡田克也)[20]。
2016年9月15日の民進党代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねた[21]。代表選の選挙戦中、二重国籍問題が発覚した蓮舫代表代行(当時)に対し、自身のブログで代表選からの撤退を求め[22]、9月15日の常任幹事会で党執行部に代表選のやり直しを要求したが[23]、枝野幸男幹事長は応じず、蓮舫は前原、玉木雄一郎を破り、民進党代表に選出された[24]。
2017年7月27日、民進党代表の蓮舫が、同月の東京都議会議員選挙の結果を受けて辞任を表明[25]。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では前原誠司の推薦人に名を連ねた[26]。
同年9月28日、民進党は希望の党への合流を決定[27]。9月29日、希望の党代表の小池百合子はリベラル派議員について「排除されない、ということはございませんで、排除いたします」と明言[28]。9月30日、民進党の前職、元職計15人の「排除リスト」が出回り、その中には篠原の名前もあった[注 1]。10月1日夜、民進党は、公認申請する際に小池代表宛てに署名し、提出する「政策協定書」の原案を各都道府県連に送付[31]。原案には「限定的な集団的自衛権の行使を含め安全保障法制を基本的に容認する」との記述があり、篠原は「こんな内容は受け入れるわけにはいかない」と思ったという[32]。10月2日午後5時、枝野幸男が立憲民主党を立ち上げると宣言[33]。同日午後6時、希望の党から、翌日朝9時までに離党届と政策協定書にサインし、提出するよう連絡が入る。民進党本部や党長野県連から電話があり、サインをするよう求められるが、篠原は拒否した[32]。
ところが10月3日午後に発表された希望の党の第1次公認192人の中になぜか篠原も含まれていた[34]。篠原は公認辞退を申し入れ、10月4日、希望の党は公認を取り消した。同日、無所属で出馬する意向を固めたと明らかにした[35]。10月22日の第48回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し、6選[36]。その後、同26日に岡田克也が代表を務める無所属の会の結成メンバーとなった[37]。
2018年5月7日、民進党と希望の党が合流して新党・国民民主党が結成され、無所属の会を退会しこれに参加した[38]。
2020年8月24日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で合流新党を結成することで合意[39]。同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では泉健太の推薦人に名を連ねた[40]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補。自民党が擁立した元参議院議員の若林健太に敗れるも、比例復活で7選[41][42]。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では西村智奈美の推薦人に名を連ねた[43]。同選挙で西村は泉健太に敗れたが、幹事長に就任。篠原は幹事長代行に就任した[44]。同年12月5日、衆院選で長野県内の小選挙区で自身を含め、当選者を減らした責任を取り、立憲民主党長野県連代表を辞任した(後任は下条みつ)[45]。
2024年10月15日、第50回衆議院議員総選挙が公示され、長野1区からは篠原、自民党現職の若林、日本維新の会新人の若狹清史の計3人が立候補した[46]。10月17日から18日にかけて各紙は序盤情勢を発表。読売新聞は「篠原と若林が互角」と報じ[47]、毎日新聞は「若林と篠原が横一線」と報じた[48]。10月18日、若林陣営のある県議は中野市で行われた街頭演説で「言っちゃ悪いが、相手は76歳だ」と篠原の年齢を批判した。篠原は同日の取材に「私にはカネも女性も問題がないから、それしか批判することがないのだろう」と述べた[49]。自民党は裏金問題や統一教会問題、10月23日に発覚した非公認候補への2000万円支給問題などで逆風が吹き荒れた[50][51][52][53]。10月27日、総選挙執行。投票締め切りの20時[50]直後に信濃毎日新聞は篠原の当選確実を報じ[54]、篠原は8期目の当選を果たした。裏金議員として比例重複が認められなかった若林[55]は議席を失った。若狭清史は比例復活もならず落選した[56][57]。
第51回衆議院議員総選挙を前に立憲民主党と公明党の衆議院議員による新党「中道改革連合」に参加したが、2026年2月8日の投開票の結果、自民党の好調と中道の不振もあり、自民の若林に敗れ、維新から若狭が比例復活した一方、篠原は比例復活もならず落選した[58]。選挙後、次の選挙には立候補しない予定であることを表明した[59]。
政策・主張
活動
旧統一教会との関係
安倍晋三銃撃事件の動機とされる政治家と統一教会との癒着問題を受け立憲民主党が所属議員の調査(「立憲民主党の旧統一教会とのかかわり調査結果[67]」)では、2004年長野県の「ホテル国際21」で開催された平和統一聯合の会合に祝電を送っていたことが明らかになった。
『やや日刊カルト新聞』にて、2016年開催の天宙平和連合「祖国郷土還元日本大会」に祝電を送った旨の報道(2017年10月26日当時のアーカイブ[68])があったが、このイベント自体開催された痕跡がなく、「立憲民主党の旧統一教会とのかかわり調査結果」の中では『やや日刊カルト新聞』の「事実誤認」とされた。なお『やや日刊カルト新聞』からも篠原に関する記述は削除されている(2022年9月現在[69])。篠原自身もブログで祝電を打っていないことを明らかにしている[70]。
人物
訴訟
選挙歴
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 比当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 55 | 長野県第1区 | 民主党 | 11万1821票 | 42.58% | 1 | 2/3 | 1/5 |
| 比当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 57 | 長野県第1区 | 民主党 | 12万1185票 | 40.82% | 1 | 2/3 | 3/4 |
| 当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 61 | 長野県第1区 | 民主党 | 16万1543票 | 51.27% | 1 | 1/4 | |
| 当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 64 | 長野県第1区 | 民主党 | 8万9400票 | 36.60% | 1 | 1/4 | |
| 当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 66 | 長野県第1区 | 民主党 | 9万6333票 | 45.82% | 1 | 1/4 | |
| 当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 69 | 長野県第1区 | 無所属 | 13万1883票 | 54.06% | 1 | 1/4 | |
| 比当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 73 | 長野県第1区 | 立憲民主党 | 12万1962票 | 48.71% | 1 | 2/2 | 2/3 |
| 当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 76 | 長野県第1区 | 立憲民主党 | 10万5231票 | 46.26% | 1 | 1/3 | |
| 落 | 第51回衆議院議員総選挙 | 2026年 2月 8日 | 77 | 長野県第1区 | 中道改革連合 | 8万6458票 | 36.80% | 1 | 2/3 | 8/4 |
所属団体・議員連盟
- 立憲フォーラム(呼びかけ人)
- 食の安全・安心を創る議員連盟(会長)
- 有志議員による建設職人の安全・地位向上推進議員連盟(会長代行)
