施分別経
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登場人物
14の布施の対象と果報
- 畜生 - 100の果報
- 破戒の凡夫 - 1,000の果報
- 持戒の凡夫 - 100,000の果報
- 外道であっても諸々の欲望から離脱した行者 - 百千倶胝の果報
- 預流果に向かって修行する者 - 無数無量の果報
- 預流果の聖者 - 不可説の果報
- 一来果に向かって修行する者 - 不可説の果報
- 一来果の聖者 - 不可説の果報
- 不還果に向かって修行する者 - 不可説の果報
- 不還果の聖者 - 不可説の果報
- 阿羅漢果に向かって修行する者 - 不可説の果報
- 阿羅漢の聖者 - 不可説の果報
- 独覚 - 不可説の果報
- 仏陀 - 不可説の果報
7つの布施の対象となる集団と破戒者が混じった僧伽
- 仏陀在世中、仏陀を上首とする比丘・比丘尼の両僧伽 - 無数無量の果報
- 仏陀の滅後の比丘・比丘尼の両僧伽 - 無数無量の果報
- 比丘僧伽 - 無数無量の果報
- 比丘尼僧伽 - 無数無量の果報
- 比丘、比丘尼を人数を指定しての布施 - 無数無量の果報
- 比丘を人数を指定しての布施 - 無数無量の果報
- 比丘尼を人数を指定しての布施 - 無数無量の果報
- 未来において聖者の袈裟を首に掛けた悪法・破戒者(名ばかりの沙門)が現れるが、彼らが混ざった聖者の僧伽[2]に対して(gotrabhuno kāsāvakaṇṭhā dussīlā pāpadhammā, tesu dussīlesu saṅghaṃ)、人数を指定しての布施 - 無数無量の果報
個人よりも集団への布施の優位
- 「実に、阿難よ、いかなる法門によっても、我は僧伽への布施よりも、個人への布施がより大いなる果報があるとは説かない」
(Na tvevāhaṃ, ānanda, kenaci pariyāyena saṅghagatāya dakkhiṇāya pāṭipuggalikaṃ dānaṃ mahapphalataraṃ vadāmi.)