明治大学付属世田谷中学校・高等学校

東京都世田谷区にある中高一貫校 From Wikipedia, the free encyclopedia

明治大学付属世田谷中学校・高等学校(めいじだいがくふぞくせたがやちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区松原に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校高等学校2026年4月1日に明治大学の系列校となり、男女共学化した。

過去の名称 東京英語学校
尋常中学私立日本中学校
日本中学校
日本学園中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人日本学園
設立年月日 1885年
概要 明治大学付属世田谷中学校・高等学校, 過去の名称 ...
明治大学付属世田谷中学校・高等学校
北緯35度39分54.3秒 東経139度38分56秒
過去の名称 東京英語学校
尋常中学私立日本中学校
日本中学校
日本学園中学校・高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人日本学園
設立年月日 1885年
創立者 杉浦重剛
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型(外部混合一部あり)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C113311200203 ウィキデータを編集(中学校)
D113311200238 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 13656F
所在地 156-0043
東京都世田谷区松原二丁目7番34号
外部リンク 明治大学付属世田谷中学校・高等学校
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高等学校において、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間で、混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校

概要

杉浦重剛増島六一郎、宮崎道正らが、共に国粋運動政教社同人であった千頭清臣谷田部梅吉松下丈吉らに要請され[1]1885年明治18年)、東京府神田区神田錦町東大予備門進学予備校として「東京英語学校」を開設する[注 1]。杉浦を創立者に初代学校長を増島が務めた。

沿革

略歴

1885年明治18年)創立の東京英語学校が前身に当たる。創立者は杉浦重剛、初代学校長は増島六一郎であった。同じ敷地の門を挟んだ所に、増島が同日に設置を申請した英吉利法律学校(現在の中央大学)があり、校舎も共有していた。当初は、共立学校(現在の開成中学校・高等学校)や成立学舎などを抑えて第一高等中学校(帝国大学予科、後の第一高等学校、現在の東京大学教養学部)への進学者数トップ校として知られていた[1][注 2]

1891年(明治24年)の中学校令一部改正に合わせ、校名を「尋常中学私立日本中学校」として進学予備校から尋常中学校となるが、同中学校令改正による官公立尋常中学の設立要件緩和の影響により、私立校は軒並み生徒が集まらなくなった[注 3]。その後火災で校舎を焼失し、翌1892年(明治25年)、半蔵門近傍の東京府東京市麹町区山元町(現在の東京都千代田区)で再建する。この頃、中村正直の死にあたり同人社を引き取る形で吸収する。

1899年(明治32年)、「日本中学校」と改称。1936年昭和11年)に現在の世田谷区松原へ移転し、戦後に日本学園中学校・高等学校となった。

杉浦は、欧化一辺倒に流れる中でも伝統の創造的継承を基本課題とし、官学を越える国威発揚を教育目標とした。他方で上級学校への進学にも適応し、明治半ばから後半にかけて一高進学者数が獨逸学協会(現在の獨協中学校・高等学校)や東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)などと並び常に上位に位置していたという進学名門校であった[1]

しかし、その当時のどの私学にも見られたように資金面で苦慮し、また 國學院(現在の國學院大學)や哲学館(現在の東洋大学)など日本主義をもつ伝統派の大学がそうであったように近代化の過程で教育面における国威発揚や伝統の創造的継承にも成功してきたとはいえず[3]、明治後半以降から徐徐に上級学校への進学力も落としていくこととなる[4]

日本大学とは無関係だが、中央大学とは設立経緯や当初は東京英語学校から英吉利法律学校へ無試験入学が許可されたように交流があった。

2007年度から、高等学校に「特別進学コース」を設置する。翌2008年度から柔道講道学舎の塾生を中学校・高等学校ともに受け入れを開始した(なお、明治大学付属世田谷中学・高等学校ではコース制は廃止されている)。

2012年3月、明治大学と高大連携協定を締結。2026年4月1日に明治大学の系列校として「明治大学付属世田谷中学校・高等学校」に改称し、男女共学[5]

年表

東京英語学校(神田錦町)

教育

創発学

大学予備門第一高等学校 (旧制)の前身)校長などを務めた杉浦重剛は、国を作る上で確かな人格を持った人材の育成が不可欠であると考え、本校の前身にあたる東京英語学校を創立し、「人は得意な道で成長すればよい」という理念の下、卒業生には政財界、文化芸術界、学術界など、各界の錚々たるメンバーが名を連ねる[6]。その理念を継承し、現在では独自プログラムとして“創発学”を掲げ、多くのリアルな体験を通じて主体的に考える力を養い、自分の力で新しいものを生み出す創造力や、内面成長、社会で活躍するために必要な非認知能力などを育むとしており、外部アセスメントを併用した、SELEQGRITといった指標での可視化なども行われている。

国際理解教育

語学留学国際理解教育では、自国の文化を十分に理解した上で海外の文化に触れるカリキュラムにより構成されているMGP(明大世田谷グローカルプログラム)により、中学3年時に全生徒がオーストラリア語学研修に参加する他、高校1年時の3か月間のターム留学(希望制)や、オックスフォードなどでの語学留学プログラム、ブリティッシュヒルズ、TGGでの研修なども設置されている。 更に、明治大学付属明治高等学校・中学校を中心に、明治大学付属中野中学校・高等学校明治大学付属八王子中学校・高等学校の3校が8月に開催している明大系列校グループでの合同英語プログラム『Global Affairs Program』にも参加。合宿で国際問題をテーマに英語で学び、伝える研修や、模擬国連として各国の代表となり、それぞれの抱える問題を指摘しながら即時に情報を調べて応答するといったプログラムなどにより切磋琢磨する機会が与えられている。

理数教育

総合私立大学の付属校では文系学部進学者の割合が高いとされるが、明治大学及び国公立大学を含めた理系学部志望者用のクラスを学年全8クラスの内、3クラス以上設ける方向で検討がなされ、他の私大付属校との差別化が図られている[7]。また、生徒に具体的な専門性イメージをもたせるべく、明治大学の理数系3学部(理工学部農学部総合数理学部)の研究室訪問などが用意されている。2026年に新設された5号館には生物化学物理地学の各実験室IT教育用のマルチメディア室が設置され、更に中学生時代から科学的興味を育む環境を設けるべく、クラブ活動としてサイエンスプロジェクト同好会や数学クラブなどが運営されている。

進路

2029年度より、明治大学への約200人の進学枠が設定される(1学年の全定員は280人)。また、国公立大を受験する場合は明治大の推薦権を保持したまま併願が可能である。約3割の生徒が外部受験することを想定し、私大付属校ながら全生徒が実質的に国公立大の受験が可能となるカリキュラムが設定されている。

施設

都心からほど近い世田谷の閑静な住宅街に、緑豊かな巨樹に覆われたキャンパスを構える。1号館は本学OBである今井兼次設計による建築であり、国の登録有形文化財に登録されている。東京ドームのプレイグラウンドと同等の広さのグラウンドや、テニスコート3面とフットサルコートのある中庭池原義郎の設計による体育館などが配置されている。

5号館は各フロアにラーニング・コモンズが設けられ、大型モニター併設の「ランチ・アンド・スタディルーム」では大学教授の出張講座英語映画鑑賞する勉強会などが行われている。自学自習施設SLCには、私語厳禁の「サイレント自習室」や大学生メンターが常駐し学習計画の立て方や勉強法のアドバイスを行う「メンタールーム」などがおかれている。「創発学」の特別教室である“創発のアトリエ”では、昼休みや放課後にALTの先生と英会話を楽しめるイングリッシュラウンジなどが開かれている。

制服

2026年の男女共学化に伴い、男女ともブレザースタイルの制服が採用されたが、女子はスカートタイプに加えスラックスタイプや、カラーパターンなども含め多彩なバリエーションから選択可能となっている[8]

交通

明治大学付属世田谷中学校・高等学校の位置(東京都内)
明治大学付属世田谷中学校・高等学校

※駐輪施設を完備しており、10km圏内の場合は自転車通学が可能

関連事項

同人社

明治六大教育家に挙げられる中村正直1873年明治6年)に開設した私塾。同じく六大教育家として挙げられる、福澤諭吉慶應義塾(現:慶應義塾大学)、近藤真琴攻玉塾(現:攻玉社中学校・高等学校)とともに三大義塾と称された。1889年明治22年)、杉浦重剛河島醇東京英語学校関係者に経営が委ねられ[9]、中村の死後に本校の前身校である東京英語学校に併合された。出身者には、三島彌太郎(第8代日本銀行総裁)、徳川家達徳川宗家第16代当主)、井口省吾陸軍大将)などがいる。

政教社

1888年明治21年)に設立された日本の代表的な国粋主義的政治評論・文化団体であり、当時の過度な欧化主義を批判し、日本の伝統や精神を重んじる「国粋保存主義」を掲げた。三宅雪嶺志賀重昂杉浦重剛井上円了など、東京英語学校系の人物を多数含む同人により結成され[10]、『日本人』(のちに『日本及日本人』へと改題)や『亜細亜』を発行するなど優れた言論活動を展開し、徳富蘇峰の『国民之友』などを発行した民友社(平民主義・欧化主義的)と共に、明治時代の思想界を二分する影響力を誇った。

講道学舎

1975年に元陸軍少佐で実業家の横地治男東京都駒沢に開設した柔道の私塾。私財を投じて日本柔道復興に尽力し、4名のオリンピック金メダリスト、6名の世界柔道選手権優勝者を輩出した。1977年にはジョン・レノンオノ・ヨーコ夫妻が来訪している[11]。日本学園では2008年度から閉塾するまでの数年間に亘り、講道学舎の塾生を受け入れた。

エピソード

著名な関係者

※前身校の関係者を含む[12][13]

教職員

出身者

同窓会の名称は「梅窓会」である。校祖・杉浦重剛雅号に因む[14]

学術界

政官界

軍事

法曹界

財界

文化・芸術

作家・ジャーナリスト

芸能

スポーツ

その他

脚注

関連項目

外部リンク

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