東京都第23区

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行政区域 町田市
(2024年1月1日現在)
設置年 1994年
2017年2022年区割変更)
選出議員 川松真一朗
日本の旗東京都第23区
行政区域 町田市
(2024年1月1日現在)
比例区 東京ブロック
設置年 1994年
2017年2022年区割変更)
選出議員 川松真一朗
有権者数 361,911人
1.634 倍(一票の格差鳥取1区との比較)
総務省・2025年9月1日)
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東京都第23区(とうきょうとだいにじゅうさんく)は日本衆議院議員総選挙における選挙区1994年平成6年)の公職選挙法改正で設置。

現在の区域

2022年(令和4年)公職選挙法改正以降の区域は以下のとおりである[1][2]。多摩市の部分は30区に移行した。これにより、東京都の多摩地区で唯一の単一自治体で構成される選挙区となった。

2017年から2022年までの区域

2017年(平成29年)公職選挙法改正から2022年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3][4]。2017年の区割り変更により、多摩市の一部が本区から21区へ移行した。

2017年以前の区域

1994年(平成6年)公職選挙法改正から2017年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[5]

  • 町田市
  • 多摩市

歴史

中選挙区制度における旧東京都第11区時代より、長年自民党伊藤公介が議席を守ってきた。民主党は2000年の第42回衆議院議員総選挙で前回比例単独候補であった石毛鍈子が支部長となり選挙戦を戦うも、いずれも伊藤の牙城を崩す事が出来ず、2回の比例復活当選に留まった。

しかし、伊藤の周辺で第44回衆議院議員総選挙直後の2005年11月頃に表面化した構造計算書偽造問題に始まり、伊藤自身の企業癒着や政治資金絡みなど諸問題が相次いだこと、また自民党に対する全国的な逆風の影響もあり、2009年の第45回衆議院議員総選挙では、石毛に代わって民主党から擁立された櫛渕万里に敗れ、比例復活も出来ず小選挙区移行以来の議席を失った。民主党の同区での勝利は2009年が初めてであり、支部長を退いた石毛も比例単独候補に回り、民主党圧勝の恩恵を受けて議員に返り咲いた(石毛は任期限りで一旦退き、その後の第47回衆議院議員総選挙に比例単独で立候補も落選した)。

代わって民主党に逆風が吹いた第46回衆議院議員総選挙では、保守陣営が伊藤公介に代わって自民党の公認を得た小倉將信と、日本維新の会の公認を得た伊藤公介の子息である俊輔(父の公介も政界からは退いたが、日本維新の会に加わる)などに分裂したが、小倉が前職の櫛渕らを破り、初めて当選した。2014年の第47回衆議院議員総選挙でも、小倉と櫛渕、さらに維新の党に変わった伊藤俊輔らの構図となったが、引き続き小倉が勝利し、野党票が分散した櫛渕、伊藤俊輔は落選した。

2017年の第48回衆議院議員総選挙では、櫛渕と伊藤は希望の党に参加した事で候補者調整が必要となり、櫛渕は千葉3区に移動(結果は落選)し伊藤が公認となったが、小倉が勝利する一方で伊藤は比例復活で初めて議席を得た。伊藤はその後旧国民民主党を経て、立憲民主党に入党。2021年の第49回衆議院議員総選挙では野党側の選挙協力により、小倉と伊藤の一騎打ちとなり接戦となったが、小倉が約7千票差で逃げ切り、伊藤は前回同様に比例復活で議席を得ている。

2024年の第50回衆議院議員総選挙では小倉が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)後遺症の影響から体調不良により立候補を断念[6][7]し、自民党は元東京都議会議員だった吉原修を急遽擁立したが、伊藤が4万票あまりの差を付け、初めて小選挙区で当選を果たした。吉原は比例復活も果たせず、自民党は2009年以来の2度目となる議席を喪失している。

2026年の第51回衆議院議員総選挙では自民党は、元テレビ朝日アナウンサーで墨田区選出の前東京都議会議員であった川松真一朗が、支部長前任の吉原の推薦を受ける形で国替えし立候補。自民党への追い風を受ける形で川松が初当選を果たした[8]。一方、立憲民主党から中道改革連合に合流した伊藤は約2万2千票差を付けられて小選挙区、重複立候補していた比例東京ブロックでも議席を得られず落選した。

選出議員

選挙結果

脚注

関連項目

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