田和廉
From Wikipedia, the free encyclopedia
プロ入り前
小学2年生の時に伏見桃山クラブで見桃山クラブで野球を始める。京都市立伏見中学校所属時は京都ベアーズに所属していた[2]。
卒業後は練習風景に感銘を受けたこと、斎藤佑樹に憧れていたことなどから、早稲田実業高等部に進学[3]。1年夏からベンチ入りこそ果たしたが、甲子園出場はなかった[2]。
早稲田大学野球部では2年春にリーグ戦デビュー。最速152km/hを記録するも、登板4試合目で右肘靱帯を断裂[4]。6月にトミー・ジョン手術を受けた[5]。実戦復帰は3年秋の9月14日までずれ込んだ[6]。同年秋のリーグ戦では8試合に登板し、うち6試合は最終回に登板。9回1/3を投げて防御率0.96と結果を残した[7]。4年時には春に埼玉西武ライオンズの三軍との試合に先発登板し、4回1失点、6奪三振の好投を見せた[8]。本人曰くこの時3学年先輩の蛭間拓哉から三振を奪ったことが自信につながったという[7]。9月11日にプロ志望届を提出[9]。最終的に大学では通算29試合に登板し、2勝1敗、防御率2.08を記録[10]。ほとんどが救援登板で、先発登板はわずか1試合だった[2]。
2025年のドラフト会議で、読売ジャイアンツからドラフト2位で指名を受けた[5]。11月21日に入団交渉に臨み、契約金7000万円、年俸1200万円で入団に合意した(金額はいずれも推定)[1]。背番号は30[1]。担当スカウトは円谷英俊[5]。大学までは救援投手であったが、プロでは先発投手に挑戦する[11]。