足緘
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取は受の足元に仰向けに倒れて、受の右足を左脇に抱える。取は左脚を受の両脚の間に差し入れて、受の右脚の後、外側、前、内股へと絡める。取は受を取の右側に横倒しにして、左脚を伸ばすようにして受の右膝を極める。
ライターの工藤雷介によると、明治20年(1887年)から明治30年(1897年)ごろ、古流の柔道家が講道館の猛者たちを散々、足緘で苦しめる。しかし、少年時代に真楊流戸塚派を学んだ仙台の高橋喜三郎は1905年(明治38年)か1906年ごろ、足緘を知らず足緘で2回ほど負けた[2]。
1910年(明治43年)、旧制高等学校の一高と二高の対抗戦で足緘が使用され一高選手が膝関節を脱臼した。しかし、高専柔道においてはしばらく使用された[要出典]。一方、『月刊秘伝』誌は以後、高専柔道審判規程で足緘が禁じ手となった、としている[3]。1921年までには禁止技となった。1921年7月の第8回全国高専大会で膝十字固めが初めて使用され、禁止技の足緘ではないかと乱闘寸前の騒動となっている[4]。
講道館紅白試合では脱臼事故の翌年、1911年(明治44年)10月15日を最後に足緘が禁止に[4][3]。講道館柔道試合審判規定において足緘は1916年に禁止となった[3][5]。大日本武徳会柔術試合審判規定では書籍『柔道大事典』によると1899年[6]、書籍『大日本武徳会武道専門学校一覧』によると1924年(大正13年)4月までに[7]、書籍『最新スポーツ大事典』によると1925年に禁止となる[1]。書籍『秘録日本柔道』は禁止になったのは講道館の前後だとしている[4]。
ブラジリアン柔術では国際ブラジリアン柔術連盟、国際柔術連盟ともに禁止技である。サンボでも禁止技である。1975年の書籍『秘録日本柔道 改訂普及版』は、サンボでは今でも試合で使用されているとしている[8]。1950年に日本で旗揚げした国際柔道協会のプロ柔道でもライターの増田俊也によると禁止技であった。その審判規定も引用して示している[9]。一方で書籍『秘録日本柔道』は解禁になったとしている[10]。
変化
補足
柔道界などでもハーフガードポジションのことを「足緘」、「足搦み」などと呼ぶ場合があるが異なる技である。