フランスの歴史年表

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フランスの歴史年表(フランスのれきしねんひょう)は、フランスおよびその前身で起きた重要な事件を記す。これらの事件の背景についてはフランスの歴史を参照。またフランス君主一覧フランスの大統領も参照。

日付事件
260年ポストゥムスが自立してガリア帝国を打ち立て、帝国属州ガリアゲルマニアブリタンニアヒスパニアを支配した。これらの属州は3世紀の危機によりローマ帝国から分離した。
274年シャロン・スュル・マルヌの戦いローマ帝国ガリア帝国に勝利し、ガリアはローマ帝国へ再統合された。
297年サリ族バタウィー族の居住地に住むことを許された。

5世紀

日付事件
418年ホノリウス西ゴート族ガリア・アクィタニアを与えた。西ゴート王国が成立、ワリアテオドリック1世父子が相次いで即位した。
426年サリ族の初代の王クローディオが即位。
448年クローディオ死去、メロヴィクスが後を継ぐ。
451年6月20日カタラウヌムの戦い西ローマ帝国テオドリック1世率いる西ゴート王国軍、フランク族などの連合軍がフン族を撃退し、フン族のガリア征服は免れた。しかしこの戦いでテオドリック1世が戦死、子のトリスムンドが王位を継承した。
453年テオドリック2世が兄のトリスムンドを殺害し西ゴート王国の王に即位した。
457年メロヴィクス死去、子のキルデリク1世が後を継ぐ。
ローマ帝国ガリアにおける最後の地域であるソワソン管区が設立され、アエギディウスマギステル・ミリトゥム(軍司令官)に任命された。
462年西ローマ帝国セプティマニア西ゴート王国に割譲される。
463年アエギディウスキルデリク1世オルレアン西ゴート族を撃破。
464年アエギディウス死去、子のシアグリウスマギステル・ミリトゥムの位を継いだ。
465年キルデリク1世死去、クローヴィス1世が後を継いだ。
466年テオドリック2世が弟のエウリックに殺害される。エウリックは西ゴート王国の王に即位、ローマからの独立を宣言し、イベリア半島の南部まで勢力圏を広げた。
485年エウリック死去、子のアラリック2世が王位を継承した。
486年ソワソンの戦いクローヴィス1世フランク軍シアグリウスを撃破し、ソワソン管区を併合。シアグリウスは西ゴートアラリック2世の宮廷に逃れ庇護を求めたが、捕らえられてクロヴィスに引き渡され、翌年に殺された。

6世紀

日付事件
507年ヴイエの戦いクローヴィス1世西ゴートアラリック2世を破り、ガリア・アクィタニアを獲得。これが現代のフランスの基礎となった。
511年11月27日クローヴィス1世死去、4人の息子が遺領を分割し、キルデベルト1世パリを、クロタール1世ソワソンを、クロドメールオルレアンを、テウデリク1世ランスアウストラシア)を相続した。
524年6月25日ヴェズロンスの戦いクローヴィス1世の息子の連合軍がブルグントゴドマール2世に大勝した。しかし、オルレアンの王クロドメールが戦死した。
ネウストリアの王クロタール1世クロドメールの長男テオドバルドと次男グンタールを殺害し、末息子クロドアルドも逃亡。相続人のいなくなったオルレアン王国はクロタール1世とキルデベルト1世の間で分割された。
534年テウデリク1世死去、子のテウデベルト1世アウストラシア王位を継承。
547年テウデベルト1世死去、子のテオデバルドアウストラシア王位を継承。
555年テオデバルド死去、アウストラシアクロタール1世に併合された。
558年12月13日キルデベルト1世死去。弟のクロタール1世がその領地を相続し、クローヴィス1世が作り上げたフランク王国を再統一した。
561年11月29日クロタール1世死去、4人の息子が遺領を分割し、カリベルト1世パリを、グントラムブルグント王国を、シギベルト1世アウストラシアを、キルペリク1世ネウストリアを相続した。
567年11月パリの王カリベルト1世が死去。後継者がなく、領地は3人の弟たちに分割された。
575年アウストラシアの王シギベルト1世が死去、子のキルデベルト2世が王位を継承。
584年9月ネウストリアの王キルペリク1世が暗殺された。生後4ヶ月の遺児クロタール2世が継承し、その母フレデグンドが摂政となった。
592年1月28日ブルグントグントラムが死去、養子のキルデベルト2世が継承した。
595年キルデベルト2世死去、遺領は2人の息子が相続した。テウデベルト2世アウストラシアの王になり、テウデリク2世ブルグント王になった。
597年12月28日フレデグンドが死去し、ネウストリアの王クロタール2世が13歳で親政した。

7世紀

日付事件
612年アウストラシアの王テウデベルト2世が暗殺され、ブルグントテウデリク2世が継承した。
613年テウデリク2世死去、庶子シギベルト2世が短期間王位を継承した。
クロタール2世シギベルト2世を処刑し、フランク王国を統一した。
623年クロタール2世ダゴベルト1世アウストラシア王に任命した。
629年クロタール2世死去。その死後に交わされた協定により、ダゴベルト1世ネウストリアの王位を継承、異母弟のカリベルト2世アキテーヌを継承した。
632年4月8日カリベルト2世が死去したが、兄のダゴベルト1世が暗殺を指示したとされている。生後間もない子キルペリク・ダキテーヌが継承したが、すぐにダゴベルト1世に暗殺された。ダゴベルト1世はアキテーヌを獲得、フランク王国を統一した。
639年1月19日ダゴベルト1世死去、子のシギベルト3世アウストラシア王になり、クローヴィス2世がネウストリアとブルグントの王になる。二人とも政治力が弱く、宮宰の台頭を許すきっかけとなった。
655年クローヴィス2世死去、子のクロタール3世が継承。
656年2月1日シギベルト3世が死去、キルデベルト養子王が継承。
661年キルデベルト養子王が死去、クロタール3世が遺領を継承してフランク王国を再統一した。
673年クロタール3世死去、遺領は2人の弟に分割された。キルデリク2世アウストラシア王になり、テウデリク3世ネウストリア王になった。キルデリク2世はすぐにネウストリアを侵攻し併合、フランク王国を統一。
675年キルデリク2世が殺害され、テウデリク3世が再びネウストリアを獲得。アウストラシアクロタール3世の庶子クローヴィス3世が継承。
676年クローヴィス3世が死去、テウデリク3世が遺領を相続したことによりフランク王国を再統一。
691年テウデリク3世が死去、子のクローヴィス4世が継承。
695年クローヴィス4世が死去、弟のキルデベルト3世が継承。

8世紀

日付事件
711年4月23日キルデベルト3世が死去、子のダゴベルト3世が継承。
715年ダゴベルト3世が死去、キルデリク2世の末子キルペリク2世が継承。
721年2月13日キルペリク2世が死去、ダゴベルト3世の子テウデリク4世が継承。
732年10月10日トゥール・ポワティエ間の戦いウマイヤ朝カリフヒシャームの侵攻がフランク王国宮宰カール・マルテルに食い止められる。
737年テウデリク4世死去。彼は後継者指名をせず、カール・マルテルは王位継承を阻止した。
741年10月22日カール・マルテルが死去、宮宰の位と領地は2人の子カールマンピピン3世に分割された。
743年7年間の空位の末、キルデリク3世がフランク王に即位。しかし、実権はピピン3世に握られた。
747年8月15日カールマン宮宰を辞し、修道院に隠棲した。ピピン3世が代わりの宮宰になった。
751年メロヴィング朝最後の国王キルデリク3世が退位させられた。ピピン3世が戴冠し、カロリング朝を開いた。
768年9月24日ピピン3世死去。
10月9日ピピン3世の子シャルルマーニュカールマン1世がそれぞれフランク王国の半分を相続、二人ともフランク王に即位した。
771年12月4日カールマン1世死去、シャルルマーニュが遺領を相続。
774年シャルルマーニュがランゴバルド王国の首都パヴィアを占領、ランゴバルド王を兼ねるに至った。
795年シャルルマーニュスペイン辺境領フランク王国アル=アンダルスの緩衝地帯として設置した。

9世紀

日付事件
800年12月25日ローマ教皇レオ3世シャルルマーニュインペラートルアウグストゥスとして戴冠した。
811年アイデル河畔の平和:シャルルマーニュとデンマーク王ヘミングの間で結ばれ、フランク王国デンマーク王国の国境をアイダー川に定めた。
812年後ウマイヤ朝アミールハカム1世がフランク王国の侵攻を追認。
814年1月28日シャルルマーニュ死去、唯一生存していた男子ルイ1世敬虔王が帝国を相続した。
840年6月20日ルイ1世敬虔王死去。長子のロタール1世が弟のルートヴィヒ2世ドイツ人王シャルル2世禿頭王を抑えてフランク王国の帝位についた。
843年ヴェルダン条約ルートヴィヒ2世ドイツ人王シャルル2世禿頭王が手を結び、ロタール1世に勝利したためロタールが妥協した。その結果、フランク王国は分割され、シャルル2世は西フランク王国を、ロタール1世は中フランク王国とフランク王位を、ルートヴィヒ2世は東フランク王国を、それぞれが得た。西フランク王国と東フランク王国は現在のフランスドイツの礎となった。
875年12月29日ローマ教皇ヨハネス8世がシャルル2世に対してローマ皇帝の戴冠を行った。
876年10月8日アンデルナハの戦いルートヴィヒ2世ドイツ人王が亡くなった後、遺領の侵略を目論むシャルル2世禿頭王アンデルナハカールマン2世らルートヴィヒ2世の遺児に敗北。
877年10月6日カールマン2世の大軍を避けて北イタリアから撤退している最中、シャルル2世が病死。子のルイ2世吃音王西フランク王位を継承。
879年4月10日病弱なルイ2世吃音王が死去、子のルイ3世カルロマン2世がともに王位に選出された。
880年3月ルイ3世カルロマン2世アミアンで王国の分割についての条約に署名。ルイ3世はニュストリアを、カルロマン2世はブルゴーニュアキテーヌを獲得。
882年8月5日ルイ3世死去、カルロマン2世が単独王になる。
884年12月12日カルロマン2世死去、すでに東フランク王国の国王に即位していたシャルル肥満王が西フランク王国も継承、フランク王国全体を一時的に統一。
888年1月13日シャルル肥満王が嫡子のないまま死去。フランク王国は再び分割され、これ以降統一されることはなかった。
2月パリ包囲戦ノルマン人を撃退したウードが西フランク王に即位。また、ポワティエ家ラヌルフ2世アキテーヌ公に即位。
898年1月1日ウードが死去。子等は全員早逝したため、ルイ2世吃音王の遺児シャルル3世単純王が西フランク王に即位、カロリング朝が復活した。

10世紀

日付事件
911年サン=クレール=シュール=エプト条約シャルル3世ノルマン人ロロ徒歩王の間で締結され、ノルマンディー公国が創設された。
922年シャルル3世が貴族反乱で廃位され、ウードの弟ロベール1世が王に選出された。
923年6月15日ソワソンの戦いロベール1世の娘婿、ブルゴーニュ公ラウールがシャルル3世を捕えたが、ロベール1世自身は戦死した。ラウールが西フランク王に選出され、ブルゴーニュ公は弟のユーグ黒公が継いだ。
936年1月15日ラウール死去、シャルル3世の子ルイ4世が王位を継承した。
954年9月10日ルイ4世死去、子のロテールが継承した。
986年3月1日ロテール死去、子のルイ5世怠惰王が継承した。
987年5月21日ルイ5世が死去。継嗣が無く、カロリング朝はここで断絶した。ユーグ・カペーが貴族の血統と軍事の成功で国王に選出され、カペー朝の始まりとなった。
996年10月24日ユーグ・カペー死去、子のロベール2世が王位を継承した。

11世紀

日付事件
1004年ロベール2世ブルゴーニュ公国を併合。
1031年7月20日ロベール2世が息子の反乱で戦死。アンリ1世が王位を継いだが、末弟のロベール1世が反対し、反乱を起こした。
1032年アンリ1世が弟のロベール1世にブルゴーニュ公国を与えることで和解した。
1060年8月4日アンリ1世死去、7歳の子フィリップ1世が王位を継いだ。その母アンヌ・ド・キエヴが摂政を務めた。
1066年フィリップ1世が成人。

12世紀

日付事件
1108年7月29日フィリップ1世死去、子のルイ6世肥満王が継承。
1131年10月25日ルイ6世の子ルイ7世が共同王位についた。
1137年7月22日エレオノール・ダキテーヌとの結婚によりルイ7世アキテーヌ公になった。
8月1日ルイ6世肥満王死去、子のルイ7世若年王が継承。
1152年3月21日ルイ7世エレオノール・ダキテーヌの結婚の無効が宣言された。
1180年9月18日ルイ7世死去、子のフィリップ2世が継承した。

13世紀

日付事件
1214年7月27日ブーヴィーヌの戦いフランス王国軍がイングランド王国フランドル伯などの連合軍に勝利、アンジューブルターニュメーヌノルマンディートゥーレーヌの広大な領地を得た。
1223年7月14日フィリップ2世死去、子のルイ8世獅子王が継承した。
1226年11月8日ルイ8世獅子王死去、子のルイ9世聖王が継承した。
1241年6月ルイ9世が弟のアルフォンスポワティエ伯に就かせた。子のヘンリー3世が継承する予定だったため、イザベル・ダングレームが激怒した。
1242年5月20日サントンジュ戦争イザベル・ダングレームの主張を支持してヘンリー3世が出兵したが、大敗。
1270年8月25日ルイ9世死去、子のフィリップ3世大胆王が継承した。
1285年10月5日フィリップ3世死去、子のフィリップ4世が継承。
1297年ローマ教皇ボニファティウス8世ルイ9世列聖。そのためルイ9世は聖ルイとしても知られる。聖人に叙される唯一のフランス王となった。

14世紀

日付事件
1302年5月18日ブリュージュの朝課事件ブリュージュを追放されたフランドル市民が蜂起、フランス人を虐殺した。
7月11日金拍車の戦いフランドル伯がフランスの鎮圧軍に勝利、独立を得る。
1314年11月29日フィリップ4世死去、子のルイ10世強情王が継承。
1316年6月5日ルイ10世死去、王妃クレマンス・ド・オングリーが妊娠中だったため王弟フィリップ5世が摂政を務めた。
11月15日クレマンス・ド・オングリーが出産、男子だったためジャン1世遺児王としてフランス王に即位したが、5日後に夭折。フィリップ5世が王位を継承した。
1322年1月3日フィリップ5世死去。男児がなく、弟のシャルル4世が継承した。
1328年2月1日シャルル4世死去、娘しかいなかったためカペー朝は断絶した。従弟のフィリップ6世が継承し、ヴァロワ朝が開かれた。
1350年8月22日フィリップ6世死去、子のジャン2世が継承した。
1356年9月19日ポワティエの戦い:英仏百年戦争の主な戦いの一つであり、フランス軍が大敗北を喫した。
1357年三部会エティエンヌ・マルセルが提出した王権制限を目的とする大勅令が可決された。
1364年4月8日ジャン2世死去、子のシャルル5世が継承した。
1380年9月16日シャルル5世死去、子のシャルル6世が継承した。

15世紀

日付事件
1415年8月13日百年戦争 (1415年-1429年):ヘンリー5世率いるイングランド王軍が北フランスに上陸。
10月25日アジャンクールの戦い:イングランド軍が圧勝[1]
1418年5月30日ブルゴーニュ公国ジャン無怖公パリを占領、ドーファンのシャルル(後のシャルル7世)が逃亡。
1419年9月20日ジャン無怖公ドーファンの支持者に暗殺されたため、後を継いだフィリップ善良公はイングランドと同盟を結ぶ。
1420年5月21日ブルゴーニュ派シャルル6世トロワ条約を署名させ、後継者をイングランド王ヘンリー5世に定めた。
1422年8月31日ヘンリー5世死去、生後6ヶ月の子ヘンリー6世が後を継いだ。
10月21日シャルル6世死去。子のシャルル7世が王位継承を宣言し、ヘンリー6世と対立。
1453年7月17日カスティヨンの戦い百年戦争最後の戦いであり、決定的な勝利を得たフランスはイングランドの大陸領を没収、カレーのみ残した。
1461年7月22日シャルル7世死去、子のルイ11世が王位を継承。
1483年8月30日ルイ11世死去、子のシャルル8世が王位を継承。
1498年4月7日シャルル8世死去、子女がすべて夭逝していたため父ルイ11世の又従弟に当たるオルレアン公ルイ12世が継承した。

16世紀

日付事件
1508年12月10日カンブレー同盟戦争教皇領、フランス、神聖ローマ帝国アラゴンフェルナンド2世ヴェネツィア共和国の分割を目論んでカンブレー同盟を結成したが、ローマ教皇ユリウス2世とフランス王ルイ12世の不和で崩壊し、数度の離合集散の末、開戦前の状態に復帰する事が決定された。
1514年5月18日ルイ12世の娘、ブルターニュ女公クロードが王位継承者の筆頭アングレーム伯フランソワ1世と結婚した。
1515年1月1日ルイ12世死去、アングレーム伯フランソワ1世が継承した。
1524年7月20日ブルターニュ女公クロード死去、長子のフランソワ3世がブルターニュ公になる。
1532年フランソワ1世ブルターニュをフランス王領に併合。
1547年3月31日フランソワ1世死去、子のアンリ2世が継承した。
1559年7月10日アンリ2世死去、子のフランソワ2世が継承した。
1560年12月5日フランソワ2世死去、子供がなかったため弟シャルル9世が継承した。
1572年8月24日サン・バルテルミの虐殺で多数のプロテスタント貴族と市民が殺害された。
1574年5月30日シャルル9世死去、嫡子がなかったため弟アンリ3世が継承した。
1589年8月2日アンリ3世が暗殺された。アンリ3世に子供はなく、ここにヴァロワ朝が断絶。ブルボン家アンリ4世が王位を継承、ブルボン朝を開いた。
1598年4月13日アンリ4世ナントの勅令を発布し、ユグノー戦争を終わらせた。

17世紀

日付事件
1610年5月14日アンリ4世が狂信的なカトリック教徒のフランソワ・ラヴァイヤックに刺殺され、長子のルイ13世が8歳で王位を継承した。ルイ13世の母マリー・ド・メディシスが摂政を務めた。
1617年ルイ13世が母マリー・ド・メディシスを幽閉し、政治の実権を取り戻した。
1624年8月ルイ13世リシュリュー枢機卿を宰相に任命した。
1643年5月14日ルイ13世死去。子のルイ14世が5歳で即位し、マザラン枢機卿が摂政を務めた。
1648年8月フロンドの乱マザラン枢機卿パリ高等法院のメンバーを逮捕したことをきっかけに、民衆と法服貴族が蜂起。
10月24日三十年戦争ヴェストファーレン条約でフランスが興隆し、東部の領土を拡張した。
1659年11月7日フランス・スペイン戦争:フランスが勝利し、ピレネー条約でスペインからカタルーニャ北部とフランドルの一部を手に入れる。この条約でフランスの強国化とスペインの没落が明らかになった。
1668年5月2日アーヘンの和約ネーデルラント継承戦争を終結させ、スペインはフランスにリールなどフランドルの都市を割譲。
1678年ナイメーヘンの和約仏蘭戦争を終わらせ、スペインはフランスにフランシュ=コンテ地方エノー伯領の一部、およびフランドルの都市のいくつかを割譲。
1684年8月15日レーゲンスブルクの和約再統合戦争を終わらせ、スペインはフランスにリュクサンブール大公国を割譲。
1697年9月20日レイスウェイク条約:フランスとアウクスブルク同盟の間の大同盟戦争を終わらせた。

18世紀

日付事件
1701年7月9日カルピの戦いスペイン継承戦争の最初の戦闘で、オーストリア軍がカルピでフランス軍に勝利した。
1713年4月11日ユトレヒト条約スペイン継承戦争のフランスとイギリスの間の講和条約。この条約でフェリペ5世およびその子孫たちはフランス王の継承権を放棄し、フランス王位の継承権者はスペインの王位継承権を放棄した。
1714年3月7日ラシュタット条約スペイン継承戦争のフランスとオーストリアの間の講和条約。
1715年9月1日ルイ14世壊疽で病死。5歳の曾孫ルイ15世が即位、ルイ14世の甥オルレアン公フィリップ2世が摂政に就任。
1720年2月17日ハーグ条約四国同盟戦争を終わらせ、フェリペ5世はフランス王の継承権を再び放棄した。
1723年2月15日ルイ15世が親政を宣言。
1738年11月18日ウィーン条約ポーランド継承戦争を終わらせ、フランスはロレーヌ公国バール公国を得る。
1748年10月18日アーヘンの和約オーストリア継承戦争を終わらせた。フランスは特に得るところがなく、民衆の不満が高まった。
1763年2月10日パリ条約七年戦争を終わらせた。フランスはイギリスにカナダフランス領ルイジアナなど海外植民地の大半を割譲した。
1768年5月15日ヴェルサイユ条約ジェノヴァ共和国コルシカ島をフランスに割譲した。当時、ジェノヴァは債務に苦しまれてコルシカ独立戦争を鎮圧する余裕がなく、コルシカ島を抵当として一時フランスに割譲したが、その後も取り返せずコルシカはフランス領になった。
1774年5月10日ルイ15世が死去、孫のルイ16世が即位、
1778年2月フランスが13植民地の独立を承認、これによりアメリカ独立戦争に参戦した。この後、勝利したフランスは1783年のヴェルサイユ条約でイギリスと講和したが、セネガルしか得られず民衆の反発を巻き起こした。
1789年7月14日バスティーユ襲撃フランス革命が始まった。
1793年1月21日国民公会の決定によりルイ16世ギロチン斬首刑にされた。
6月2日国民公会ジャコバン派独裁が開始され、1年2ヶ月間の恐怖政治となった。
10月16日元王妃マリー・アントワネットギロチン斬首刑にされた。
1795年11月2日共和暦3年憲法の施行により国民公会が廃止され、総裁政府が成立。
1797年10月17日第一次対仏大同盟カンポ・フォルミオ条約によりフランスとオーストリアが講和。フランス革命の影響を最小限に留めたい各国の思惑により対仏大同盟が成立したが、フランスに撃破され停戦を余儀なくされた。
1798年7月7日擬似戦争アメリカ合衆国議会がフランスとの条約を破棄し、半ば公式な開戦となった。
1799年11月9日ブリュメール18日のクーデターナポレオン・ボナパルト将軍が総裁政府を倒し、統領政府を樹立した。

19世紀

日付事件
1801年2月9日第二次対仏大同盟リュネヴィルの和約によりオーストリアが講和。オーストリアロシア帝国を主とする対仏大同盟側が敗北し、オーストリアの脱落によりイギリスのみが交戦を続けることとなった。
1802年3月25日第二次対仏大同盟アミアンの和約によりフランスとイギリスが講和。
1803年5月2日ルイジアナ買収:フランスがフランス領ルイジアナを1500万ドルでアメリカ合衆国に売却、これによりフランスは北米大陸から完全に撤退した。
11月18日ハイチ革命ヴェルティエールの戦いロシャンボー子爵率いるフランス軍がジャン=ジャック・デサリーヌ率いる革命軍に降伏。
1804年1月1日ハイチ革命ジャン=ジャック・デサリーヌサン=ドマングの独立を宣言し、ハイチを建国した。
5月18日ナポレオン・ボナパルト護憲元老院からフランス皇帝の位を授けられた。これにより統領政府が終結、フランス第一帝政が始まった。
12月2日ナポレオン・ボナパルトノートルダム大聖堂で自ら戴冠した。ローマ教皇ピウス7世も出席させられ、教皇の権威を借りる形となった。
1805年12月2日第三次対仏大同盟アウステルリッツの戦いでフランスが勝利し、フランス帝国および衛星国がオーストリア、ロシア、イギリス、スウェーデンなどからなる対仏大同盟に勝利した形となった。対仏大同盟は程なくして崩壊した。
1806年7月12日ナポレオンが神聖ローマ帝国を解体して帝国16領邦からなるライン同盟を結成する。
1807年6月14日第四次対仏大同盟フリートラントの戦いでロシアがフランスに大敗し、プロイセン、ロシア、イギリス、ザクセン、スウェーデンからなる対仏大同盟が崩壊した。
1808年5月2日半島戦争がはじまり、1814年にナポレオンが第六次対仏大同盟に敗北するまで続く。
1809年7月5日 - 7月6日第五次対仏大同盟ヴァグラムの戦いでフランスがオーストリアに圧勝し、イギリスとオーストリアからなる対仏大同盟が崩壊した。
1812年9月14日第六次対仏大同盟モスクワ大火により1812年ロシア戦役でのフランス撤退が始まった。さらにベレジナ川の戦いでの大敗北もあり、フランス第一帝政の頂点からの転落が始まった。その後、対仏大同盟は勝利を続け、ナポレオンは1814年にエルバ島に追放される。
1813年8月26日 - 8月27日ドレスデンの戦いで皇帝ナポレオン1世麾下のフランス軍が、シュヴァルツェンベルク将軍率いるオーストリア帝国ロシア帝国プロイセン王国による第六次対仏大同盟軍を破った。しかし、フランス軍は追撃に失敗し、数日後に行われたクルムの戦いにおいて包囲され降伏した。
1813年10月16日 - 10月19日ライプツィヒの戦いで60万人の兵士が交戦し、第一次世界大戦以前のヨーロッパにおける最大規模の戦闘となった。同盟軍がフランスに勝利した。
1814年4月24日第一次王政復古ブルボン朝が復古し、ルイ18世がフランス王に即位した。
1815年6月18日百日天下ワーテルローの戦いナポレオン第七次対仏大同盟に敗北し、フランス第一帝政ナポレオン戦争を完全に終わらせた。これによりヨーロッパは50年近くの平和を得た。
1815年7月7日第二次王政復古ナポレオンセントヘレナ島に配流されブルボン朝が再び復古。ルイ18世がフランス王に復位し、1824年9月16日に崩御するまで在位。
1821年5月5日ナポレオン死去。
1823年4月7日聖ルイの十万の息子たち:フランス軍10万人がスペインに侵攻し、自由主義政府を打倒、「自由主義の三年間」を終わらせた。スペイン王フェルナンド7世は復権。
1830年7月フランス7月革命:保守派のブルボン朝が打倒され、オルレアン朝ルイ=フィリップ1世がフランス王に即位。
2月3日ギリシャ独立戦争終結、ロンドン議定書でロシア・フランス・イギリスがギリシャの独立を承認
1831年11月22日カヌート争議産業革命以降最初の労働者反乱。
1832年6月5日6月暴動パリで王政打倒を目的とする反乱、数日で鎮圧された。
1839年3月9日菓子戦争メキシコ側がフランスの要求を受諾したためフランス軍が撤収。
1848年2月二月革命:共和派がオルレアン朝を打倒、ルイ=フィリップ1世はイギリスに亡命。
12月20日ルイ=ナポレオン・ボナパルトフランス第二共和政の初代大統領に就任。
1848年革命
1851年12月2日1851年12月2日のクーデター。そのちょうど1年後、ルイ=ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝ナポレオン3世に即位。フランス第二共和政が終結し、フランス第二帝政が成立。
1853年3月28日クリミア戦争:フランスとイギリスがロシアに宣戦布告。(-1856年3月30日)
1860年第二次イタリア独立戦争でフランス・サルデーニャ王国連合軍がオーストリア帝国が勝利し、サヴォワニースがサルデーニャからフランスに割譲される。
10月18日アロー戦争:イギリス・フランス連合軍が北京紫禁城に入城。
1866年5月31日メキシコ出兵:フランス軍がメキシコから撤退。
1870年 - 1940年第三共和政
1871年5月10日普仏戦争終結:フランスの敗北によりナポレオン3世が失脚、同時にフランス第二帝政も終わる。第三共和政が成立し、ナポレオン3世はイギリスに亡命した。
3月26日パリ・コミューンが成立、2ヶ月後に鎮圧された。
8月30日アドルフ・ティエールがフランス第2代大統領に就任(-1873年5月24日)。
1873年5月24日パトリス・ド・マクマオンがフランス第3代大統領に就任(-1879年1月30日)。
1879年1月30日ジュール・グレヴィがフランス第4代大統領に就任(-1887年12月2日)。
1887年1月28日エッフェル塔の建設が始まる。
12月3日マリー・フランソワ・サディ・カルノーがフランス第5代大統領に就任(-1894年6月25日)。
1888年3月20日エッフェル塔の1階プラットフォームが完成。
8月21日エッフェル塔の2階プラットフォームが完成。
1889年5月15日エッフェル塔が一般に公開された。
5月26日エッフェル塔のエレベーターが運行開始。
1894年1月4日露仏同盟締結。
6月27日ジャン・カジミール=ペリエがフランス第6代大統領に就任(-1895年1月17日)。
11月ドレフュス事件が始まり、その後10年以上フランス世論を二分した。
1895年1月17日フェリックス・フォールがフランス第7代大統領に就任(-1899年2月16日)。
1899年2月18日エミール・ルーベがフランス第8代大統領に就任(-1906年2月10日)。

20世紀

21世紀

脚注

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