プールモア

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プールモア(もしくはプールモワ)(Pour Moi2008年1月10日 - )はアイルランドで生産され、フランスで調教された競走馬である。おもな勝ち鞍は2011年ダービーステークス

欧字表記 Pour Moi
性別
概要 プールモア, 欧字表記 ...
プールモア
スーザン・マグナーの勝負服
欧字表記 Pour Moi
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2008年1月10日
Montjeu
Gwynn
母の父 Darshaan
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Lynch Bages Ltd.
馬主 Mrs.John Magnier, M.Tabor & D.Smith
調教師 Andre Fabreフランス
競走成績
生涯成績 5戦3勝
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戦績

2歳(2010年)

9月23日のリエブル賞でデビューし、8着に敗れる。1ヶ月後の条件戦に勝利し初勝利を挙げた。この競走から騎手がミカエル・バルザローナに乗り代わっている。2歳時はこの2戦のみで終了し、休養に入った。

3歳(2011年)

4月10日のフォルス賞で復帰。5頭立ての中で最低人気となり、結果は3着に敗れた。続くグレフュール賞でも9頭立ての6番人気と低評価だったが、これを覆して勝利、重賞初勝利をあげた。この勝利を受けてアンドレ・ファーブルは次走に地元フランスのジョッケクルブ賞ではなく、イギリスダービーステークスを選択した。エリザベス2世の所有馬でダンテステークス優勝馬カールトンハウスが注目される中2番人気に支持されたプールモアは最後方から追走し、最後の直線でもまだ後方に位置していたが、ここから一気に脚を伸ばして人気薄のトレジャービーチとカールトンハウスをまとめて差しきり優勝した。フランス調教馬のダービー優勝は1976年のエンペリー以来35年ぶり、バルザローナはわずか19歳でのダービー制覇となった。この勝利で凱旋門賞の最有力馬に躍り出たが、8月25日の乗り運動中に左前脚の球節を故障。引退して2012年からクールモアスタッドで種牡馬入りすることになった。ファーブルは引退時に「これまで管理した馬の中で最高の一頭」と賛辞を贈っている

競走成績

さらに見る 出走日, 競馬場 ...
出走日競馬場競走名距離着順騎手着差1着(2着)馬
2010.04.12フォンテーヌブローリエブル賞芝1600m 8着D.メスカム10馬身Flinch Cat
2010.10.24ロンシャン条件戦芝1800m 1着M.バルザローナクビ(Oppenort)
2011.04.10ロンシャンフォルス賞G3芝2100m3着M.バルザローナ1 1/2馬身Baraan
2011.05.07サンクルーグレフュール賞G2芝2000m1着M.バルザローナ1 1/2馬身(Bubble Chic)
2011.06.04エプソムダービーG1芝12f10y1着M.バルザローナアタマ(Treasure Beach)
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種牡馬時代

現役引退後はアイルランドクールモアスタッドで種牡馬入りしたが、2017年からは障害競走用種牡馬となっている[1]

2世代目の産駒から人気薄で英ダービーを制したウイングスオブイーグルスが出て、父子2代での英ダービー制覇を達成している[2]

主な産駒

血統表

プールモア (Pour Moi)血統サドラーズウェルズ系 / Northern Dancer 3×4=18.75%(血統表の出典)

Montjeu
1996 鹿毛 アイルランド
父の父
Sadler's Wells
1981 黒鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
父の母
Floripedes
1985 鹿毛 フランス
Top Ville High Top
Sega Ville
Toute Cy Tennyson
Adele Toumignon

Gwynn
1997 鹿毛 アイルランド
Darshaan
1981 黒鹿毛 イギリス
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Delsy Abdos
Kelty
母の母
Victoress
1984 鹿毛 アメリカ
Conquistador Cielo Mr. Prospector
K.D. Princess
Royal Statute Northern Dancer
Queen's Statute F-No.22-b

脚注

参考資料

外部リンク

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