サーピーターティーズル
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| サーピーターティーズル | |
|---|---|
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John Nost Sartoriusによる肖像 | |
| 欧字表記 | Sir Peter Teazle |
| 品種 | サラブレッド[1] |
| 性別 | 牡[1] |
| 毛色 | 黒鹿毛[1] |
| 生誕 | 1784年[1] |
| 死没 | 1811年8月10日[2] |
| 父 | ハイフライヤー[1] |
| 母 | パピヨン[1] |
| 生国 |
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| 生産者 | 第12代ダービー伯爵 |
| 馬主 | 第12代ダービー伯爵 |
| 調教師 | ソーンダース |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 15戦13勝 |
サーピーターティーズルあるいは単にサーピーター(Sir Peter Teazle or Sir Peter、1784年[1] - 1811年[2])とは、イギリスの競走馬である。第8回エプソムダービー勝ち馬である。種牡馬としても活動した。
ダービーステークスを創設した第12代ダービー伯爵・エドワード・スミス=スタンリーによって生産、所有された。優れた競走馬であり、デビュー戦としてダービーに出走すると、エクリプス (Eclipse)産駒のガンパウダー (Gunpowder)を破りダービー伯爵に初のダービーをもたらした。ダービー後も精力的に競走をこなし、アスコットで行われた1000ギニーの競走、ニューマーケットで10月に行われた現在のプリンスオブウェールズステークスの前身となるプリンスオブウェールズプレート、ブルフィンチとのマッチレースなどに勝ち、無敗で3歳時を終えた。
翌春もジョッキーステークス、リッチクラレットステークス、フォーテスキューステークスに勝ちバザードを2度にわたって破った。この年にデュークオブクィーンズベリーに32ポンド(約15.4キログラム)のハンデを与えたマッチレースで初めての敗戦を経験するも、その後は7歳の時に故障するまで走り、15戦13勝の成績を残した。多くのマッチレースやステークスに勝利し、当時の最強馬として知られていた。
種牡馬成績
引退後はダービー伯爵のノーズリースタッドで種牡馬入り。その後のサーピーターティーズルは現役時代以上の成功を収めた。4頭のエプソムダービー馬をはじめ、4頭のセントレジャーステークス馬、3頭のオークス馬を輩出し、1799-1802,1804-1809年の計10回リーディングサイアーを獲得した(9回との説もある)。子孫は産駒のウォルトン、サーポールによって発展したがその後衰退し、現在では完全に滅びている(子孫についてはヘロド系のSir Peter Teazle以下を参照されたい)。だが、母方を通じてのサラブレッドへの影響力はかなりのもので、現在のサラブレッドの祖先を15-20代ほど遡るとサーピーターティーズルの名がよく見られる。
主な産駒
- ハーマイオニー(1791、オークス)
- パリソット(1793、オークス)
- アンブロージオ(1793、セントレジャーステークス)
- サーハリー(1795、エプソムダービー)
- アーチデューク(1796、エプソムダービー)
- ウォルトン(1799、1816,1818年イギリスリーディングサイアー、産駒にエプソムダービーに優勝しリーディングサイアー2回のファントム)
- ディット(1800、エプソムダービー)
- カレブクォーテム(1802、ドンカスターカップ)
- サーポール(1802、後継種牡馬の1頭)
- Fyldener(1803、セントレジャーステークス)
- パリ(1803、エプソムダービー)
- パウリーナ(1804、セントレジャーステークス)
- ペトロニウス(1805、セントレジャーステークス)