ミャンマーのルビー産業
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本項では、ミャンマーのルビー産業(ミャンマーのルビーさんぎょう)について説明する。ミャンマーのルビーは、世界的に高い評価を受ける宝石であり、マンダレー地方域タベイッチン県モーゴッ(モゴック)とシャン州ロレイン県モンスーが主な産地である。特にモーゴッ鉱山地域は「ルビーの谷」と呼ばれ、そこで産出されるルビーは「ピジョン・ブラッド」(鳩の血)と呼ばれて珍重されている[1][2][3]。世界最高品質のルビーの約90%を供給しているとされる[4]。
ルビーを含むカラーストーンの公式生産量は、年間約3億4,600万~4億1,500万米ドルの価値があるとされるが、グローバル・ウイットネスは、実際にはこの5倍にも達する可能性があると指摘している[5]。
ほとんどが中国に輸出される翡翠と異なり、ミャンマー産ルビーは、中国のほか、インド、アメリカ、欧州などにも輸出されている[6]。
モーゴッ

前述したように、ミャンマーの主要ルビー産地は、モーゴッ(モゴック)とモンスーである。他にはマンダレー地方域タベイッチン県サギンおよびカチン州モーニン県ナミャ(Namya)が挙げられるが、前二者に比べれば小規模である[7][8]。

モーゴッ産ルビーは、その自然な濃い赤色、高い透明度、強い蛍光性、そして長い歴史的評価により、世界で最も高品質なルビーとされている[9][10]。グローバル・ウイットネスの調査によれば、モーゴッ地域には常時約1,000の鉱山があり、ミャンマー産ルビーの90%以上がモーゴッ産だという[11]。
モーゴッ地域のルビーは、もともと石灰岩だった岩石が、長い時間強い熱と圧力を受けて変化した大理石の中で生まれるのが特徴である。この過程で、赤色のコランダムが結晶化し、これがルビーとなる[12]。ルビーはこうした鉱床から直接採掘される場合と、風化・浸食によって母岩から流出した砂礫(古代の河川堆積物、ビルマ語: ပြွန်း)に含まれる二次鉱床として採掘される場合がある。モーゴッでは両方の採掘が行われており、砂礫からはほかに、サファイア、スピネル、エメラルド、ペリドットなどの宝石が採取される[13]。モーゴッ産ルビーの多くはモーゴッ、マンダレー、ヤンゴンなど国内で研磨された後、中国、インド、アメリカ、欧州などの海外市場に流通している[10]。
後述するように、モーゴッでは古くからルビーの採掘が行われていた。現在では、採掘、選鉱、再洗浄、仲買、加工、流通といった各工程において、ビルマ族、シャン族、ネパール系グルカ(ヒンドゥー教徒)、リス族(キリスト教徒および精霊信仰)、ムスリム、シク教徒、ユーラシア系住民など多様な民族・宗教集団が、宝石産業に関与しており、競合と協力が併存する関係を築いている[14]。
モンスー

モンスーでルビーなどの宝石の採掘が始まったのは、1990年後半頃と比較的新しく、地元のタアン族とシャン族の住民が発見した[15]。その後、国軍がモンスーを管理するようになり、1992年7月、鉱山省(現天然資源・環境保全省)は、モンスーで新たなルビー鉱床を発見したという通知を発令し、正式な承認なしにルビーの採掘、カット、取引することを禁止した[16]。 同年11月までに、ミャンマー宝石公社(MGE)と民間企業による合弁会社が設立され、 政府は、地元の鉱山労働者が採掘していた区画を含む数百エーカーの土地を地元住民から没収し、その中でも最良の土地を国軍系企業に与えたとされる[17]。
モンスー産ルビーは、地質的特性から「ピジョン・ブラッド」と呼ばれる鮮明で深い赤色を示すことは少なく、青紫がかった濁りや芯を伴うことが多い。そのままでは研磨中に割れやすいため、ファセット加工の前に高温加熱処理がほぼ不可欠とされている。この処理は、色や透明度を改善するだけでなく、原石に多く見られる深い割れ目をガラス状の物質で埋め、加工時の破損を防ぐ目的で行われる。しかし、加熱処理を施した場合でも、良質な宝石として仕上がる割合は全体の約10~30%にとどまるとされる[10]。
モンスー産ルビーは原石のままタイの宝石業者に販売されることが多く、バンコクでは高度な加熱技術と設備を有する業者によって処理された後、タイ国内や海外市場に流通している[10]。
歴史
起源と古代の伝承
ミャンマーのルビー起源について正確な史実は不明で、さまざまな伝説が伝わっている。そのうちの1つは、紀元1世紀にメスのナーガ(龍)が3つの卵を産み、最初の卵からパガン王朝の伝説の王であるピューソーティーが生まれ、2番目の卵から中国の皇帝が生まれ、3番目の卵からルビー鉱山のルビーが生まれたというものである[2]。
また、6世紀に、シャン族の伝説の王であるクンルン(Khun Lung)が、中央政府に毎年2ヴィス(約3.3kg)のルビーを貢物として納めていたという伝説もあるが、記録には残っていない[2]。
さらに、モーゴッは、579年にモーメイッの首狩り族が発見したという伝説も残っている。道に迷った彼らは、鳥の大群の騒いでいるのを見つけ、調べたところ、熱病と蛇の蠢く谷にルビーが溢れかえっているのを見つけた。人間が立ち入ることができなかったため、彼らは谷の中に生肉を投げ込んで猛禽類の鳥に食わせ、その巣や糞からルビーを回収したのだという[2]。
王朝の鉱山支配と欧米人による発見
1597年に、モーゴッはビルマ族の王朝であるタウングー王朝の支配下に入った。この後続くビルマ族の代々の王は、ルビーを珍重して直轄的か独占的に管理し、2000ルピー以上の価値を持つルビーはすべて王室の財産とみなされ、引き渡さない場合は拷問と死刑に処されたとも伝えられる。あまりにも搾取が酷かったので、19世紀後半にはルビーの産出量は激減したのだという[2]。
また、15世紀頃からミャンマーを訪れた欧米人が記した記録にも、ルビーへの言及が頻繁に見られるようになった。彼らはルビーの品質や価格、取引の様子、王族や一般の人々の装束について、多くの記録を残した[2]。
植民地時代と近代化

1885年、三度にわたる英緬戦争を経てミャンマーが完全にイギリスの植民地となった後、1889年、ビルマ・ルビー鉱山会社(Burma Ruby Mines Ltd.)が設立された。同社は道路や水力発電所を建設し、放水砲、洗浄プラントその他の大規模採掘設備を導入して、モーゴッ周辺で大規模なルビー採掘を始めた[2][18]。
しかし、病気の蔓延、ルビー窃盗の多発、頻繁な洪水の発生、そしてベルヌーイ法による合成ルビーの開発によるルビー価格の下落などの原因により、1931年に鉱山は閉鎖された[2]。
なお、1930年代にモーゴッで採掘された83カラットあるルビーは「ビルマの星」と呼ばれて珍重され、1930年代のハリウッド映画において、たびたび使用された。
国有化以前とビルマ式社会主義期のルビー採掘
その後、モーゴッ周辺のルビー採掘は小規模な採掘に逆戻りし、1957年までに約1,200の鉱山が操業していたとされる[2]。
1950年代には、フランスの作家ジョセフ・ケッセルがモーゴッを訪れ、『モーゴッ、ルビーの谷』(Mogok, the Valley of Rubies)を執筆したことにより、モーゴッの名前は宝石愛好家の間で広く知られるようになった[19]。
1962年、ネ・ウィンがクーデターを起こし、革命評議会が全権を掌握、軍事独裁、経済の国有化、非同盟中立外交を特徴とするいわゆる「ビルマ式社会主義」体制が成立した。宝石採掘も1969年に完全に国有化され、MGEが管理するようになった。宝石の個人取引は禁止され、原石を所持するだけで犯罪となった。しかし、国有化後、鉱山の責任者には技術者や専門の行政官ではなく軍人が任命されることが多く、採掘は著しく非効率化し、生産量は低迷した[2]。
一方、宝石採掘が唯一の収入源である数千人規模の町では政府も事実上これを黙認せざるを得ず、モーゴッでは以前と同様に週に一度宝石市場が開かれ、安価な宝石は公然と取引される一方、高価な宝石は敷地の端に並ぶ小屋で密かに売買され、こうした闇市場や密輸を通じてルビーを含む宝石類がタイ、中国、インドとの国境を越えて国際市場へ流出していった[2]。
SLORC/SPDC期の宝石産業
8888民主化運動弾圧後、ミャンマー軍(国軍)は国家法秩序回復評議会(SLORC)を設立し、のちに国家平和発展評議会(SPDC)へ改組した。この時期、SLORC/SPDCは、ミャンマー宝石公社(MGE)管理下で民間事業者や外国資本の参入を限定的に認めるようになり、宝石採掘における民間と政府の合弁事業および宝飾品製造における外国企業と政府の合弁事業が始まり、ヤンゴンで開催される年次宝石市場を通じて国際市場に流通していった。ただし、この過程を通じて、国軍系企業コングロマリットミャンマー・エコノミック・ホールディングス・リミテッド(MEHL)が宝石事業に深く関与し、宝石事業が国軍の主要な資金源となる構造が形成された[2]。
一方、2003年のビルマ自由・民主化法および2008年のトム・ラントスビルマ翡翠禁輸法により、ミャンマー産の宝石の公式輸出は大きく制限された[20]。しかし、その後も、ミャンマー産の宝石は、タイ、中国、インドなどに密輸出され、タイ産またはスリランカ産として国際市場に流通していたと指摘されている[21]。グローバル・ウイットネスは、2016年のライセンス停止以前から、ミャンマー産宝石類の60~90%が密輸出されていたと推定している[22]。
民政移管後
2011年にテインセイン政権が発足し、さまざまな改革が実行された。宝石産業においても、2014年、テインセイン大統領は、採取産業透明性イニシアティブ(EITI)[23]への参加を表明し、翡翠事業を含む天然資源の採掘・取引の透明化への第一歩を踏み出した。続いて、2016年に成立したアウンサンスーチー率いるNLD政権は、腐敗防止のために、翡翠および宝石の採掘ライセンスの新規発行と既存のライセンスの更新を停止し[24][25]、2019年には新しい宝石法を制定した。ただしこれらの改革は、必ずしも意図した結果を得られなかったと指摘されており[23][25]、モーゴッでもモンスーでも違法採掘が続けられていたと報告されている[26]。
採掘から取引まで
採掘
モーゴッ地域には伝統的に4つの採掘方法がある。
| 採掘方法 | 用途 | 方法 |
|---|---|---|
| ツイン・ロン(Twin-lon) | 谷間の軟らかい沖積土の採掘。 | 2~3人の作業員が協力して、小さな円形の縦坑(深さ3~24メートル)を砂礫までまっすぐ掘り下げ、長い竹の棒に小さな籠を取り付け、カウンターウェイトまたは手回しウインチで土を引き上げる。一般に乾季(11月から5月)にのみ行われる。 |
| フミャウ・ドウィン(Hmyawdwin) | 丘陵地の表層堆積物の採掘。 | 加圧された水流を丘陵の斜面にある切通しの上端に流し込み、軽い物質と泥を洗い流す。そして、宝石を含む重い物質を効果的に集め、通常は小川や川などの適切な洗浄場所まで運ぶ。大量の水を必要とするため、主に雨期(6月から10月)に行われる。 |
| ルドウィン(Ludwin) | 石灰岩の洞窟内に堆積した宝石を含む土砂の採掘。 | 様々な手持ち工具を用いて、丘陵の斜面にトンネルを掘り、砂礫の鉱脈を辿り、地下水の鉱物によって岩石中の不純物が溶解して形成される石灰岩の洞窟へと至る。これらの洞窟は、しばしば深層の砂礫で満たされており、洗浄のために地表まで汲み上げられる。あまり一般的ではない。 |
| 採石 | 母岩に直接トンネルを掘って石材を採取する。 | 硬岩鉱床からルビーおよびサファイアを採掘するため、ダイナマイトをはじめとする近代的な発破技術が用いられている。 |
洗浄
十分な量の砂礫が採取されると、洗浄場へ運ばれ、洗浄工程にかけられる。伝統的な方法では、大きな岩石で浅い円形の囲いを作り、一部をわずかに傾斜させた底に砂礫を入れ、水を流しながらかき混ぜる。軽い土砂は開口部から流れ出し、宝石を含む重い砂利のみが残る。残った砂利は、円形の竹製トレーを用いてさらに洗浄される[2][28]。
機械化された鉱山からの産出物は洗浄工場に送られ、機械によって選別される。ビルマ・ルビー鉱山会社の時代には、計5つの洗浄工場が稼働していた。現在では政府が洗浄工場を運営しており、敷地内に洗浄工場を持たない国営鉱山からの砂礫を洗浄している。ちなみに、洗浄工程の後に残る砂礫は、すべてが廃棄されるわけではなく、モーゴッにはこれを再洗浄する権利を持つ人々が存在する[2]。
カナセ
モーゴッには、鉱滓(こうさい)を再洗浄する世襲的権利を持つ人々がおり、彼らは一般に「カナセ(kanase)」と呼ばれている。カナセは、機械化された露天掘り鉱山から排出される残渣に加え、職人による伝統的な洗浄囲いから生じた砂礫も受け取り、これを再び洗浄することで生計を立ててきた。もともとカナセは女性のみで構成されており、地元の小川や洗浄場で砂礫を洗い、小粒のスピネルなどの半貴石を探す役割を担っていたとされる[2][27]。
選別
モーゴッでは、採掘・洗浄を終えた砂利や原石は、鉱山所有者やその親族、信頼できるスタッフによって最終選別が行われる。所有者の不在時には、内容物は封印され、立ち会う全員が確認してからのみ開封されることで、公正な管理が保たれる[2]。
選別はまず、粗悪な石を除去し、ルビー、サファイア、スピネルなどの種類ごとに分類される。その後、大きさや品質に応じて手作業やふるいで等級分けされ、最良の石は所有者が自ら鑑定・保管する。残りの石は選別士やブローカーによって追加的に等級分けされ、最終的な売買や入札に供される。過去には、秘密の合図や手法によって選別や取引が行われることもあったと記録されている[2]。
取引
選別後の取引では、ブローカーが重要な役割を果たす。ディーラーはブローカーを通じて、採掘された宝石の種類や所有者、入札価格、販売先などの情報を入手する。貴重な石の所有者は情報を秘匿し、買い手と売り手が互いの意図を隠すことで非公式な取引が行われることもある[2][27]。
モーゴッでは複数の宝石市場が定期的に開かれ、午前または午後の短時間のみ開催される市場もある。たとえば、主に低品質の未研磨石が取引される市場があれば、カット・研磨済みのルビー、サファイア、スピネル、ペリドットなど多様な宝石が取引される市場もある[2][27]。
不正と構造的問題
1994年のミャンマー鉱山法(2015年改正)および1995年のミャンマー宝石法(2016年改正)の公布により、宝石採掘をめぐる制度枠組みが整備された。これらの法律は、民間企業や鉱山協同組合が政府と合弁で宝石採掘を行うことを可能にし、外国企業や先住民族が特定の宝石鉱山に少数出資する道を開いた。また、土地所有者は政府が認可した流通ルートを通じ、所定の手数料やロイヤルティを支払うことを条件に、ルビー採掘許可を申請できるようになった。宝石採掘権の許認可に関する制度上の権限は当時の鉱山省(現天然資源・環境保全省(MONREC))に属するが、実務上の許認可手続きおよび監督は、その下部機関であるミャンマー宝石公社(MGE)が担っており、宝石・翡翠の採掘許可に加え、加工および最終製品の製造に関する許可も管轄することとされた[29]。
ミャンマーのルビー産業においても、その制度的枠組みや利権構造、不正のあり方は、翡翠産業で指摘されてきた問題と多くの共通点を有している。採掘ライセンスの集中、国軍および国軍系企業の関与、軍と停戦協定を結んだ少数民族武装勢力との利害関係、不透明な許認可制度、密輸や脱税の横行、そして地域社会への利益還元の欠如といった構造的問題は、翡翠産業に限らず、ルビーを含むミャンマーの宝石産業全体に広く見られると指摘されている[30]。
利害関係者
国軍および国軍系企業
グローバル・ウイットネスの調査によれば、2013年から2018年にかけて最大の宝石採掘ライセンス保有者は、MEHLと、その完全子会社であるミャンマー・インペリアル・ジェイド社(Myanmar Imperial Jade Company)であった。MEHLはこのほかにも少なくとも7社の子会社を通じて宝石採掘ライセンスを保有しており、2016年に採掘ライセンスが一時停止された時点では、面積ベースで第2位の保有者に約2.6倍の差をつける最大のライセンス保有者であった[31]。
また、もう1つの国軍系企業コングロマリットミャンマー経済公社(MEC)も相当数のライセンスを保有していた[31]。さらに、モーゴッやモンスーに配属されている国軍の部隊は、MEHLの株主になっていると報じられている[32]。
一方、ライセンス保有数上位10社のうち大半は、国軍関係者が所有する企業、または国軍との関係が深いとされる企業で占められていた。これには、パオ民族機構/軍(PNO/A)関係者のネー・ウィン・トゥン(Nay Win Tun)や、コーカン地区の指導者であった楊茂良と関係する企業が含まれていた[33]。
しかも、宝石法ではライセンスの譲渡が禁止されているのにもかかわらず、ライセンス保有企業は頻繁にライセンスを転貸し、利益の一部を受け取っている実態も報告されている[34]。
以上のことから、ミャンマーの宝石産業は、国軍およびそれと関係のある企業、さらに国軍と停戦協定を結んだ少数民族武装勢力と関係を持つ企業によって、構造的に支配されてきたと指摘されている[33]。
少数民族武装勢力
ワ州連合軍(UWSA)
UWSAは、1989年に国軍と停戦合意を結んだ際、パカンにおける翡翠採掘権とともに、シャン州モンスーのルビー採掘権を獲得したとされる。さらに2002年には、アヘン代替プログラムの一環として、モンスーの鉱山の約30%に相当する採掘権を得たと報じられている[35]。
ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)
前述したように、元ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)幹部で、コーカン地区の指導者だった楊茂良は、リャン・シャン・ジュエリー(Lyan Shan Jewellery)など複数の宝石会社を所有している。リャン・シャン・ジュエリーの関連企業は、国軍系企業グループであるMECの通信システムの設置を請け負っている[33][36]。
パオ民族機構/軍(PNO/A)
PNO/Aも、1991年に国軍と停戦合意を締結した際に、翡翠とルビーの採掘権を獲得した。そして、ルビー・ドラゴンという企業グループを設立し、現在では宝石事業のほか、セメント製造、ホテル、農業、食品、ワインなどの事業を手がける一大企業グループに成長している[37]。
宝石事業に関しては、モーゴッでMGEとの合弁会社を3社運営しているほか、モンスーに鉱山を所有し、ネピドーには加工工場を設け、両地域から輸送された宝石のカットおよび加工を行っていると報じられている[35]。
シャン州軍(北)(SSA-N)
シャン州軍(北)(SSA-N)の本部があるワンハイは、モンスーから20マイル離れた場所に位置しており、1989年に国軍と停戦合意を締結した際に、モンスーの鉱山の採掘権を獲得したとされる[38][35]。2012年1月28日に再び国軍と州レベルおよび連邦レベルの和平合意を締結したが、その際、採掘権の合意内容を再交渉したとみられる[39]。
シャン州軍 (南)(SSA-S)
シャン州軍 (南)(SSA-S)は、泰緬国境地帯のロイタイレンに本部を設置しており、ここからタイのチェンマイまで直通する道路がある。SSA-Sはこの立地を生かして、ルビーを含む宝石類のタイへの密輸出に関与していると報告されている[40]。
モーゴッやモンスーに入域するのが困難なタイのバイヤーから依頼があると、SSA-Sの兵士は、取引業者から宝石類を買い付けるか、自らモーゴッやモンスーに赴いて宝石類を買い付け、ロイタイレンまたはメーサイにまで持ち帰る。SSA-Sの兵士はタイ語を話し、タイ国内を自由に移動できるタイのIDカードを持っているため、そのようなことが可能なのだという[40]。
また、SSA-Sはロイタイレンに宝石加工工場を所有し、約40人の従業員を雇用している。低価格の宝石類はここで加工されるが、高価格の宝石類は原石のままタイ人のバイヤーに売却している[40]。
タアン民族解放軍(TNLA)
モーゴッの鉱山労働者、宝石会社の経営者、その他の実業家から金銭をゆすり取り、身代金目的で拉致していると報じられている[41]。
タイの宝石業者
前述したように、ミャンマー産宝石類の60~90%が密輸出されていると推定されているが、最初の目的地は主要な加工拠点であるタイであると考えられている[42]。
グローバル・ウイットネスの調査によれば、調査対象としたタイの宝石加工業者・貿易業者の大半は、ミャンマーの鉱山から直接宝石を調達しておらず、仲買人や取引業者を通じて提供される情報に依拠しているという。その結果、高価格帯の宝石について原産地がモーゴッ産かモンスー産かを特定することは可能である一方、どの地域のどの鉱山で採掘されたかまでを把握することは、ほぼ不可能となっている。仲買人や取引業者は宝石類の詳細な原産地情報を企業秘密と見なして、情報を共有しないからである[42]。
そのため、宝石取引を通じて得られた収益が、国軍や少数民族武装勢力の活動資金に流用されている可能性があるとの指摘もなされている[42]。
国際宝石業者
前述したように、翡翠と違って、ルビーを含むミャンマー産の宝石類は、中国のほか、インド、アメリカ、欧州などにも輸出されている。グローバル・ウイットネスの調査によれば、2016年から2020年の5年間に、フランス、スイス、イタリアの欧州3か国だけで、合計9億5,500万米ドル相当のミャンマー産宝石が輸入されている。国別に見ると、最大の輸入国はフランス、中国(香港・マカオを含む)、アメリカで、いずれも5年間で約1億7,000万米ドル相当のミャンマー産宝石・半貴石を購入したと報告されている。これに続き、イタリアは1億2,200万米ドルで第4位、スイスは1億1,900万米ドル、ドイツは7,500万米ドルとなっている(ただし、これらの数字にはタイに密輸出され、その後輸出された宝石類は含まれていない)[43]。
ミャンマー産ルビーは、現在も欧米やアジアを含む国際宝石市場において取引・販売されている。しかし、国際的な宝石業者の多くは、原産地や調達先に関する詳細な情報を十分に把握していないか、あるいはそれらの情報を公開していない。その結果、国際宝石市場における取引・販売によって得られた収益が、国軍や少数民族武装勢力の活動資金に流用されている可能性があるとの指摘がなされている[44]。
ただ、グローバル・ウイットネスの調査によれば、2021年の時点で、ブードルズ、ハリー・ウィンストン、シグネット 、ティファニーの4社のみミャンマー産ルビーの調達を停止したと公表していた[44]。
地域社会への影響
モーゴッ
前述したように、社会主義時代にはモーゴッの鉱山はすべて国有化されていたが、当局の黙認の下、地元住民による小規模採掘が広く行われていた。しかし、SLORC/SPDC体制下に入った1990年代以降、もっとも価値の高い鉱区は政府によって接収され、地元住民は採掘の場から排除されていった[45]。
また、小規模採掘を続ける場合も、国軍関係者に対する賄賂の支払いを強要され、結果、多くの住民が鉱山会社の日雇い労働者の地位に甘んじざるをえず、多くの住民が他地域へ移住していった。2016年に採掘ライセンスが停止された時点で、モーゴッには地元住民が所有する小規模鉱山はほとんどなかったのだという[45]。
さらに、TNLA、SSA-S、SSA-Nなど武装勢力による、富裕層を標的にした金銭目的の恐喝や誘拐事件も多発し、地域の治安は著しく悪化した[45][46][47]。
モンスー
以前のモンスーは比較的平穏な農村だった。しかし、ルビーが発見されると、ミャンマー全土から鉱山労働者がモンスー周辺の村々に押し寄せ、環境は一変した。彼らは売春と麻薬を持ち込み、エイズも蔓延した。また、採掘場を確保するために近隣の森林が伐採され、環境も悪化。農地も荒らされ、農業で生計を立てられなくなった住民は、他地域に移住せざるをえなくなった[26]。
また、鉱山会社は地元住民の雇用をほとんど行わず、主にアニャー地方から流入した低賃金の季節労働者を雇用していたため、ルビー採掘によって生み出された富は地域社会に還元されなかった。道路や橋などのインフラ、病院、学校も整備されず、2014年に実施された世論調査によれば、モンスー郡区の水洗トイレ普及率はわずか1%、電気使用率はわずか3%、50%が不衛生な状態で生活を余儀なくされ、74%の世帯が薪で調理を行っているのだという[26]。
さらに、国軍と少数民族武装勢力との間の戦闘に巻き込まれるようになり、2015年末には国軍とSSA-Nとの戦闘により、モンスー郡区の住民6,000人以上が国内避難民となった[26]。
2021年クーデター後の動向
2021年2月1日、国軍はクーデターを起こし、国家行政評議会(SAC)が全権を掌握。モーゴッでも数千人規模の抗議運動が起こり、逮捕者・死者を出した[48]。モンスーではその支配権をめぐって、UWSA、SSA-N、SSA-Sが衝突した[49]。
アメリカ、欧州連合(EU)、イギリスなどは国軍および国軍系企業に対する経済制裁を科し、MGEやMEHLも制裁対象となった。これにより、ミャンマー産ルビーを含む宝石類の公式な国際取引は大きく制限され、欧米市場への輸出は事実上困難となった。一方で、モーゴッでもモンスーでも、国軍および武装勢力の黙認の下、引き続き違法採掘が横行していると報じられている[50][51][52][53]。
その後、内戦が激化し、2024年7月、モーゴッはTNLAに占領された[54]。しかし、報道によれば、TNLAはその幹部と関係を持つ人物や、中国およびUWSA関連企業に大規模な採掘権を与え、モーゴッ周辺で環境破壊を伴う集中的な採掘を行い、こうした過程で地元の小規模業者を排除していると指摘された[55]。