メーリオネース

From Wikipedia, the free encyclopedia

パトロクロスの遺体を運ぶメネラーオスとメーリオネース。紀元前2世紀ごろ。フィレンツェ国立考古学博物館英語版所蔵。

メーリオネース古希: Μηριόνης, Mērionēs)は、ギリシア神話の人物である。長母音を表さずにメリオネスとも表記される。クレーテー島の王族モロスと[1][2]メルピスの子[1]ヘレネー求婚者の1人であり[3]トロイア戦争で戦ったギリシア軍の武将の1人、木馬作戦に参加した武将の1人[4]ホメーロス叙事詩イーリアス』ではしばしば「武人殺しのエニューアリオスにも劣らぬメーリオネース」と呼ばれ[5][6]、クレーテー王イードメネウスの従者でありながら、士気の高さと指揮官としての能力によりアガメムノーンから高く評価されていた[7][8]プリュギアのダレースは赤褐色の髪で中背、たくましく敏捷な戦士であったと述べている[9]

出身

一般的にメーリオネースはクレーテー島を支配したミーノースの一族に属するとされる。父親の名前はホメーロス以来モロスとされ[10]アポロドーロスはこの人物についてミーノースの子デウカリオーンの庶子で、イードメネウスの異母兄弟としているが[11]、息子であるメーリオネースについては著書全体を通じて言及していない。一方、シケリアのディオドーロスはモロスをミーノースの息子で、デウカリオーンの兄弟としている。この説によるとメーリオネースはイードメネウスの従兄弟にあたる[12]

トロイア戦争

ホメーロスなどいくつかの文献は、メーリオネースがイードメネウスとともにクレーテー島の軍勢80隻を率いたと述べている[13][14][15]ヒュギーヌスはもう少し詳しく、イードメネウスとメーリオネースは80隻の軍勢のうちそれぞれ40隻を率いたと述べている[1]。アポロドーロスはイードメネウスのみを挙げて40隻の軍勢を率いたとしている[16]。これに対してシケリアのディオドーロスはイードメネウスとメーリオネースは90隻の軍勢を率いたと述べている[12]

エーゲ海域ミーノーア文明およびミュケーナイ文明で見出されるイノシシの牙の兜。ホメーロスは同種の武具をメーリオネースの家宝として言及している[17]

トロイア戦争では、女神アテーナーディオメーデースに力を与えたとき、メーリオネースはトロイアの武将ペレクロスを討った。これが『イーリアス』におけるメーリオネースの最初の武功である[18]。ヘクトールがギリシア軍に一騎討ちを挑んだ際は、他の武将とともに対戦の名乗りを上げた[19]。ホメーロスがメーリオネースを最初に大きく取り上げたのは『イーリアス』2日目の夜である。この夜、アガメムノーンから信頼を得ていたメーリオネースはトラシュメーデースとともに夜警の指揮を命じられていた[8]。そのためアガメムノーンが軍議を開くと、有力な武将とともにメーリオネースも軍議に加わった。そしてネストールがトロイア軍の偵察を提案すると、メーリオネースも参加を希望した。ディオメーデースとオデュッセウスが偵察に出ることが決まると、メーリオネースはオデュッセウスに自身の弓矢を貸し与え、またイノシシの牙を細工に用いた兜をオデュッセウスの頭にかぶせて送り出した。この兜はかつてアウトリュコスアミュントールの館から盗み取ったのち、父モロスの手に渡り、モロスからメーリオネースに与えられたものであった[17]

トロイア勢とリュキア勢がギリシア軍の防壁を破って侵入したさいは海神ポセイドーンに励まされて奮起し[20]、大楯を構えて前進するデーイポボスに対して槍を投じたが討ち取ることは出来なかった。大将首を逃したメーリオネースは腹を立てながら代わりの槍を取りにクレーテー勢の陣営に戻った[21]。そして傷の手当てを受けていたイードメネウスとともに前線に戻ったが、その姿は敵を遁走させるポボスが軍神アレースにつき従うかのようであったと語られている。メーリオネースは戦況を見て左翼が最も手薄であることを素早く判断し、イードメネウスを先導して左翼に向かった[22]。そしてイードメネウスがアルカトオスを討つと、アルカトオスの遺体をめぐってイードメネウス、アスカラポスアパレウスデーイピュロスアンティロコスらとともに、デーイポボス、アイネイアースパリスアゲーノールらと激しく戦い、デーイポボスの上腕を槍で突いて戦場から退却させた[23]。さらにアンティロコスから逃れようとするアダマースを槍で討ち[24]、パプラゴニアの王子ハルパリオーンを矢で討ち倒した[25]

その後もモリュスとヒッポティオーンを討ち[26]パトロクロスアキレウスの武具をまとって戦った際は、イーデー山ゼウスの神官オネートールの子ラーオゴノスを討った。さらに楯を構えて前進するメーリオネースに対して、アイネイアースは槍を投じたが、メーリオネースは楯で受け止めずに躱したため、腹立ちまぎれにメーリオネースの身軽さを「踊りの名人」と皮肉った[27]。パトロクロスの遺体をめぐる激戦では御者コイラノスを討たれたイードメネウスに退却を進言しつつも、大アイアース小アイアース、メネラーオス、アンティロコスとともに最後まで遺体を守って戦い抜いた。そしてアンティロコスがパトロクロスの戦死をアキレウスに伝えるべく退却したのち、両アイアースがヘクトールの攻撃を防いでいる間に、メネラーオスとともにパトロクロスの遺体を運び出した[28]

その後、パトロクロスの火葬に必要な木材の切り出しを指揮した[29]。葬礼競技では苦手な戦車競走で5人中4位[30]、弓競技では名手テウクロスと競って勝利し、続く槍投げではアガメムノーンと競ったが、アキレウスはアガメムノーンが卓越した戦士であることは周知の事実であるとして戦わずしてアガメムノーンを勝者とした[31]

メーリオネースはその後もアマゾーンの女王ペンテシレイアの部下エウアンドレーとテルモードーサをはじめとして[32]、ラーオポオーン[33]、クロモス[34]、ピューロダマース[35]、リュコーンを討ち[36]、木馬作戦にも参加した[4]

一説によるとメーリオネースはパトロクロスの遺体をヘクトールから奪おうとして殺された[37]

戦後

戦後は帰国の航海の途上でシケリア島に立ち寄り、戦争で十分に広い支配地を得た[38]クノーソスにはイードメネウスの墓の近くにメーリオネースの墓もあった[12]。イードメネウスの死後に王権を継承したともいわれる[39]

系図

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI