伊藤穰一
日本の実業家 (1966-)
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伊藤 穰一(いとう じょういち、1966年〈昭和41年〉6月19日 - )は、日本のデジタル・アーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、実業家、学者、作家。
いとう じょういち 伊藤 穰一 | |
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2007年撮影 | |
| 生誕 |
1966年6月19日(60歳) 京都府京都市 |
| 別名 | Joi Ito |
| 出身校 |
タフツ大学計算機科学専攻中退 シカゴ大学物理学専攻中退 ニュースクール大学単位取得 一橋大学国際企業戦略研究科中退 慶應義塾大学博士(政策・メディア)(論文博士) |
| 職業 | デジタル・アーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、実業家、学者、作家 |
| 肩書き |
デジタルガレージ共同創業者 千葉工業大学学長 千葉工業大学変革センター長 藤田医科大学ヘルスデータ・アーキテクチャセンター副所長兼客員教授 ニューロダイバーシティ・スクール・イン東京共同創立者 ブータン・ゲレフ投資開発公社取締役兼会長 経済産業省Web3.0ブロックチェーンを活用したデジタル公共財等構築実証事業アドバイザリーボード委員 |
| 配偶者 | 伊藤瑞佳 |
| 家族 | 伊藤瑞子(妹) |
| 公式サイト | https://joi.ito.com/jp/ |
2026年4月現在、日本国内では株式会社デジタルガレージ共同創業者兼取締役。千葉工業大学変革センター長、同大学長。藤田医科大学ヘルスデータ・アーキテクチャセンター副所長・客員教授。経済産業省。「Web3.0・ブロックチェーンを活用したデジタル公共財等構築実証事業」アドバイザリーボード委員、慶應義塾大学サイバー文明研究センター客員研究員、講談社、サントリーホールディングス、MUFGなどのアドバイザーなどを務める。海外ではブータン・ゲレフ投資開発公社の取締役兼会長。カザフスタン人工知能評議会メンバー[1][2][3]。経済同友会「企業のDX推進委員会」[4]委員長を務めた(その後、廃止)[5]。
概要
過去にはMITメディアラボ所長[6][7]を2011年より2019年まで日本人で初めて務め、2016年7月1日からはマサチューセッツ工科大学教授も兼務。MITメディアラボ辞任後の2023年、MITメディアラボ及び米国のチャリティ Institute of Electrical and Electronics Engineers (IEEE) が設立した、人工知能(AI)の倫理とガバナンスに焦点を当てたイニシアチブのメンバーを務めた[8]。
インターネットおよびテクノロジー企業に焦点を当てた起業家としての役割が評価され、インターネットサービスプロバイダ(ISP)のPSINet Japan、広告プロモーションと決済事業を収益基盤としたデジタルガレージ、検索エンジンのインフォシークなどを設立。1997年に警察庁情報セキュリティビジョン策定委員会委員にネットワークセキュリティ専門家として請われ[9]日本の警察庁ハイテク犯罪対策室立ち上げに関与した。警察庁総合セキュリティ対策会議委員[10]など多くの委員を務めた。海外ではハーバード・ロースクール客員教授[11]、米ピュアテック・ヘルス取締役会長、非営利団体クリエイティブ・コモンズ取締役会長兼最高経営責任者を務める上に、理事としてニューヨーク・タイムズ社、ソニー株式会社、ジョン・S・アンド・ジェームズ・L・ナイト財団、ジョン・D・アンド・キャサリン・T・マッカーサー財団、ICANN (The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)、Mozilla財団、OSI (The Open Source Initiative)、電子プライバシー情報センター(EPIC)などに歴任した。
様々な活動を通じて世界有数のインターネット活動家としての活動が評価され、英オックスフォード大学内オックスフォード・インターネット・インスティテュートより生涯業績賞を2011年に受賞[12]。2012年よりクローラ事業を行う非営利団体、コモン・クロールのアドバイザー[13]。2014年には、SxSWインタラクティブ殿堂入り[14]及びニューヨークのニュースクール大学から名誉文学博士号を、2015年にはタフツ大学から名誉人文学博士号を授与された[15]。2016年、米WIRED誌との企画でバラク・オバマ元米大統領と対談[16]。2017年には、企業間でのイノベーションや研究開発に関する知識及びベストプラクティスの共有を促進する国際的非営利団体Innovation Research InterchangeよりIRIメダルを受賞し[17][18]、同年、米国芸術科学アカデミーに選出された[19]。2018年にはフレデリック・ダグラス・ファミリー・イニシアチブとアンチレイシスト・リサーチ&ポリシー・センターからフレデリック・ダグラスの精神を反映する平等と自由のために活動をしている200人(FD200)に選出[20]。2019年にはインターネット上でのプライバシー保護や市民の権利を守るために活動している非営利団体EPIC (Electronic Privacy Information Center)から生涯業績賞を授与された[21]。
来歴
生い立ち

1966年(昭和41年)6月19日に京都府で生まれる。その後一家でカナダへ、さらに3歳(1969年)でアメリカミシガン州デトロイト郊外へ移住。1980年~1982年 西町インターナショナルスクール(中学校、港区)。1982年~1984年 American School in Japan (高校、詳細不明)。高校卒業後に再度渡米し、1984年にTufts 大学工学部に入学するも1985年に中退。1986年にシカゴ大学物理専攻へ入学し、1987年中退。
インターネットの到来
1994年(平成6年)に、日本国内初のインターネット接続専用設備を導入したPSINetの日本法人の設立に携わり、1995年に代表取締役に就任。同じく1994年にインターネット・サーバー構築やウェブ制作を行う会社、エコシスを、家族からの借金などで設立[22][23][24][25]、ウェブサイト「富ヶ谷」、朝日新聞の「オープンドアーズ」、博報堂の「Ad-Mall」、ジュニアサミット95の開設などを手掛けつつ、同1994年、元NHK会長の島桂次の依頼により、日英バイリンガルのインターネット上のニュースサイトの立ち上げを支援し、同年10月3日にローンチした[22]。
1995年(平成7年)から1996年(平成8年)にかけて、エコシスはフロム・ガレージ社と統合されデジタルガレージとなり(登記上は1997年5月)、Internet 1996 World Exposition[26]を皮切りに、インターネット広告事業や米国発初期音楽ポータル・サイトのAddicted to Noise/Sonicnetと提携、フジロックフェスティバルの日本国内初のインターネット中継などに携わりつつ、検索エンジン、インフォシークの日本版であるInfoseek Japanを立ち上げた。
2000年、デジタルガレージはジャスダックに上場、伊藤はブログ、検索、ソーシャル・メディア、インキュベーションなどの欧米のインターネット技術を日本に取り入れる役割を加速し、2008年にはTwitter(現・X)の日本上陸に携わる[27]。
2004年から一橋大学大学院ビジネススクール国際企業戦略専攻の経営学博士コースに在籍するが2007年に中退。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科非常勤講師を務めたことがある。2016年7月よりMITメディアラボ所長。2016年7月1日からはマサチューセッツ工科大学教授も兼務。
ネオテニー(1999-)
1999年(平成11年)にウィットニー&カンパニーから18億円の出資を受け、ベンチャー企業を支援する投資会社、ネオテニーを設立[28][29]。会長はマネックスグループ取締役の槇原純。社名に使ったネオテニーとは、人類学でいう幼形成熟(幼形進化)のこと。幼い形のまま成長する過程を指し、幼児の特徴が成人に保存されている状態を意味する[28]。ディズニーランドが永遠に進化するエンターテイメントであるように、子供の好奇心を失わずに成長する企業でありたいと、伊藤が自ら命名した[28]。
クリエイティブ・コモンズ (2003-2019)

2003年6月、伊藤はローレンス・レッシグが創設したコンテンツの合法的な共有と再利用を促進する非営利団体クリエイティブ・コモンズ(CC)の理事に就任[30]。後の2006年12月、レッシグが議長を退任しCEO職に専念すると発表され、伊藤が後任の議長に就任した。CC側はこの人事を「CCがそのライセンスおよび理念を商業的応用やより広範なシェアリング・エコノミーへ統合することへの関心を強めていたことの反映」と位置づけ、レッシグは伊藤を「シェアリング・エコノミー構築における重要なリーダーの一人」と評した[31]。
2008年4月、レッシグが研究焦点を著作権から政治腐敗へ移すためCEO職を退任すると、伊藤は理事からCEO(非常勤、無報酬)へ転任、議長職は創設理事のジェームズ・ボイル(デューク大学法学教授)に引き継いだ[32]。同時にCCはヒューレット財団から400万ドル(一般支援250万ドル、教育部門ccLearn支援150万ドル)の助成を獲得[32]。CEO期間中、伊藤はOERへの取り組みを加速させ、伊藤の任期中にクリエイティブ・コモンズは70か国以上に関連団体を持つまでに成長、アルジャジーラ、ホワイトハウス、ウィキペディア、GoogleなどがCCライセンス下で資料を公開するに至った[33][34][35][36]。
2011年、伊藤はMITメディアラボ所長就任に伴いCEO職を退任、後任にはキャシー・カサリーが就任した[37]。2010年から2012年まで再び議長を務めた後、2014年に理事を退任し諮問評議会メンバーとなった[30]。2019年9月7日、ジェフリー・エプスタイン関連の一連の役職辞任の一環として、CC諮問評議会も即日辞任した[30]。
Safecast (2011-)
2011年(平成23年)の福島第一原子力発電所事故を受けて、伊藤は技術者のショーン・ボナー(Sean Bonner)およびピーター・フランケン(Pieter Franken、当時マネックスグループ)と共に、当時の日本政府から提供される環境放射線データの透明性と信頼性の不足に対応するため、2011年3月に市民科学団体Safecast(セーフキャスト)を共同設立し[38][39]、本拠地は東京都渋谷区道玄坂に置かれた。発足直後の同年4月、3名はデジタルガレージ主催のNEW CONTEXT CONFERENCE TOKYO(内容を震災対応に変更)で対面し、Dan Sythe (International Medcom)、Akiba、アンドリュー・"バニー"・ファンらと共に活動を開始[38]。
Safecastは主にボランティアによって運営されており、市民科学主導でbGeigieやbGeigie Nanoなどの低コスト、高精度、携帯可能な放射線測定器を設計、開発、販売している[40][41][42]。これら機器はGPSを利用し、市民が放射線測定データをクラウドソーシングによって収集、そしてそのデータをアップロードできる仕組みを提供。CC0ライセンスでオープンデータとして公開される測定値は2018年時点で5000万データ点を超え、世界最大規模の背景放射線測定オープンデータセットとなった[43]。すべてのデータをCC0で公開するという一貫した方針は、政府や専門機関に依存しない独立した情報基盤を市民の手で構築することを目的としており、危機時における情報の透明性を権利として位置づけるものである。同様の放射線監視ネットワークが福島第一、チェルノブイリ周辺[44]やウクライナ各地で展開されたことは、その原則が普遍的に機能することを示している。
Safecastの活動はシャトルワース財団(2012年~)、ナイト財団、アネンバーグ財団などから資金支援を受けた。学術的にも複数の評価を受けており、共同設立者らは2016年に学術誌『Journal of Radiological Protection』に「Safecast: successful citizen-science for radiation measurement and communication after Fukushima」を発表[45]、2018年にはハーバード・ビジネス・スクールがSafecastを題材としたケーススタディ「Safecast: Bootstrapping Human Capital to Big Data」を発行した[46]。
2022年のロシアによるウクライナ侵攻後、Safecastはウクライナの市民科学団体SaveDniproおよびチェコ放射線防護研究所と連携して「#bgeigies4ukraine」プロジェクトを開始し、同年5月にはロシア軍撤退後のチョルノービリ立入禁止区域において初の独立放射線データ取得を行った[44]。2024年5月以降は固定リアルタイム放射線監視装置「Radnote」のネットワーク構築を進め、2025年7月時点で43機が展開されている[47]。
MITメディアラボ (2011–2019)
背景

2011年4月、ニューヨークタイムズが伊藤のMITメディアラボ所長就任を報じ、2011年9月1日より日本人として初めてMITメディアラボ所長(第4代目)[48]を務めた。2016年7月1日からはマサチューセッツ工科大学教授も兼務。ニューヨーク・タイムズは「2度の大学中退歴を持つ彼の就任は、非常に珍しいケースだ」と伝え、Calit2の所長ラリー・スマールは「選任はラディカルだが賢明だ」と評価[49]している。メディアラボの共同創業者で名誉議長のニコラス・ネグロポンテは「Joiがメディアを変えていくだろう」[50]と語っている。アジアン・サイエンティスト・マガジン誌のインタビューでは、MITメディアラボのビジョンを語った上で「教育」ではなく「学び」という言葉のほうがしっくりくる[51]と語っている。
着任後にはメディアラボの活動指針として「ユニーク、インパクト、マジック」という意味の3つのキーワードを提示した
- 「誰もやっていないことをやる、真似はしない(ユニーク)」
- 「やるなら社会にインパクトを与える活動を目指す(インパクト)」
- 「そしてそれは驚きや感動を与えるものであるべきだ(マジック)」
という意味の3つのキーワードを提示した。また、伊藤のメディアラボでのリーダーシップは、9つの原則によって導かれていた。
- 服従よりも不服従
- プッシュよりもプル
- 地図よりもコンパス
- 権威よりも創発
- 教育よりも学習
- 強さよりもしなやかさ(レジリエンス)
- モノよりもシステム
- 安全よりもリスク
- 理論よりも実践。
これらの原則は、従来の権威よりも創発的なシステムを重視するものであった[52]。
運営
2011年
2011年12月、伊藤はニューヨーク・タイムズに寄稿し、オープンイノベーションの重要性と、規制が少ないほどイノベーションが促進されるという考えについて論じた[53]。メディアラボとしての使命は、研究者が契約や四半期ごとの利益に縛られることなくイノベーションを育むことであり、将来技術につながる可能性のあるアイデアを自由に探究できる環境を提供してきた。 その一環、MITメディアラボ所長の任務として、 レゴ、東芝、エクソンモービルといった企業を含む法人会員はメディアラボからの発明をいち早く知る機会を得る対価として、会費を支払う約90社の企業スポンサーから構成されたコンソーシアムによって賄われ、年間約7,500万ドル(2026年4月換算で約120億円)規模の予算管理を担っていた。伊藤によるこの独自の資金モデルにより、メディアラボの教員、そして約230人の大学院生は、研究助成金の申請書作成といった一般的な資金調達要件を回避し、プールされた資金を内部で分配し、研究にフォーカスすることが可能となっていた。メディアラボは研究の自由を維持しており、「短期的な利益(ボトムライン)を重視しすぎる」企業や、製品の成果を指図しようとする企業を明確に排除してきた実績もある[54]。
同年、メディアラボでの活動の一環として、 既存の学問分野の枠を超える (アンチディシプリナリー)対話のための公開フォーラムとして、ラボのディレクターズ・フェロー(Director’s Fellows)を含む世界各地のリーダー、アクティビスト、研究者を招きながら、テクノロジー、社会、倫理の交差点について議論するMLTalksシリーズを制度化(開始当初は「Media Lab Conversations Series」)[55]。
2013年
2013年にディレクターズ・フェロープログラムを創設、ケニアの起業家ジュリアナ・ロティッチ、デトロイトの作家シャカ・センゴア、マジシャンのマルコ・テンペストなど、従来のメディアラボが接点を持ち難い人々を積極的に巻き込んでメディアラボの多様性に挑戦。
2013年5月、伊藤は『Fast Company』のインタビューにおいて、都市再生の解決策として、都市は「邪魔をしない」こと、すなわち若者がイノベーションを起こしやすくする環境を整えることが重要であると提案 [56]。
2013年10月、伊藤はMITメディアラボが「E14」と呼ばれる独立系投資ファンドと提携することを発表。この取り組みはMITメディアラボの学生に対し、スタートアップを立ち上げるために6か月間の猶予期間を提供するもので、投資からリターンが得られた場合には、MITメディアラボにも資金が還元される [57]。2025年現在、E14は運営を継続しており、100社以上のメディアラボ発スタートアップを支援するとともに、MITメディアラボの起業コミュニティ向けのイベント・プログラムを企画/運営している [58]。
2014年
2014年5月には、『WIRED』誌のインタビューに登場、ものづくりの未来は、テクノロジーと生きた物質(生体)との融合にあると語り[59]、7月には、IDEOのティム・ブラウンとともに、SXSWインタラクティブ・フェスティバルにおいて、ものづくり(メイキング)の未来について対談を行った[60]。
2015年
2015年6月、伊藤はオライリーメディア主催のSolid Conferenceで基調講演を行い、「Why Bio is the New Digital(なぜバイオが新たなデジタルなのか)」と題して講演[61]、12月には、メディアラボ共同創設者のニコラス・ネグロポンテとともに『WIRED』誌の取材を受け、電子インク(e-Ink)、タッチスクリーン、GPS、ウェアラブル技術など、MITメディアラボから生まれた主要な変革的技術について語った[62]。
2016年

2016年6月、MITのメディア・アーツ・アンド・サイエンス分野における実務教授(Professor of the Practice)に任命 [63]。
同じく6月に、伊藤は、アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン、リード・ギャレット・ホフマン、サム・アルトマン、エリック・サロビール神父ら、技術者、経済学者、ヨーロッパの哲学者・神学者が参加した会合に出席し、人工知能時代における仕事の未来についてのエッセイを執筆した[64]。
2016年8月、『WIRED』誌は、文化、テクノロジー経済、消費者行動、科学的発見を形作ることで「物事を動かしている」人物として、Wired 100の第33位に伊藤を選出[65]。
2016年9月、伊藤がリード・ホフマンと取り組んでいた人工知能倫理に関する活動が、ジョン・マルコフによるニューヨーク・タイムズの記事で紹介された。当時、集中的にAI倫理に取り組むグループは3つあり、1つ目は後に2017年に正式発表されたMITメディアラボの取り組みは伊藤とリード・ギャレット・ホフマンが主導、2つ目はアルファベット、Amazon、フェイスブック、IBM、マイクロソフトが参加するスタンフォード大学の「人工知能100年研究(AI100)」、そして3つ目がGoogle DeepMindによる独自の取り組みであった。MITメディアラボのプロジェクトは、「社会を常に議論の輪の中に留める」ことを目的としており、伊藤は特に、計算機科学者が社会科学者や哲学者と相互に関わることの重要性を強調[66]。
11月には、伊藤は当時の米国大統領バラク・オバマと、人工知能、ニューラルネットワーク、自動運転車について対談。その内容が『WIRED』誌に掲載された[67]。
2016年12月、ニューヨーク・タイムズに「善意で使われたテクノロジーが失敗することもある」と題する論説を寄稿。伊藤は、人間の集合知を拡張するために機械を訓練する新たな人工知能の潮流を、「拡張知能(Extended Intelligence/E.I.)」と呼ぶべきだと提唱。そしてE.I.の課題は、社会の最良の側面と最悪の側面の両方を増幅し得る点にあると指摘、機械知能の時代において、倫理、政府、教育制度、メディアがどのように進化すべきかの枠組みを構築することが不可欠だと述べた[68]。
2017年
2017年1月、世界経済フォーラムにおいて、デビッド・カークパトリックと伊藤が公開対談を行い、伊藤は「第4次産業革命において、科学技術だけでは勝てない」と語った[69]。
2017年3月、メディアラボ所長としての指導の元、メディアラボは「Beyond the Cradle: Envisioning a New Space Age」シンポジウムを開催し、そこで宇宙探査イニシアチブを立ち上げた。伊藤自身、約250名の来場者と300名以上の世界同時配信視聴者を迎え、宇宙、芸術、デザイン、科学、工学が究極的に融合する場として位置づけた。この新たな学際的プログラムは、40名以上の教員と学生が関わり、惑星間生活のためのアクセス可能な技術の開発、「オープン・スペース」の民主化、そして宇宙技術の地球への応用を目指して拡大を続けている。また、博士課程のアリエル・エクブローとダン・ノヴィが企画した学生主導のイベントには、アメリカ航空宇宙局の宇宙飛行士、SFビジョナリー、産業界のリーダーが参加し、宇宙探査を人類の次世代を鼓舞する創造的で包摂的な使命とする伊藤のビジョンを強く印象づけた[70]。
2017年3月、伊藤はハーバード・ビジネス・レビューにおいて、ネハ・ナルーラとともに、「ブロックチェーンは、インターネットがメディアに起こした変革を金融システムにもたらす」と述べた[71]。
2017年7月、伊藤は人工知能の倫理とガバナンス基金(Ethics and Governance of Artificial Intelligence Fund)を共同設立した。この基金には590万ドルが拠出され、MITメディアラボとハーバード大学のバークマン・クライン・センターに分配された[72][73][74]。
2017年9月、伊藤はNPRのインタビューで市民科学について語り、福島第一原発事故後の2011年3月に放射線データ収集のために立ち上げたSafecastのように、一般市民がどのようにデータ収集に貢献できるかを説明[75]。
2018年
2018年春、伊藤はハーバード大学のジョナサン・ジトレインとともに、「人工知能の倫理とガバナンス」と題した、共同デジタル倫理講座を共同主催[76][77]。
2018年3月、伊藤は『WIRED』誌において、MITメディアラボ研究者ジョシュ・テネンバウムの研究に関連し、説明可能性の限界について執筆した。この記事では、物理、社会的相互作用、迅速な確率判断に関する生得的な「直観エンジン」に支えられた人間の直観が、膨大なデータに基づく説明可能な統計モデルを重視するAI研究や科学的還元主義の中で過小評価されていると論じている。乳児が現実世界との相互作用を通じて学習する過程と、AIのパターン認識の限界を対比させ、説明不能な直観を受け入れることが、AIの進展と、生態学のような複雑で非線形な問題に取り組む際の謙虚さにつながると主張[78][79]。
2018年3月29日、伊藤は『WIRED』誌において、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)の逆説について執筆。UBIは、ミルトン・フリードマンやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアといった人物から超党派的な支持を受けてきた一方で、保守派とリベラルの双方から反対を受けている。深刻な所得格差や自動化による大量失業への解決策として期待される一方、研究者ルーク・マルティネリの言葉を引用、「実行可能なUBIは不十分であり、十分なUBIは実行不可能である」という財政的ジレンマを指摘。保守派はコストや労働意欲の低下を懸念、慎重なリベラル派は、既存の社会保障制度を解体、企業が賃金を引き下げる口実として利用されることを恐れていると述べた。それでもなお、サム・アルトマンのベーシックインカム・プロジェクトや、クリス・ヒューズによる勤労所得税額控除(EITC)拡充案などの試みを、UBIの実際の経済的・社会的影響を実証的に理解するための重要なステップとして紹介[80][81]。
2018年5月、伊藤は、人工知能は「水晶玉」ではなく「鏡」として捉えるべきだと提案し、この技術は客観的な予測を与えるものではなく、社会に既存する偏見を映し出すものだと論じた。AIを人間や制度の欠陥を映す存在として認識することで、構造的な不平等を特定し、是正するために活用できると主張[82]。
2018年から2019年
2018年から2019年にかけて、伊藤はMITメディアラボとIEEE(米国電気電子学会)が立ち上げた、人工知能の倫理とガバナンスに焦点を当てる「拡張知能評議会(Council on Extended Intelligence)」のメンバーを務めた[83][84][85]。
エプスタイン問題
背景:エプスタインと学術界
ジェフリー・エプスタインは慈善活動とネットワーキングを通じて学術界に体系的に食い込んでおり、伊藤との関係もその一環であった。
他大学への資金提供は記録上では1998年のハーバード大学に始まり、同大学は1998年から2008年にかけて総額917万9,000ドルを受領(2008年の有罪判決後、記録上では受け入れていない)[86]。
また、文芸エージェントジョン・ブロックマン主宰のエッジ財団は1999年以降「億万長者の晩餐会(Billionaires' Dinner)」を催しており[87]、エプスタインはその最大級の資金提供者として、著名な科学者やテクノロジー指導者と接点を得ていた[88]。
MIT本体自身も2002年、有罪判決前のエプスタインからマーヴィン・ミンスキーの研究への最初の寄付(10万ドル)を受けている[89]。2026年公開のエプスタインに関する司法省文書を分析した世界の高等教育(大学や大学院)に関する分析やコンサルティングなどを提供する英国発の組織、タイムズ・ハイアー・エデュケーションは、エプスタインを「犯罪にもかかわらず学術コミュニティに深く埋め込まれていた」人物と評している[90]。
エプスタインとの関係
伊藤がエプスタインと出会ったのは2013年、TEDカンファレンス会場(エプスタインは2008年の有罪判決により入場を認められていなかった)の廊下で、メディアラボ諮問評議会メンバーのリンダ・ストーンの紹介によるものであった。当時エプスタインは既に15年に渡るハーバードの主要寄付者として知られており、エッジ財団を通じて著名な科学者のネットワークに受け入れられていた[91][88]。伊藤は出会いの後、インターネット調査やニコラス・ネグロポンテら複数人への照会という形で「デューデリジェンス」を行ったとしている[91]。
グッドウィン・プロクター報告書によれば、2013年3月にメディアラボのスタッフが伊藤に対しエプスタインは「ラボが関わるべき人物ではないかもしれない」と伝えたが、伊藤はその経歴を認識した上で「彼は非常に賢く興味深く、我々の仕事に熱心だと思う」と返答し、2015年と2017年にも擁護した。2017年には来訪に不満を示したスタッフに「(メディアラボ創設者の一人)ネグロポンテとも話したが、彼もジェフリーを敬意をもって扱うべきだと同意している」と応じている[91]。
エプスタインは2013年から2017年にかけて計9回MITを訪問し、その全てで伊藤と面会、各回で他の研究者とも面会したが、エプスタインが伊藤に紹介した研究者(ヨシャ・バッハ)も、伊藤がエプスタインに引き合わせた教授(ネリ・オックスマン)も同席していた[92]。2016年のミンスキー追悼式では、幹部協議を経てキャンパス立ち入りは認められたが式及びレセプションへの参加は許されず、伊藤のオフィスに留まった[93]。辞任前年の2018年にも、伊藤は研究者ケイレブ・ハーパーの研究のためエプスタインから150万ドルの寄付を得ようと働きかけていた(実現せず)[93]。
2019年にこれらのつながりが報道で明らかになると、伊藤は当初謝罪文を公表したが辞任はしなかった[94]。伊藤はグッドウィン・プロクターの調査に全面的に協力し知る限りを開示したとしている[95]。伊藤はエプスタインの犯罪行為への関与を問われたことはなく、一連の問題で訴追や法的責任を問われたこともない[92]。
支持と擁護、その後
辞任を求める声を受け、2019年8月下旬、ローレンス・レッシグ、スチュアート・ブランド、ニコラス・ネグロポンテ、ジョナサン・ジットレイン、ジョージ・チャーチら(多くはMITメディアラボの当時現、または元メンバー)が署名した支持サイト(wesupportjoi.org)と書簡が公開された[96]。しかし関係の詳細が明らかになるにつれ署名撤回が相次ぎ、サイトは9月上旬に削除された[97]。
2019年9月6日、『ザ・ニューヨーカー』のローナン・ファローによる記事は、伊藤のラボが認めていたよりも深い資金調達上の関係をエプスタインと持ち、接触範囲を隠そうとしていたと報じた[98]。同記事は内部メールと証言に基づき、スタッフがエプスタインをイニシアルのみで記録し「ヴォルデモート」「名前を言ってはいけない人」と呼んでいたこと、寄付を匿名処理していたこと、エプスタインがマイクロソフトのビル・ゲイツ(200万ドル)や著名投資家レオン・ブラック(550万ドル)ら他の富豪からラボへの計750万ドルの寄付を仲介したことを主張した[98][99]。
伊藤はニューヨーク・タイムズへの電子メールで、ニューヨーカー誌の報道は「事実誤認に満ちている」と述べた[100]。友人のハーバード・ロースクール教授ローレンス・レッシグは2019年9月8日にMediumへ擁護記事を投稿し、匿名化はエプスタインの評判を「ホワイトウォッシュ(粉飾)」しないためで両者の関係を隠すためではないと論じたが[101]、広範な批判を招いた。レッシグはニューヨーク・タイムズの報道を名誉毀損で提訴(後に取り下げ)した一方[102]、後にハーバード大学の新聞、クリムゾンに「MITの指示通り匿名で受け取ったとしても、伊藤がエプスタインの資金を受け取ったのは間違いだった」と述べている[102]。
また、組織的匿名化という中核的主張は、2020年のグッドウィン・プロクター報告書でも確認された[103]。ゲイツ及びブラックの寄付について伊藤自身が2014年10月のメールで「これはジェフリー・エプスタインが手配したビル・ゲイツからの200万ドルの寄付である」と記していたことがメール現物から確認されている[104]。一方、寄付された資金自体がエプスタインのものであった(資金洗浄)という点はゲイツ側が否定し、報告書も「ゲイツまたはブラックが寄付した資金がエプスタインの資金であった証拠は見つからなかった」と結論付けた[89]。ただし2026年1月公開の司法省文書には、エプスタインがゲイツの顧問と寄付を調整し、ブラック・ファミリー財団からラボへの500万ドルの匿名寄付に関与したことを示すメールが含まれ、ゲイツ側の当初の否定と矛盾している[105]。
メディアラボ所長辞任
2019年9月7日、伊藤は『ザ・ニューヨーカー』の記事直後にMITメディアラボ所長とMIT教授を辞任した。ニューヨーク・タイムズによれば、伊藤はハーバードの客員教授職も辞し、同日に他の多くの役割も放棄した[100][106]。続けてマッカーサー基金理事、ニューヨーク・タイムズ・カンパニー取締役、ナイト財団評議員、PureTech Health会長を相次いで辞任した[107]。9月12日、ライフ学長はMITコミュニティへの公開書簡で、2012年にセス・ロイド教授への寄付に対するエプスタイン宛て感謝状に署名したことを認め、当時その名前を認識していなかったと説明した[108]。
2026年公開の司法省文書により、伊藤がエプスタインとの共同投資ビークル(Kyara Investments III, LLC)を設立していたことが確認された。同LLCは2014年9月設立で、暗号通貨インフラ企業ブロックストリーム社への投資を目的としていたが[109]、同社CEOアダム・バックはまもなく「潜在的な利益相反」を理由にKyaraが持分を売却したことを確認している[110]。
MIT調査結果及び影響
2020年1月10日、MITはグッドウィン・プロクター法律事務所に委託した全61ページの事実調査報告書を公表した。報告書作成にはポール・ワイス法律事務所も加わり、電子データの分析はストロズ・フリードバーグ社が担当、59名への73回のインタビューと61万通超のメール・文書の精査に基づくものであった[103][89]。報告書によれば、エプスタインは2002年から2017年にかけてMITに計10件/85万ドルを寄付し、2008年の有罪判決後の9件/計75万ドルのうちメディアラボ(伊藤)が52万5,000ドル、機械工学科のセス・ロイド教授が22万5,000ドルを受領し、判決後の寄付は管理部門ではなく伊藤またはロイドが主導したものと認定された[89]。エプスタインはほかにMITと無関係の伊藤の個人事業2件にも計125万ドルを提供しており、報告書はこれらの取引がMIT上級管理職に開示・承認され当時の規則に違反しないとした[92]。
2013年、3名の副学長(法務顧問R・グレゴリー・モーガン、リソース開発担当ジェフリー・ニュートン、執行副学長兼会計責任者イスラエル・ルイス)は、寄付と性犯罪歴の双方を認識した上で、論争的寄付者に関する方針が存在しなかったため少額及び匿名の寄付を認める「非公式な枠組み」を構築した[103][111]。ロイドは2012年の2件の寄付でエプスタインが資金源であることを故意にMITに伝えず、2005-2006年に同人から6万ドルの個人的贈与を受け個人口座に入金していたことが判明、有給の管理職務停止処分を受けた[103]。
報告書は「論争的寄付者を扱う方針が存在しなかったため判決後の寄付受け入れを方針違反とは判断できない」としつつ、「集団的かつ著しい判断ミスであり、MITコミュニティに深刻な損害をもたらした」と結論付けた。承認に関わった3名の副学長は「善意で行動した」と認定され、ライフ学長は寄付を当時認識しておらず承認に関与していなかったことも確認された[103][111]。報告書は脚注で、エプスタインもその財団もMITの寄付システム上「失格(disqualified)」とコード化されたことはなく、同コードはブラックリストや寄付禁止を意味しないと明示した[112]。
DCIディレクターのネハ・ナルーラは2019年9月、ブログ記事「Unacceptable funding」で、資金源を知っていれば受け取ることはなかったとし、DCI内部のビットコイン・コア開発者を含む大半のメンバーが資金源を認識していなかったことを明らかにした上で、相当額を人身売買被害者支援団体に寄付すると表明した[113]。DCIはナルーラ体制下で活動を継続し、2020年8月以降はボストン連邦準備銀行と共同で中央銀行デジタル通貨(CBDC)のオープンソース実証研究「Project Hamilton」に取り組んでいる[114]。
2023年5月のウォール・ストリート・ジャーナルの記事では、伊藤が投資家のリード・ホフマンと共に、寄付の相談のため当時エプスタインが所有していたリトル・セント・ジェームズ島を訪れたことが報じられた[115]。なお、2026年1月のサイエンティフィック・アメリカン誌で、スティーブン・ピンカー(公開文書には2002年にエプスタインの専用機へ同乗した4秒間の映像が含まれるが不正行為は指摘されておらず、搭乗はブロックマンの差配によるとされる)は、科学者は「所属大学と同様に、また慈善に依存する芸術家らと同様に、資金をばら撒く意思のある裕福な人々に日常的に取り入ろうとする」と述べている[88]。
米国司法省のEpstein Library (2026)
2026年1月、米国司法省がEpstein Files Transparency Actに基づき公開した文書群(通称「Epstein Library」)の検索システム上で、伊藤穰一の氏名が多数の文書に表示されることが確認された。ただしこれは文字列一致に基づくものであり、表示件数自体が関係の性質や法的評価を示すものではない[116]。ニューヨーク・タイムズの分析によれば、両者の間では少なくとも4,000件を超える直接のメールが交わされていた[117]。
これは政治、及び経済界にも波及した。同年2月、ハッカー/サイバーセキュリティのカンファレンスで知られるDEF CONは、米司法省のエプスタイン文書およびポリティコの報道に名前が現れたことを理由に、パブロス・ホルマン、ヴィンチェンツォ・イオッツォ、伊藤穰一の3名を公開の出入り禁止者リストに追加した[118][119]。3月には立憲民主党の泉健太が衆議院予算委員会(3月5日及び12日)でエプスタイン文書における伊藤との関連について政府の対応を質した[120]。伊藤は政府の有識者委員会(デジタル社会推進本部関連)および「グローバルスタートアップキャンパス推進戦略有識者会議」委員を2026年3月31日付で退任。これら一連の措置は新たな刑事手続きや法的認定を伴うものではなく、各機関独自の判断であった[121]。
2026年2月26日のニューヨーク・タイムズ調査記事(日本語版は東洋経済オンラインが配信)によれば、伊藤は高市早苗政権が成長戦略に掲げる総額4億ドル超の「グローバル・スタートアップ・キャンパス構想(GSC)」で、2024年初頭に甘利明のメモが戦略主導者3名の一人に挙げた人物であり、政府が連携を打診したMIT、ハーバード、カーネギーメロン大学、慶應義塾大学が伊藤の関与を理由に連携へ難色を示したとされる[117][122][123]。ただし各大学は取材に応じず連携見送りの理由を公式には明らかにしていない(カーネギーメロンは連携していない事実は認めたが理由はコメントを控えた)[117]。内閣官房広報官は伊藤への懸念を認識しつつ「本人の不正行為は確認しておらず、深い知見を有している」ため起用したと説明し[122]、内閣府副大臣(当時)の辻清人も2025年の国会答弁で伊藤をGSC構想に対し有用な助言を行う「非常勤のアドバイザー」と位置付けていた[117]。
文書公開を受け、現職の千葉工業大学学長としての責任もXなどで問われ、それに対し2026年2月28日、同大学は声明で、学長就任時に理事会のバックグラウンドチェックを実施したこと、両者間のメールは2020年1月の第三者報告書で精査済みであること、MIT在任中の活動は同大学の許可及び監督下にあったこと、本人への確認でも違法及び不正行為への認識も関与もなかったことを再確認したとして、学長続投の方針を表明した[124]。
伊藤は2026年3月3日、自身のブログでエプスタイン・ファイルに関する声明を発表し、一部報道に事実誤認があるとした上で、ラボ所長としての寄付募集が職務の一部であったこと、寄付受け入れは専門家に相談した上での判断であったこと、エプスタインとの交流で「現在明らかになっているような行為の証拠を目撃または認識したことは一切なかった」こと、グッドウィン・プロクターの調査で客観的事実は確認済みであることを改めて述べた[125]。GSC構想を所管する小野田紀美科学技術担当相は3月6日の記者会見で「内閣府としてそれ以上の調査や聞き取りを行う必要はない」と述べ、政府会議の委員としての立場に関係しない行動については本人に説明責任があるとの認識を示した[121]。
なお、エプスタインの学術界への食い込みは伊藤やMITにとどまらず、2026年にはハーバードの経済学者で元総長のローレンス・サマーズが要職を辞任し、バード・カレッジのレオン・ボットスタイン学長も51年の在任を経て辞任するなど、同様の波及がみられた[126]。
また、2026年に米国司法省が公開したエプスタイン関連文書により、伊藤がMITメディアラボ所長在任中の2015年10月21日にエプスタインへ宛てた電子メールの内容が明らかになった[127][128]。メールの中で伊藤はエプスタインに対し、シリアの刑務所に収監されていた友人のバセル・ハルタビルを釈放させるため、アサド政権に影響力を持つ人物を紹介できるか尋ねており[128]、同電子メール内にはクリエイティブ・コモンズのブログ記事へのリンクを添えていた[129]。同時期、クリエイティブ・コモンズはハルタビルの釈放を求めるキャンペーンを展開していた[129]。エプスタインは「メールでは話せない」とのみ返信した[127][130]。
MITメディアラボ所長辞任後の伊藤

MITメディアラボ所長辞任後の2021年8月、日本のデジタル庁の事務方トップ「デジタル監」に伊藤を起用する方向で進められていると、各メディアで報道された[131]。報道後、ジェフリー・エプスタインとの関係を有していた伊藤の起用を問題視する声が相次いだ[131][132]。日本政府は伊藤のデジタル監起用を断念し[132]、一橋大学名誉教授の石倉洋子を起用したが、デジタル庁は設置後の9月7日、有識者会議「デジタル社会構想会議」のメンバーの一人に伊藤を起用したことを発表した[133]。
経済同友会の動き
2026年4月6日、経済同友会は、組織再編で、伊藤が委員長を務めていた「企業のDX推進委員会」を廃止した[5][134]。新設された委員会で伊藤は委員長から外れているが、同友会はエプスタイン事件とは関係はないとし、今後も委員会の活動に関わるとしている[134]。
同友会は、エプスタインとの関連を調査し、問題ないと結論づけたと説明した[134]。同友会の山口明夫代表幹事は記者会見で、伊藤について「重要な仲間だ」と述べ、引き続き会員としての活動を認める旨を発言した[5]。
GSC構想運営委員任命をめぐる問題
少女らへの性的人身売買罪で起訴され自殺した米富豪ジェフリー・エプスタインとの交遊関係が指摘されている千葉工業大学学長の伊藤が、内閣官房の「グローバル・スタートアップ・キャンパス(GSC)構想」運営委員を務めていたことが国会で問題となった。GSC構想は岸田文雄政権の「新しい資本主義」の一環として始まり、世界トップレベルの研究者や起業家を日本に呼び込み、先端技術分野の起業を後押しする計画である[135]。2022年策定の「スタートアップ育成5か年計画」の一環で取り組まれ、キャンパスは2028年度以降の本格稼働を計画している[136]。東京都内の恵比寿駅と中目黒駅の間にある国有地に建設される拠点施設は、建設費だけで従来想定の2倍超にあたる970億円規模が必要となる見通しであることなどが批判されている[135]。
小野田紀美科学技術政策担当相は2026年6月17日の衆院内閣委員会で、伊藤の任命について「海外に精通しているので助言をいただいた」と述べ、適任だったとの見解を中道改革連合の後藤祐一への答弁にて示した[135]。小野田は、伊藤が海外のイノベーション・エコシステムに精通し、海外の大学/企業/投資家とのグローバルなネットワークを有していること、MITメディアラボ所長を退任し一定の責任を取っていること、当時MITが委託した法律事務所による報告書で客観的な事実関係が整理されていたことを理由に挙げた。また「意思決定権はなく、あくまで助言をいただいた」と説明した[135]。尚、伊藤は令和6年(2024年)からアドバイザーやエグゼクティブアドバイザーを務め、2025年7月からはステアリングコミッティ(運営委員会)の構成員として中心的役割を果たしたが、2026年3月末で退任した[135][137]。
後藤は、伊藤がエプスタインからの資金提供などを理由に2019年にMITメディアラボ所長を辞任した後に、政府が任命したことを問題視した[135]。小野田は2026年3月3日の記者会見で、米司法省が公開した「エプスタイン文書」に記載のあった伊藤への聞き取りを事務方に検討させていると明らかにした[137]。しかしその後、政府としての調査は行わない方針へと転換した[138]。千葉工業大学は2026年2月28日、伊藤が違法・不正行為に一切関与していないとする声明を発表し、学長続投の方針を示した[139]。
ポッドキャスト
2021年秋よりポッドキャスト、「変革への道 - Joi Ito's Podcast」を配信している[140]。ゲストを迎える以外にも、暗号通貨に代表される金融、茶道、文化など、現代を生きる様々な関心を培っている。
出演ゲストは南條史生、松井孝典、池上英子、キャシー松井、茂木健一郎、平将明、オードリー・タン、平井卓也、暦本純一、御手洗瑞子、藤田清、伊住禮次郎、戸田貴士、原研哉、本田圭佑、為末大、近藤麻理恵、ティムラズ・レジャバ、ローレンス・レッシグ、中田敦彦、西野亮廣、など多岐に渡る。
ニューロダイバーシティ
伊藤はMITメディアラボ所長時代、ラボ学生の大半がASD(自閉症)傾向があることを実感[141]。それを通じて欧米で1990年代から起きていたニューロダイバーシティ・ムーブメントと出会った。2016年にバラク・オバマ米大統領との『WIRED』対談では、テンプル・グランディンを引用しつつ「モーツァルト、アインシュタイン、テスラが現代に生きていれば自閉症と診断されたであろう」、「自閉症を排除して全員をニューロノーマルにしたら、MIT学生の多くは今の姿ではなくなる」とニューロダイバーシティ運動の意義を論じ[142]、同時にMITメディアラボ内では自閉症サポートする技術に関する研究も行われていた[141]。
2018年10月、伊藤は『WIRED』に「The Educational Tyranny of the Neurotypicals (ニューロティピカルの教育的圧政)」と題する論考を寄稿、「標準的な知能や集団行動を身につけさせようとする従来の教育は、非定型発達の人たちにはなじまない。彼らは、興味のあるものについて調べる、あるいは、課題解決型の学習や教師に教わるのではない学び方であれば大きく伸びる」と論じた[143]。
記事を出した数年後、米国で娘が自閉症と診断され、ニューロダイバーシティの考えを当事者家族として推す立場となった[144]。その後、自閉症の娘と共に日本(東京)に移住した[145]。帰国後の伊藤は、日本の教育現場でニューロダイバージェントの定義や存在を知らずに学校レベルで接していることが問題の一つであると認識、教育段階からニューロティピカルとニューロダイバージェントを混ぜていく必要性を実感したと述べている[146]。
2022年、伊藤は「まちの保育園・こども園」を運営するナチュラルスマイルジャパン代表でレッジョ・エミリア・アプローチ国際ネットワークの日本窓口団体JIREA代表でもある松本理寿輝と共同で「ニューロダイバーシティ株式会社」を創業[147]。2023年9月にはNPO法人ニューロダイバーシティを設立し、スクール運営とコミュニティ作りを通じて教育と社会の変革の推進を目標とした[148]。2024年9月、伊藤と松本は東京都港区南青山に「ニューロダイバーシティ・スクール・イン 東京 (Neurodiversity School in Tokyo、通称NSIT)」を共同創立者として開校[145][149]。NSITはDIR/Floortimeとレッジョ・エミリア・アプローチを融合させたバイリンガル(英語/日本語)のオルタナティブスクールである[145]。NSITと並行して運営されている「Neurodiversity Potential」は、日本でニューロダイバーシティの考え方の普及、社会的そして文化的ムーブメントの形成を目的としたコミュニティである[150][151]。
人工知能への提言
2017年、伊藤はマサチューセッツ工科大学のオープンアクセス学術誌『Journal of Design and Science』に論文「Resisting Reduction: A Manifesto」を発表し、「人工知能(Artificial Intelligence)」に代わる概念として「拡張知性(Extended Intelligence)」を提唱[152]。同論文は、複雑な現実を単一の指標へと切り詰める「還元主義(reduction)」への抵抗を主題とし、AIを人間を超越、代替するものとして最適化する「シンギュラリティ」的思想を批判、AIを人間や社会の知性を補完及び拡張する存在として設計することの重要性を論じた[152]。同論文は後にMITプレスより単行本として刊行された[153]。
2023年4月、米オープンAI最高経営責任者(CEO)サム・アルトマンの訪日に先立ち、伊藤は自民党AIプロジェクトチーム座長の平将明衆議院議員らにオープンAIのシステムを紹介した[154]。同年6月12日には東京大学で「大規模言語モデルを超えて。生成AIの発展に日本が果たす役割」と題する講演を行い、確率的プログラミングを応用したニューロシンボリックAIを、大規模言語モデル(LLM)と比較して学習・推論効率に優れた次世代手法として提唱。講演では「日本においてこのようなシステムを開発し、データ、モデル、学習に関するガバナンスモデルを構築する多大な機会と責任がある」と述べた[155]。
産経新聞のインタビューでは、ChatGPTのような巨大LLMを国内で一から開発することについて「オープンAIと戦って戦艦大和(のような国産AI)を作るよりも、前を走っているオープンAIと話す方がいい」と述べ、既存の大規模LLMの模倣ではなく、専門特化型及びニューロシンボリック型の開発路線による差異化を提言した[154]。また、OpenAIおよびGoogleのサービスについて「どちらも過剰に利用しないようにするのが正しい姿勢だ」と述べ、特定プラットフォームへの過度な依存を避けるよう日本企業に呼びかけた[154]。
千葉工業大学
変革センター(2021-)
2021年12月、千葉工業大学・変革センター(The Center for Radical Transformation: CRT)所長に就任したこと、2022年1月より同大学評議員に就任することが発表された[156]。
学長(2023-)

2023年7月より、千葉工業大学14代学長に就任[157]。
千葉工業大学は、2024年(令和6年)2月に名誉博士の称号を授与する制度を制定。これは、学術文化や社会への功績が特に顕著であると認められ、今後、千葉工業大学の教育研究への寄与が期待される、また、今までに千葉工業大学の教育研究に寄与した功績が顕著であると認められた者に贈られる[158]。
新制度下、初めての称号贈呈が同年10月に三笠宮家の彬子女王に贈られ[159]、同年12月にはマサチューセッツ工科大学教授、生体工学者、そして実業家のロバート・ランガー[160]、2025年(令和7年)にはブータン王国国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク陛下、ロリーン・パウエル・ジョブズおよびリード・ギャレット・ホフマンに贈られた[161]。
また、2025年(令和7年)に千葉工業大学変革センター内に、人類の成長を促進する革新的な試みを称えた「変革賞(Radical Transformation Award)」を創設。サウンドアーティストのクリスティン・サン・キムが初代受賞者に選出。[162]。
なお、2024年(令和6年)以降、内閣府のグローバル・スタートアップ・キャンパス構想(GSC)のエグゼクティブ・アドバイザー、およびステアリング・コミッティのメンバーを務め、マサチューセッツ工科大学(MIT)ロバート・ランガー教授や、リード・ギャレット・ホフマンを迎えたワークショップを行っている[163][164]。
2026年(令和8年)2月、千葉工業大学は、2023年、伊藤の採用に際し実施した調査にて「いかなる違法または不正な行為にも一切関与していない」と確認したとする声明を発表した[165]。共同通信及び産経新聞は同年3月、エプスタイン問題に関連する報道を受け、伊藤がGSCのステアリング・コミッティーへ再任されない方向であると報じた[166]。
人物
伊藤は2022年(令和4年)に公益社団法人日本マーケティング協会発行、マーケティングホライズン誌の取材に応じ、総合的な考えを述べている[167]。
1985年(昭和60年)の通信改革以前にモデムを利用していた日本人の一人で、10代でThe Sourceやoriginal MUDを始め、26歳まで自作MUDを使っていた。タフツ大学工学部で後のeBay創業者Pierre Omidyarと出会う[168]も、専攻の堅苦しさとコンピューターを学校で「習う」ことに違和感を覚え、中途退学してOvonics社で働き始めるが、Stanford R. Ovshinskyに復学を勧められる。シカゴ大学では物理専攻へ入学するも、物理を理解させることより、実用的エンジニア育成を重視するカリキュラムに失望し、再び中途退学している。1985年秋にConnected Education社のパイオニアプログラム・オンラインコース第1期生となり、ニュースクール大学で単位を取得した。
シカゴのナイトクラブThe LimelightやThe Smart BarでDJを務め、Metasystems Design Groupと一緒に東京でネット共同体を模索している。後にMetro ChicagoのJoe Shanahanに援助されて六本木でナイトクラブXY Relaxを運営。
実業家

PSINet Japan、株式会社デジタルガレージ、Infoseek Japan、など多数のIT関連会社を起業している。デジタルガレージ[169]、カルチュア・コンビニエンス・クラブ[170]、ローソン、マネックスグループ、ソニー[171]、株式会社日本技芸、Tucows[172]、Mozilla Foundation、WITNESS、Creative Commons、The John S. and James L. Knight Foundation[173]、マッカーサー基金[174]などのボードメンバーを務める。
日本国内初のインターネット接続プロバイダーであるPSINet Japanと、インターネット・サーバー構築やウェブ制作を行う会社・エコシスを、家族からの借金で設立したとされる[22][23][24][25]。ただし、日本初の商用インターネットサービスプロバイダ(ISP)は、1992年に設立された株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)である。
日本国内初のウェブサイト「富ヶ谷」、朝日新聞の「オープンドアーズ」、博報堂の「Ad-Mall」、ジュニアサミット95などを手掛けたとされる。ただし日本初のウェブサイトは1992年9月に作られた高エネルギー物理学研究所(KEK)のものである。
個人投資家
ベンチャーキャピタリストだけでなく、エンジェル投資家としても世界に知られている。売上が小さく非常に早い段階(アーリーステージ)でのベンチャー支援に積極的で、ブログやソーシャルサービス、マイクロファイナンスなど、インターネット時代を代表するユニークなビジネスの創出に貢献しており、過去に、Twitter[175]、Six Apart、Wikia、Flickr、Last.fm、Fotonauts、Kickstarter[176]、Path、littleBits、FormLabs、ASAPP、ロフトワークなどへ投資している。創発民主制・シェアリングエコノミーの提唱者でもある。
学位
- 2013年5月、ニュースクール大学より名誉博士号(文学)を授与[177]
- 2015年5月、タフツ大学より名誉博士号(文学)を授与[178]
- 2016年7月1日付でMITのProfessor of the Practice of Media Arts and Sciencesに任命
- 2018年7月、慶應義塾大学大学院政策/メディア研究科より博士号(政策・メディア)を取得[179]。学位論文『The Practice of Change』は、ドネラ・メドウズのレバレッジ・ポイント論をはじめとするシステムダイナミクス、マーティン・ノヴァクの進化動力学、サイバネティクスなどを参照しつつ、複雑適応系への介入のあり方を論じたものである。論文は「アンチディシプリナリー(antidisciplinary)」のアプローチ、複雑な制度を「相互運用性の層(layers of interoperability)」に分解する設計、そして社会の価値基準を財務的価値の測定から「フラーリッシング(flourishing、人間の繁栄)と頑健性(robustness)」へ転換することの必要性を主張している。
ジャーナリズム
アジア版ウォールストリート・ジャーナル[180]とニューヨーク・タイムズ[181][182]など数々の雑誌や新聞へ寄稿[183]し、デイリー・ヨミウリ、マックワールドジャパンなどで連載していた。
2018年、日本版WIREDの編集長を務め[184]、全7話の動画シリーズ「Get Wired」をプロデュースした[185]。同年11月には「WIRED ICON」に選出された[186]。
ニューヨーク・タイムズオンライン[187]、ビジネスウィーク[188]、American Heritage[189]、Wired[190]、Forbes[191]、BBC News[192]などにインタビューが掲載される。
家族
伊藤家は胆沢城跡の南に残る伊達藩水沢領主留守氏の家臣であった[28]。伊藤によれば岩手県にある屋敷に800年、17代ほど住み続けており、約27代まで家系を遡れるという[194]。太平洋戦争中、この屋敷に疎開していた祐吾の次女のスギが田辺靖雄を産んでいる。
父は研究者の伊津政寿で、京都大学工学部で福井謙一の元で助手を務め、エナジー・コンバージョン・デバイセズ(略称:ECD、現:Ovonics)に勤務していた[28]。母は日本ECD社長や水沢学苑三代目理事長を務めた伊藤桃子[28]。当初は一社員の妻にすぎなかったが、ECD社長のスタンフォード・ロバート・オブシンスキーから社長秘書に抜擢され、その後人事部長、海外渉外担当副社長、日本法人社長と昇格した[28]。桃子の給料は夫の2倍になり、年収が原因ではなかったがお互いに幸福な気分になれず、両親は1980年代初頭に離婚した[28][194][195]。日本ECD会長を務めたエドウィン・O・ライシャワーは、桃子を「日本の娘」「太平洋をつなぐ架け橋」として大切に接していた[28][196]。晩年の桃子は財界の大物経営者のサポート役を務めた[28]。妹は文化人類学者の伊藤瑞子。瑞子がハワイで挙式した際は、ライシャワーの妻・松方ハルが司式を務めた[195]。

祖父は岩手県多額納税者で、元水沢町長の伊藤清武[28][197](鹿児島県の長野祐一の三男で、入婿となる)で、その息子は陸摩と大亜。養妹のフジは朝日新聞運動部記者の小出秀世に嫁いだ。曽祖父の伊藤祐吾は元学習院教授で昭和天皇に地理を教えていた[28][194][198]。のち伊藤製粉店、水沢鋳造鉄工などを興し地方産業の進展に努力した[198]。曽祖母の伊藤尚は盛岡藩南部氏家臣を務めた服部武温の四女で、戦後の混乱期に女子教育に尽くし、学校法人水沢学苑の前身水沢女学苑を創立した[28][198][199]。なお、曽祖父・祐吾の末弟である伊藤七雄は宮沢賢治と親交があり、伊豆大島で農芸学校設立を計画した際には、農業指導をするため、大島に滞在した賢治に妹・チヱとの見合いを企図した[200][201][202]。

毎年、夏は妹と共に日本の祖母宅で過ごし[203]、祖母から伝統的な日本文化について教わった。母が日本ECDへ着任する時に14歳で日本へ帰国したため、西町インターナショナルスクール[204]、およびアメリカンスクール・イン・ジャパン[205]にて学ぶ。福井謙一が両親と親交があったため、伊藤は彼と幼少期より親しくし、彼を通じて化学や物理学への造詣を深めている。
交際
リード・ギャレット・ホフマン、ロリーン・パウエル・ジョブズ、J・J・エイブラムス、セス・ゴーディン、坂本龍一、山本コウタロー、三枝成彰、櫻井よしこ、南場智子、黒川清、茂木健一郎、奥谷禮子、ティモシー・リアリー、スプツニ子!、ジョン・ペリー・バーロウ、ジェフリー・エプスタインなど文化人、経済人や学術会に交際範囲が広い[要出典]。音楽プロデューサーの田辺晋太郎と音楽家の小山田圭吾ははとこ(NHKアナウンサーである田辺正晴の妻・スギの姉が伊藤の祖母・ツル)である[要出典]。
趣味
ダイビングではPADI公認マスター・スクーバ・ダイバー、DAN公認インストラクター[206]で、写真ではライカのコレクターであり、200名以上の有名人を撮影した写真はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで提供されWikipediaなど様々な場面で利用されている。2023年、日本を代表する茶道文化の文化財を次世代に継承することを目的に、林郁、元榮太一郎、佐藤輝英とともに発起人となり、各界の第一人者がアドバイザーとして参画する「沼津倶楽部継承プロジェクト」を開始[207]。国の登録有形文化財として文化庁に登録されている[208][209]「千本松・沼津倶楽部」の歴史的建築と文化価値の継承、発信を推進。
著書
著作
- 『「ひらめき」を生む技術』KADOKAWA、2013年 ISBN 4040800052
- 『テクノロジーが予測する未来 web3、メタバース、NFTで世界はこうなる』SBクリエイティブ、2022年 ISBN 4815616469
- 『AI DRIVEN AIで進化する人類の働き方』SBクリエイティブ、2023年、 ISBN 4815619069
- 『教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン』 講談社、2023年 ISBN 4065335175
共著
- 『インターネット7日間の旅』日経BP、1994年 ISBN 4822720276
- 『「個」を見つめるダイアローグ』ダイヤモンド社、2006年 ISBN 4478942269
- 『革命メディア ブログの正体』インデックス・コミュニケーションズ、2006年 ISBN 4757303564
- 『「プレゼン」力 ~未来を変える「伝える」技術』講談社、2016年 ISBN 4062195631
- 『9プリンシプルズ 加速する未来で勝ち残るために』早川書房、2017年 ISBN 4152096977
- 『ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則』日経BP、2018年 ISBN 4822255557
- 『教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン』NHK出版 、2018年 ISBN 4140885459
- 『都市とアートとイノベーション 創造性とライフスタイルが描く都市未来』幻冬舎、2024年 ISBN 4344041984
- 『普通をずらして生きる ニューロダイバーシティ入門』リンクタイズ、2024年 ISBN 978-4833441339
他には、2011年に親交が深い296人のポートレイト写真を収録した写真集FREESOULS: Captured and Released by Joi Ito」をクリストファー・アダムスと出版[210]している。
監修
- 『角川インターネット講座 (15) ネットで進化する人類 ビフォア/アフター・インターネット』KADOKAWA、2015年 ISBN 4046538953
インタビュー・対談
- 「アウトロー日本人の『真の人脈術』」WEB GOETHT Innovator&Networker
- 「『“ラボ”で右脳を刺激する』日本でマーク・ザッカーバーグを生み出す教育論」×茂木健一郎
- 「予測しない、実践する、今想像できないことをしたい」×林千晶 【前編】 【後編】
- 「年齢を重ねるほど楽しくなる、それには絶対の自信がある」林千晶のあの人に会いたい WISDOM
- 「世界を変えることができるのは権威を疑い、自分で考える若者たちだ」クーリエ・ジャポンの現場から【前編】 【後編】
- 「『イノベーションの民主化』とその破壊的変化にしなやかに対応するための9つの原則」 WIRED
- 「MITメディアラボ新所長、伊藤穰一氏に聞く」 WIRED JAPAN (2011年)
- 「WIRED VOL.5 特集:伊藤穰一」 WIRED JAPAN (2013年)
- 「WIRED ICON:伊藤穰一」 WIRED JAPAN (2018年)
- 「逸脱からはじまる『学び』の実践」academyhills
- 「学歴がなくても、世界で活躍する人の真実」×波頭亮 東洋経済オンライン【前編】 【後編】
- 「MIT Media Lab新所長に聞く」CNET Japan
- 「MITメディアラボの新ディレクターに迫る」タイムアウト東京
- 「僕らは儲けや効率性よりも夢や希望の技術を作り出したい」DIAMOND ONLINE
- 「日本人よ、権威を棄て現場に回帰せよ」JB PRESS -※有料コンテンツ
- 「成功するサービスほど変化する。必要なのは想定外を許容する風土」MIT Media Lab講演レポ エンジニアtype
- 「1社に閉じ籠っていてはイノベーションは生まれない」Tech-On!
- 「ブログの『今』を語る」ITmedia
- 「LinkedInの魅力と活用法」Linked in.
- 「年功序列は若者に行動力発揮する機会与えぬ」NEWSポストセブン
- 「"混とん"に飛びこめ!」クローズアップ現代 - ウェイバックマシン(2016年8月9日アーカイブ分)
- 「スペシャル対談 伊藤 穰一 × 坂本龍一」NHK スーパープレゼンテーション
- 「伊藤穰一氏、石井裕氏が日本企業トップと語り合った日」Tech総研
- 「日米で共通の『学び』の現状。家庭を、学校を、外に開け」Tech総研
- 【対談】伊藤穰一×野田聖子「失われた30年」の打開策はある!
- 【起業投資家が茶道に求めるもの 変革に美学が必要な理由 THE CONCEPT#15
- 【 伊藤穣一コラム】私と茶の湯[第1回]
- 「理論と実践で導く“新たな社会”─Gaudiyと5人の研究者が語る産学連携とその課題
- 第2回グローバル・スタートアップ・キャンパス ワークショップ
- Celebrating 117th National Day of Bhutan
- 【解説】ハーバード1.2兆円凍結の衝撃!トランプが狙う"エリート大学つぶし"と関税戦争の行方
- 【解説】イランとイスラエルが衝突 米国も混乱…日本が握る“世界戦争回避”の鍵|伊藤穰一
- 伊藤穰一 × 隈研吾|メタボリズムからデジタル建築へ:分散型社会に必要な「新しいアーキテクチャー」とは?
テレビ出演
- 『スーパープレゼンテーション』(NHK、2012年4月 - 2018年3月)
- 『Earthshot 世界を変えるテクノロジー』(BSテレ東、2022年4月 - 9月)
受賞歴
1997年にタイム「サイバーエリート」一員、2000年にビジネスウィーク「Entrepreneurs and Dealmakers」でアジアのスター50人[211]、2001年に世界経済フォーラム「明日のグローバルリーダー」[212]、2005年にニューズウィーク"Leaders of The Pack (high technology industry)"[213]、2007年と2011年にヴァニティ・フェア「The Next Establishment」[214][215]、2008年にビジネスウィーク「ウェブ業界で最も影響力のある人」[216]、2011年にForeign PolicyとEthan ZuckermanでTop Global Thinkersに、2011年と2012年に日経ビジネス「次代を創る100人」に選出されている。2000年に総務省からIT分野への貢献を表彰[217]され、2011年7月22日にLifetime Achievement AwardでUniversity of Oxford Internet InstituteからWorld's leading advocates of Internet freedom[218]と評される。。2011年にオクスフォード大学インターネット研究所より特別功労賞受賞。2014年にSXSWインタラクティブフェスティバル殿堂入り。2014年にAcademy of AchievementよりGolden Plate Award受賞。