国境の南、太陽の西
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あらすじ
登場人物
- 始(ハジメ)=僕
- 1951年1月4日生まれ。一人っ子。大都市郊外(近畿地方と思われる)の中産階級の住宅地から大学入学を期に東京に移る。教科書出版社を退職後、港区青山にジャズバー「ロビンズ・ネスト」を開業。バーを2軒経営する。
- 島本さん
- 小学校5年生の終わりごろ、「僕」の学校に転校してきた同級生。一人っ子。生まれてすぐに患った小児麻痺のせいで左脚を軽くひきずっている。「僕」とは別の中学校に進学する。
- 有紀子
- 「僕」の妻。5歳年下。教科書出版社勤務時代の夏休みの旅行の時に出会う。「僕」との間に二人の娘をもうける。
- 有紀子の父
- 中堅の建設会社の社長。子供が3人いる(兄、有紀子、妹)。「正規の教育はほとんど受けていなかったけれど、仕事に関してはやり手だった」と「僕」は記している。
- 大原イズミ
- 「僕」の高校生時代の恋人。父親は日本共産党員の歯科医師で、3人兄弟の長女、妹、弟がいる。「僕」がイズミの従姉と関係をもったため深く傷つき、「僕」と別れる。
- 大原イズミの従姉
- 京都在住。「僕」の2歳年上。「僕」が高校3年の時に出会い、関係をもつ。
登場する文化・風俗
- 「プリテンド」 - アメリカのポピュラー・ソング。ナット・キング・コールのバージョン(1953年)が最もよく知られる。「僕」と島本さんが何度も繰り返して聴いた「プリテンド」もナット・キング・コールのバージョンである。
- 「国境の南」 - アメリカのポピュラー・ソング。ジーン・オートリー主演の同名映画(1939年)のために書かれた楽曲である。「ナット・キング・コールが『国境の南』を歌っているのが遠くの方から聞こえた。(中略)その曲を聴くたびにいつも、国境の南にはいったい何があるんだろうと思った」[5]と少年時代を回顧する場面でまず登場する。そして箱根の別荘でも「国境の南」はかかる。「僕らは昔のようにソファーに並んで座って、ナット・キング・コールのレコードをターンテーブルに載せた。(中略) ナット・キング・コールは『国境の南』を歌っていた。その曲を聴くのは本当に久しぶりだった」[6][注 2]
- シアサッカー - 布地の種類の一つ。しじらの入った織物。「僕」は3回目のデートでイズミを抱き寄せる。「それは夏の終わりのことで、彼女はシアサッカーのワンピースを着ていた。腰のところで紐を結ぶようになっていて、それが尻尾のように後ろにさがっていた」[8]
- トヨタ・コロナ - トヨタ自動車が1957年から2001年まで生産・販売していた乗用車。「僕」は有紀子の父親と出会わなかったときのことを考える。「たぶん今でも教科書を編集していたはずだ」という言葉のあとに次のように述べる。「西荻窪のぱっとしないマンションに住んで、エアコンのききのわるい中古のトヨタ・コロナにでも乗っていたことだろう」[9]
- 『BRUTUS』 - マガジンハウスが発売している情報誌。1980年5月創刊。『BRUTUS』の特集記事「東京バー・ガイド」に「ロビンズ・ネスト」が掲載される。
- 「スタークロスト・ラヴァーズ」[注 3] - デューク・エリントンの『サッチ・スウィート・サンダー』(1957年)に収められた曲。作曲はエリントンとビリー・ストレイホーン。中盤、島本さんと「僕」は「ロビンズ・ネスト」で再会するが、その場面でピアニストが「スタークロスト・ラヴァーズ」を弾く。それは「僕」がその曲を好きなことをピアニストが知っていたからだった。「エリントンの作った曲の中ではそれほど有名な方ではないし、その曲にまつわる個人的な思い出があったわけでもないのだが、何かのきっかけで耳にしてから、僕はその曲に長いあいだずっと心を引かれつづけていた」[11]
- チャーリー・パーカー - ジャズのアルトサックス奏者。「最近のジャズ・ミュージシャンはみんな礼儀正しくなった」と「僕」は島本さんに説明する。「経営する方にとっては礼儀正しくてこぎれいな連中の方がずっと扱いやすい。それもそれでまた仕方ないだろう。世界じゅうがチャーリー・パーカーで満ちていなくてはならないというわけじゃないんだ」[12]
- 『アラビアのロレンス』 - 1962年公開のイギリス映画。有紀子は「僕」に『アラビアのロレンス』は何度見ても面白いと言う[13]。
- ジョルジュ・スーラ - 19世紀のフランスの画家。義父の会社の社長室にかけてある灯台と船の絵を、「僕」は「スーラーの絵のように見えたが、あるいは本物かもしれない」と思う[14]。
- メルセデス・ベンツ・260E - 娘の友だちの母親が乗る車[15]。
- 「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」 - トーキング・ヘッズ[注 4]が1983年に発表したシングル。全米チャート9位を記録した。幼稚園まで娘を迎えに行った際、娘の友だちの母親の車から「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」が流れる[15][注 5]。
- ヨシエ・イナバ - 日本のファッションデザイナー稲葉賀恵が1981年に発表したブランド。娘の友だちの母親との会話で登場する。「彼女はイナバ・ヨシエの服のファンで、シーズンの前にはカタログで欲しい服を全部予約してしまうのだと言った」[16]