養老山地
岐阜県と三重県にまたがる山地
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養老山地(ようろうさんち)は、岐阜県と三重県にまたがる濃尾平野の西端にある傾動地塊の山地[3][4]。最高峰は北部の標高908.2 mの笙ヶ岳[3]。最南端に多度山(標高402.7 m)がある[1]。
山域は岐阜県大垣市上石津町、養老郡養老町、海津市南濃町、三重県いなべ市(北勢町、藤原町、員弁町)、桑名市多度町の自治体にまたがる[1]。濃尾平野の西端沿って南北約25 km、東西約6-7 kmの独立山地[2]。山頂地帯は全般にわたって緩やかで、特に北部は高原のように幅があり[5]、およそ標高700 - 900 mの山稜が連なる[1]。東側の急崖には大小の滝があり、有名な養老の滝は砂岩層とチャート層を境にする断層にかかり、深い峡谷となっている[2]。北部では石灰岩が多く分布し、山頂にカルスト地形がみられるところもある[6]。南部は砂岩に富む地層が分布し、600 m前後からそれ以下のなだらかな低い山稜からなる[2]。分水嶺をなす稜線は山地の東側に片寄り、稜線の東側は急傾斜で、西側は緩傾斜となっている[2]。北西部は冬季に伊吹おろしと呼ばれる北西の季節風が強く降雪が多く[5]、南部は伊勢湾などの海洋性気候の影響を受けておおむね温暖な気候[7]。
- 北部の石灰岩のカルスト地形
- 西斜面の緩傾斜を流れる登奈井尾谷
地勢
地質
地質は古生層の砂岩と泥岩の互層からなり、輝緑凝灰岩、チャート(珪岩)や石灰岩を含む塩基性岩、石英斑岩、黒雲母、粘板岩、角岩などをともなう[8][2][5]。砂岩には色調や質感から「青石」と呼ばれるものや、軟質で白から白桃色を呈する「イモ石」があり、古くから礎石や石塔、城の石垣などに利用され、現在でも建築材や庭園石材として利用されている[8]。江戸時代には名古屋城築城のために、養老山地の各所で石垣材が切り出され、その関連遺跡がある[9]。北勢地域では、田切川、二之瀬川、貝野川などの諸河川流域に沖積層が発達し、礫、砂、粘土からなる[10]。養老町の柏尾谷上部にある秣滝は流紋岩の花崗閃緑岩にかかっている[6]。養老の滝周辺の地質は石英反斑岩で硬いため滝壺は浅い[11]。
河津石
名古屋城の石垣として切り出されていた石材は河津石(こうづ)と呼ばれていて、採石地の行基寺付近の海津市南濃町上野河津の地名に由来する[12]。河津石は中粒砂岩、花崗斑岩、花崗岩からなる[13]。海津市南濃町上野河津一帯に産出する美濃帯の中生代のタービダイト砂岩であり、岩質は硬く固結した長石質アレナイトであり、頁石片を含むものと含まないものがある[13]。類似の岩石は養老山地に広く分布し、南濃町志津には石材を搬出した石曳き道が残っている[13]。
応用地質


桑名市多度町の多度川南岸の東海層群古野累層に粘土が露出していて、明治年間に煉瓦原料土として用いられていて、1889年(明治22年)の年間採掘量は5,400 tであった[14]。多度町猪飼西の通称高塚山山腹の美濃帯北勢南濃層のチャートが耐火煉瓦及び陶磁器の着色 (白色)原料として、1885年(明治18年)-1886年(明治19年)頃から採掘が始まり、1920年(大正9年)には露天掘り採掘地が6か所あり、年間採掘量は約670 tであった[14]。多度町猪飼西南の市之原累層上限近くに挟まれる凝灰質粘土(厚さ 1 m、灰白-桃色)が、代用石鹸として二之瀬火山灰層で採掘されていたとみられる[15]。多度町古野にある北勢南濃層の砂岩の採石場の年間生産量は1988年(昭和63年)度実績でおよそ86万5千 tで、大部分は道路用骨材(バラス)として出荷され、一部は石材用としても切り出されている[16]。海津市南濃町志津と徳田の山麓付近では山土、工事用採石、工場用採石が採石され出荷されている[17]。海津市南濃町安江の盤若谷中流周辺の斜面では、硬質砂岩が採石されていて、道路用、コンクリート用の骨材などとして出荷されている[18]。いなべ市北勢町二之瀬の御弁当谷周辺の斜面では、硬質砂岩が採石されていて、単粒度砕石と道路用砕石が出荷されている[19]。員弁丘陵の亜炭田は古野亜炭田と呼ばれ、北からいなべ市北勢町東貝野、川原、北中津原、桑名市多度町美鹿、古野、猪飼などで、古野累層の亜炭層を対象にして亜炭が採掘されていたが、現在はいずれも採掘されていない[20]。古生層のチャートに胚胎する層状マンガン鉱床(二酸化マンガンまたは炭マン鉱床)がある[21]。笙ヶ岳のすぐ北側にあった養老鉱山では、1939年(昭和15年頃)に小規模に坑道堀でマンガン鉱床が稼行された[21]。養老鉱山の北約1 kmに位置する竜人鉱山では、1952年(昭和27年)頃にマンガン鉱床の試掘が行われた[21]。養老山の西約2 kmにあった時鉱山では、1956年(昭和31年)頃試掘が行われた[21]。海津市南濃町の山崎北谷にあった河戸谷鉱山では1914年(大正3年)頃に約1年半マンガン鉱床が稼行された[21]。現在は稼行されている所はない[21]。
逆断層活動による養老山地の形成
養老-桑名-四日市断層帯は養老山地の東縁に発達する活断層帯で、ほぼ養老山地と濃尾平野の境界に沿って延び、断層の西側が東側に乗り上げる逆断層[22]。この濃尾傾動運動により、濃尾平野の西側程沈降し、東側の三河高原側が上昇することで平野部全体が西に傾く運動をしている[23]。平野の西端に養老-桑名-四日市断層帯があり、これを境に養老山地側が上昇していて、この逆断層活動によって養老山地が形成された。この運動は数百万年前から始まり、平均して約0.5 mm/年ほどの速度で濃尾平野が沈降していて、現在も続いていて[23][24]、その上下移動量は現在までに2,000 m以上に達していると考えられている[25]。沈降していく濃尾平野にはおもに木曽三川が運び込んだ大量の土砂が堆積して上下移動量の2/3ほどが埋められていて、実際の養老山地の東側斜面では1/3ほどだけが断層崖として顔をのぞかせている[25]。養老山地の部分が隆起しながら西に傾く運動をしていることから、東側で急傾斜、西側で緩い傾斜の地形の山地となっている[24]。山地東側の急斜面浸食が進んでいるため、断層地形そのものはほとんど残っていないと考えられている[24]。
扇状地が発達する養老山地の東面

この山地の東側の急斜面を下る谷は、山塊の隆起により傾斜を大きくしていくことになるから土砂の流出量が多くなる[24]。海津市南濃町の盤若谷や羽根谷では、土砂の流出を抑えるため明治期に大規模な砂防石堰堤が築かれている[24]。谷の傾斜が急になることから、大小30を超える扇状地が形成されている[24]。谷の出口の標高200 m以下の地域には、かなりの急斜面をもった扇状地が発達し、南濃町志津以北では谷の入口に発達した多くの扇状地は、隣接のものと複合して広く連続した山麓扇状地を形成している[26]。徳田谷、羽根谷、河戸谷などで広い扇状地が形成されている[8]。大きな谷が形成された扇状地では、川の下を道路や鉄道が通る天井川になることが多い[24]。その例として、盤若谷の国道258号の盤若谷トンネル、柏尾谷の岐阜県道56号南濃関ケ原線のトンネル、盤若谷、山崎北谷、小倉谷の養老鉄道養老線のトンネルなどがある[1]。扇状地に接して多くの段丘平垣面が発達している[26]。
人文史

海津市の山麓には貝塚(庭田貝塚、羽沢貝塚[注釈 1]など)が残っていて、縄文時代から人が住みつき早くから開けていた[7]。南濃町に円満寺古墳群があり、古墳時代前期(4世紀中期-後半期)に築造された竪穴式石室の前方後円墳である1号古墳がある[注釈 2][27][28]。4世紀末頃の行基寺山とその山麓に散在する行基寺古墳がある[注釈 3][29][30]。古くから多度山は神が鎮座する神体山と仰がれ、神代の古より人々の信仰を集めていたと考えられていて、5世紀後半の第21代天皇の雄略天皇の御代に養老山地の南端に多度大社の社殿が創建されたと伝えられている[31]。伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも謡われ[32]、別名が北伊勢大神宮[32][31]。暦応年間(1338年-1342年)に上げ馬神事として有名な多度祭が始められたと言われている[注釈 4][33]。

養老山地の名称は、717年の養老改元に由来する。上記の昔話が都に伝わり[34]、同年9月、元正天皇が美濃国へ行幸し、当耆郡多度山にて泉の水を飲んだところたちまち健康を回復したことから、同年11月、霊亀から養老へ改元した[35]。養老の地名はこの昔話が由来といわれている[34]。天皇が飲んだ泉は、養老の滝と現養老神社内の湧水との二説があり[35]、山地東麓の滝がその泉に比定されるようになり、養老の滝と称せられた。その直上の峰は、もと多芸山と呼ばれていたが、いつ頃からか養老山と呼ばれるようになり、それが山地全体の名称にもなった。養老山の山名は上記の昔話で有名となった養老の滝に由来する[4]。行幸の際に行宮が造られたとされている[35]。養老町養老公園白石にある元正天皇行幸遺跡がある[注釈 5][35]。養老公園には親孝行のふるさと会館の観光施設がある[36]。上記の養老の滝伝説からひょうたんを養老町のシンボルとして掲げ、かつては土産物としての販売が盛んで多くの栽培農家があった[37]。1255年(建長7年)に権少僧玄覚(ごんしょうそうげんかく)は、夫木和歌抄の顕朝卿千首歌で以下の一首を詠っている[11]。
みのの国 たぎのの上に 宮ゐせし跡はながれて 滝そのこれる — 権少僧玄覚の顕朝卿千首歌

744年(天平16年)に行基が行基寺を開基し、臥龍山菩提寺と名づけられたが、1336年(延元元年)兵火によって滅尽したといわれ、松平義行が松平家の菩提寺として伽藍を再建し1705年(宝永2年)7月に再興された[38]。中世には養老山腹一帯に多芸七坊と呼ばれる寺院が築かれ隆盛し、その跡が残されている[39]。多芸七坊の一つである柏尾廃寺の付近には千体仏が円錐形の壇上に安置されている[39]。

南濃みかんは、1872年(明治5年)に、南濃町出身の伊藤東太夫が南濃町の東山腹でミカンの栽培を志したのが始まりで、1879年(明治12年)に和歌山県から苗木を数百株購入し移植した[40]。5年で軌道に乗せ、明治末期には栽培面積は100ヘクタールを超えた[40]。南濃みかんの特長は、適度な酸味がありながらコク味があること[40]。収穫したミカンをそのまま出荷する早生品種と、貯蔵庫で保管し寝かせることで酸味を飛ばした「蔵出しみかん」の出荷をしている[40]。 養老山地東麓は、観光地として開発され、1880年(明治13年)に養老公園が開園した。1887年(明治20年)に山県有朋内務卿がオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケを伴って木曽三川分流工事の視察を多度山上から行った[41]。江戸時代から土砂災害と闘ってきた歴史がある海津市南濃町の羽根谷では、1888年(明治21年)にヨハネス・デ・レーケの指導で巨石積砂防堰堤が造られた[42]。堤高12.0 m、堤長85 mで明治初期においては最大級のもの[注釈 6][43]。海津市南濃町にある多度山の0.6 km北西の高台には、明治時代に大阪と桑名・名古屋間を赤・白の旗を振って、東西の米相場を知らせる「相場振り」が行われた場所があり、相場振り跡地の石碑が設置されている[44]。1900年(明治33年)に養老サイダーの2代目社長日比野寅吉が保養に訪れた養老公園で菊水泉に触れ、この水をサイダー製造に活用することを決め、工場を養老町へ移転した。2000年(平成12年)に製造を中止し、2014年(平成26年)に会社は廃業したが、2017年9月に養老サイダーが復刻した[45]。

1995年(平成7年)、養老公園内にテーマパーク養老天命反転地が開園した。2017年に養老町で、養老改元1300年祭りが行われた[46]。養老山には年間約1万人の登山者が訪れる[47]。2018年(平成30年)から養老山地トレイルランニングレースが開催されている[48]。2024年(令和6年)10月10日に養老町制施行70周年を記念し、養老山頂登山道の標高788 m地点に「養老山頂アセビ平スカイテラス」完成式典が開催された[49]。
動物
哺乳類

山系には複数のニホンザルの群れが見られ、季節によって移動しているとみられる[50]。ムササビが神社、寺院の古木の洞穴などに生息する[50]。ニホンノウサギは山系全域でみられる[50]。ホンドタヌキとホンドキツネの個体数は少ない[50]。ホンシュウジカは捕獲されているが、近年個体数が増えている[50]。ニホンイノシシの個体数は少し増えている。ハタネズミ、イエネズミ、ニホンドブネズミ、ハツカネズミがみられ、アブラコウモリ、キクガシラコウモリなどのコウモリ類がみられる[50]。ニホンアナグマ、ホンドテン、ニホンリスなどもみられる[50]。
鳥類

養老公園周辺では、キセキレイ、カヤクグリ、ウグイス、エナガ、ホオジロ、ヒヨドリ、カケス、モズ[51]、冬鳥のジョウビタキ、ルリビタキ、シロハラ、ツグミなどがみられる[52]。山域や山麓ではヤマドリ、キジ、ヒバリ、スズメ、ハシブトガラスなどの留鳥もみられる[52]。
爬虫類
両生類
アカハライモリ、アズマヒキガエル、ニホンアマガエル、トノサマガエル、ツチガエル、カスミサンショウウオなどが生息する[52]。
昆虫類
山系の昆虫類は大変豊かである[53]。アオスジアゲハ、モンキアゲハなどの暖地性の蝶類が多く、 北日本系の種は少ない[53]。全般的に甲虫類が豊富で、アブラゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミなどのセミ類が多い[53]。

その他
養老町の津屋川水系清水池[注釈 7][54]や不老ヶ池[55]にハリヨが生育している[注釈 8]。養老町ではヤマビルが生息する[56]。
ウィキメディア・コモンズには、養老山地の動物に関するカテゴリがあります。
植物

アカマツ群落、アカシデ-イヌシデ群落やスギ、ヒノキ、サワラなどの植林が分布している[57]。海津市南濃町などの東側の扇状地では水はけの良い土を利用して果樹園(柿やミカンなどの柑橘類)が広がっている[7][57]。多度山[58]や石津御岳の東斜面[59]などではミカンの栽培が行われている。笙ヶ岳北斜面の大垣市上石津町一之瀬にホンシャクナゲの群落がある[注釈 9][60][61]。多度山の南西部にはナシ属マメナシ(地方名:イヌナシ)の自生地がある[注釈 10][62][63]。海津市南濃町吉田の吉田出来山公園には日露戦争の戦死者の招魂碑が設置されたのを記念して、付近の山中に自生していたヤマザクラ(約450本、樹齢は100年以上)が移植された出来山の千本桜がある[注釈 11][64]。
養老山系稜線沿いの風衝植生

山頂付近はミヤコザサの草原になっていて、アセビ、イヌツゲ、タンナサワフタギ、ブナ、イヌブナ、リョウブ、アカヤシオ、ドウダンツツジなどの高木、低木類が季節風の影響を受けて、樹冠を低く抑えられて、並立つして点在、あるいは小群落を形成する風衝景観がみられる[65]。林床には、タガネソウ、シハイスミレ、ダンドボロギク、チゴユリ、キツネアザミ、ツルリンドウ、ヤマジノホトトギス、ニガナなどがみられる[65]。山頂から下部では、ヤマツツジ、タニウツギ、ネジキ、ウラジロノキ、コアジサイ、ツルシキミなどがみられる[66]。
中腹の高木植生
養老町側の東斜面の山腹は急斜面が多く、山上に近い上部ではコハウチワカエデ、ミズナラ、アオハダ、エゴノキなどの高木層、シロモジ、カマツカ、コシアブラなどの亜高木層、アセビ、クロモジ、ツノハシバミなどの低木層、バイカツツジ、ホツツジ、クルマバハグマ、イワカガミなどが草木層を構成し、寒さに強い要素の種が多い[67]。高度が下がったところには、マンサク、ムラサキシキブ、アクシバなどがみられる[68]。標高が200-330 m位になると、アカマツ、ウツギ、コバノミツバツツジ、コゴメウツギ、カワチブシ、アカショウマ、イタドリなどがみられる[68]。中腹のヒノキ、スギの植林地では、アオダモ、ヤマブキ、コクサギ、イヌガヤ、ショウジョウバカマ、フユイチゴなどがみられる[69]。林道、谷合などの林縁では、アカソ、カラムシ、ヤクシソウ、テイカカズラ、ヤブムラサキ、クサボタン、ノリウツギ、ニガイチゴ、ツリフネソウなどがみられる[69]。
扇状地を構成する高木植生
扇状地は伏流水となるため、乾燥の度合いが大きく、乾燥に強いアカマツ-コナラ林と暖地性要素の強いアカマツとツブラジイ、タブノキ、アラカシなどのアカマツ-常緑広葉樹林となっている[69]。その林床には、ヒサカキ、イロハカエデ、サルトリイバラ、ノブドウなどがみられる[70]。他の落葉広葉樹林を混入させるアカマツ林では、ヤマハンノキ、ヌルデ、イヌシデ、ヤシャブシ、アキニレ、ムクノキ、クリ、タラノキ、チャノキ、ゴマキなどがみられる[70]。落葉広葉樹が多い林では、ヤマハゼ、イボタノキ、アオキ、ネムノキなどがみられる[70]。
養老山地北部の植生

表山の0.8 km南の養老山頂ハイキングコースが通る主稜線部の鞍部はもみじ峠と呼ばれている[71]。養老山の2 km北の大洞林道終点の稜線部の平坦地はあせび平と呼ばれている[71]。小倉山の北西側の鞍部は笹原峠と呼ばれている[71]。養老山から北に続く表山までの尾根筋では、アセビ-ミヤコザサ-スズカカンアオイ群落、コナラ-リョウブ群落、タンナサワフタギ-ウリハダカエデ-シロモジ群落の3植生地域より形成されている[72]。
アセビ-ミヤコザサ-スズカカンアオイ群落
アセビ-ミヤコザサ-スズカカンアオイ群落は、リョウブ-ササ型、リョウブ-アセビ型、コナラ-リョウブ型、コナラ-シロモジ型、アセビ型、アセビ-ササ型、アセビ-ソヨゴ型、カマツカ-アセビ型、ササ型、ササ枯型、カマツカ-コナラ-ササ型、ソヨゴ-イヌツゲ型、コナラ-ササ型、ススキ型、ササ-ススキ型、ニシノホンモンジスゲ型の16型より構成されている[72]。
コナラ-リョウブ群落
コナラ-リョウブ群落は、アセビ-ミヤコザサ-スズカカンアオイ群落に続く森林帯である[72]。
タンナサワフタギ-ウリハダカエデ-シロモジ群落
タンナサワフタギ-ウリハダカエデ-シロモジ群落は、大洞谷の上流、標高853 mの山腹部の植生で、エゴノキ、ウリハダカエデ、リョウブ、カナクギノキの各々が優先する林が見られる[72]。
東海自然歩道周辺の植生
沢田橋-桜井方の植生

養老山地の北端の養老町沢田の山麓から桜井までの東海自然歩道周辺では、シイノキが多く、ウリハダカエデ、ウラジロガシ、ビワ、アカマツ、ウワミズザクラ、ヤマザクラ、スギとヒノキの植林が見られる[73]。その下には、スグリ、テリハノイバラ、サカキ、ヤブデマリ、スノキ、ヒサカキ、イヌツゲ、バイカツツジ、コバノガマズミ、リョウブ、タカノツメなどの低木が見られる[73]。その林床には、キツネノカミソリ、ヒカゲスミレ、ミヤマカタバミ、コウヤボウキ、シハイスミレ、ヤブカンゾウ、キツネアザミ、キチジョウソウ、マムシグサ、ウラシマソウなどの草本、ヘラシダ、シシガシラ、ホラシノブ、キジノオシダ、トウゲシバ、コバノイシカグマ、オニカナワラビなどのシダ類、ニシノホンモンジスゲ、カンスゲなどのスゲ類が見られる[73]。
桜井-上方の植生
桜井から上方まででは、ケヤキの大木が多く、アラカシ、クスノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、アイグロマツの常緑の高木にソクズ、カマツカ、ウツギ、ネズミモチ、ヤマブキ、石灰岩の所に多いコクサギ、ナンテンなどの低木、コスミレ、ヤマアイ、北方系のキバナイカリソウ、アギスミレ、南方系のヒメウズ、トウカイタンポポ、キランソウ、アカネ、オニシバリ、ヒトリシズカ、イチリンソウ、ニリンソウ、トウゴクサバノオなどの草本、ヤブソテツ、ミヤマノコギリシダ、ホシダ、コバノイシカグマ、イノデなどのシダ類が見られる[74]。
上方-竜泉寺-勢至-柏尾の植生

上方-竜泉寺-勢至-柏尾では、ヤブツバキ、ヤブニッケイ、ウラジロガシ、シロダモ、タブノキなどの常緑広葉樹、ケヤキ、コナラ、クヌギ、アベマキなどの落葉広葉樹、スギ、ヒノキ、ネズ、アイグロマツ、アカマツなどの常緑針葉樹が見られ、オドリコソウ、ヤマアイ、カテンソウ、タチツボスミレ、ヒメウズ、ショウジョウバカマ、スズカカンアオイ、オオバノハチジョウシダ、コモチシダ、オニシバリ、キバナハナイカリソウなどが見られる[75]。竜泉寺の六所神社には岐阜県指定天然記念物のムクノキの大木がある[76]。
柏尾-白石-養老公園の植生

カヤ、ヤブニッケイ、シロダモ、ヤブツバキ、ツクバネガシ、アラカシ、アカガシなどの常緑樹、コナラ、クヌギ、エノキ、シロモジ、ヤマコウバシ、ネズミモチ、リョウブ、マユミ、カマツカ、ズミ、ソクズなどの落葉樹、ミヤマカタバミ、ヤマブキ、ツクバネウツギ、キンミズヒキ、ハナイカダ、センニンソウ、ナガバモミジイチゴ、ヌスビトハギ、タニタデ、ヤマハギ、スズカアザミ、ミカエリソウ、クサボタン、アキカラマツ、アキノキリンソウ、ヒヨドリバナなどが林床で見られる[77]。イワガネソウ、オクマワラビ、ハコネシダ、リョウメンシダ、ベニシダ、タチシノブ、ナガオノキシノブ、ハリガネワラビ、フモトシダなどのシダ類も見られる[78]。石灰岩の礫岩とチャートからなる柏尾谷ではハクサンハタザオが見られる[79]。養老公園では、アカマツ、シイノキ、イロハモミジ、オオモミジなどが多く、アセビ、ヒサカキ、イボタノキ、アオキなどの低木、シャガ、ノコンギク、アカネ、ヤブラン、ジャノヒゲ、イノモトソウ、ヤブソテツ、ホシダ、イブキシダなどが見られる[79]。養老寺のエノキの老木には、イワオモダカ、ビロードシダが着生している[79]。
養老公園-京ヶ脇-赤岩神社の植生
養老公園から京ヶ脇ではツブラジイが多く、アラカシ、ツクバネガシなどの高木が見られる[79]。ヤマウルシ、アカメガシワ、リョウブ、ヌルデ、エゴノキ、ネジキ、ホツツジ、コバノガマズミ、コゴメウツギ、ガマズミ、コナラ、ハンノキ、アカシデなどの落葉亜高木が見られる[79]。オトコエシ、イタドリ、クズ、ワラビ、ヨモギ、ニワフジ、キンミズヒキ、スズカアザミ、ノコンギク、ミズヒキ、コマツナギなどの双子葉草本が見られる[79]。ノガリヤス、アブラススキ、ササガヤ、ヒメアシボソなどの単子葉草本が見られる[79]。京ヶ脇から赤岩神社では、ヤブツバキ、シロダモ、ヤブニッケイなどの常緑樹が多く、チガヤ、メダケ、アカソ、センニンソウ、アカネ、ナワシロイチゴ、クマイチゴ、ツリガネニンジンなどが見られる[80]。
赤岩神社の植生-若宮-今熊谷

赤岩神社付近は、アカマツ、コナラ、クヌギの混交林となっていて、林内にはタニウツギ、ヤマハギ、ヤマハゼ、ヌルデ、ヤマテリハノイバラ、カマツカ、マユミ、ガマズミ、ゴンズイなどの低木、ヨモギ、ノコンギク、ススキ、スズカアザミ、イタドリ、ヤブラン、キンミズヒキ、オオバジャノヒゲ、シシガシラ、ゼンマイなどの草本、ヘクソカズラ、クズ、オニドコロ、ヤマノイモ、アケビ、イワガラミ、イタビカズラなどのつる性植物が見られる[81]。アラカシ、シラカシ、ウラジロガシ、ツウバネガシ、シロダモ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が多く、リョウブ、コナラ、クヌギなどの混交している。クロモジ、ヤマコウバシ、アブラチャン、ウリハダカエデ、コバノガマズミ、ヤマガキ、ウツギ、エンジュ、ネムノキ、コクサギなどの低木、ヤクシソウ、ヤブコウジ、ツルニンジン、コバギボウシ、オヤマボクチ、コウヤボウキ、ツクバネウツギ、リュウノギクの草本、ハリガネワラビ、コバノイシカグマ、ヤワラシダ、ハシゴシダ、イノデ、クマワラビなどのシダ類が見られる。若宮神社付近はケヤミの大木が多く、ナンテンも多く、ツヅラジイ、ヤブニッケイなどの常緑樹も多い。ミョウガ、シャガ、キチジョウソウ、フユノハナワラビ、ササガヤなども見られる[82]。
養老山地で採集されている標本

養老山地で採集されている主な標本の種名を以下に示す[83][84][85][86]。
- アイアスカイノデ、アイナシ、アオイスミレ、アカシデ、アカバナ、アキチョウジ、アズマヤマアザミ、アセビ、アブラチャン、イノデ、イヌシダ、イヌツゲ、イノデモドキ、イブキシダ、イボタノキ、イワカガミ、イワガネゼンマイ、イワガネソウ、イワナシ、イワヒメワラビ、ウツギ、ウマノアシガタ、ウラジロ、ウラジロウツギ、ウラジロノキ、ウリカエデ、オオバノイノモトソウ、オオハナワラビ、オオバヤシャブシ、オオヒナノウスツボ、オオヒメワラビ、オカタツナミソウ、オクマワラビ、オニカナワラビ、オハラメアザミ、カナメモチ、カマツカ、カヤ、カワチブシ、カワラハハコ、キブシ、クサアジサイ、クサギ、クジャクシダ、クマヤナギ、クマワラビ、クモノスシダ、クリハラン、クロモジ、ゲジゲジシダ、コウヤボウキ、コシダ、コタニワタリ、コバノヒノキシダ、コバンノキ、コモチシダ、サネカズラ、サンカクヅル、シキミ、シコクママコナ、シシガシラ、シャガ、ジュウモンジシダ、シロバナネコノメソウ、ジンジソウ、スズカアザミ、スズカカンアオイ、ゼンマイ、タチシノブ、タチネコノメソウ、タニイヌワラビ、タニウツギ、タニソバ、チャセンシダ、ツクバネウツギ、ツルウメモドキ、ツルデンダ、テリハヤブソテツ、トウゲシバ、トラノオシダ、ナガバノスミレサイシン、ニシノホンモンジスゲ、ニッコウネコノメ、ネズミサシ、ノキシノブ、ノコンギク、バイカウツギ、ハカタシダ、ハコネウツギ、ハゼノキ、ハナタデ、ハナミョウガ、ヒサカキ、ヒノキ、ヒメイタチシダ、ヒメカナワラビ、ヒメハギ、ヒメワラビ、ビロードシダ、ヒロハイヌワラビ、ヒロハコンロンソウ、フジ、フタツキジノオ、フモトシダ、フモトスミレ、フユイチゴ、ホシダ、ホソバオトギリ、ホソバカナワラビ、ホソバシケシダ、ホソバノヨツバムグラ、ホツツジ、ホラシノブ、マメヅタ、マメナシ、ミカエリソウ、ミゾシダ、ミズタマソウ、ミツデウラボシ、ミツバアケビ、ミヤコヤブソテツ、ミヤマナルコユリ、モチツツジ、モミジガサ、ヤブソテツ、ヤブツバキ、ヤマアジサイ、ヤマイタチシダ、ヤマイヌワラビ、ヤマコウバシ、ヤマザクラ、ヤマツツジ、ヤマハンノキ、ヤワラシダ、ヨメナ、リュウノウギク、リョウメンシダ、ワラビ
ウィキメディア・コモンズには、養老山地の植物に関するカテゴリがあります。
地理
西側には牧田川と員弁川が隔てる鈴鹿山脈が対峙している[1]。牧田川上流域の大垣市上石津町にある水嶺湖と員弁川上流域のいなべ市藤原町にある鈴養湖(中里ダム)の間の県境稜線は、牧田川といなべ川との分水嶺となっていて、その稜線は西側の鈴鹿山脈の烏帽子岳につながっている[1]。北側には牧田川が隔てる独立峰の南宮山が対峙している[1][2]。さらに北西に隣接する伊吹山などの伊吹山地がある[1]。
養老山地の山
国土地理院の地形図で山名表記されている山などの主な山を下表に示す[1]。養老山の山頂には一等三角点が設置されている[87]。最高峰の笙ヶ岳は、東側から望むと養老山や表山に遮られて目立たないが、西側から望むと端正な山容をしている[4]。
| 養老山地の地形図 ※表示環境によっては文字がずれることがあります。 |
養老山地の峠
- 川原越:養老山と志津山との間にある鞍部で、東海自然歩道がこの峠を東西に横切る[95]。
- 二之瀬越:岐阜県道・三重県道25号南濃北勢線は、山地を横切る唯一の一般道である。冬期は積雪や路面凍結のために、峠周辺の区間は通行止めとなる。
- 田代越[96]
源流の河川

以下の源流となる河川の支流は、伊勢湾へ流れる。東側の下部の斜面で複合扇状地を形成している[3]。牧田川は山地の北端から西側に回り込んでいる[1]。多度川の中流に八壺溪谷には多度峡天然プールがあり、夏の観光地となっていて[97]、以前は茶屋と納涼台があった[32]。滝谷には養老の滝があり、養老の滝・菊水泉が名水百選に選定されていて、菊水泉から流れる小川沿いに湧水の不老ヶ池がありハリヨが生息している[55]。菊水泉のある養老神社に石段の下には水汲み場がある[98]。北東山麓の桜井白鳥神社には、桜の泉と呼ばれる湧水がある[99]。柏尾谷などには巨大砂防堰堤が設置されていて、伏流水の涸れ沢となっている[100]。
木曽川水系(揖斐川の支流)
員弁川水系
主な滝
- 養老の滝 - 支流の滝谷にある落差32 m、滝幅4 mの滝、日本の滝百選
- 秣の滝(まぐさのたき)- 支流の柏尾谷にある落差約34 m、滝幅約3 mの滝[102]
- 直江の滝 - 支流の直江谷にある落差約20 m、2段に分かれた滝[102]
- 東林寺白滝 - いなべ市の東林寺の境内にある落差22 mの滝[103]。養老の滝を雄滝と呼び、白滝を雌滝と呼ぶことがある[103]。
- みそぎ滝 - 多度川に流れ落ちる落差25 mの多度大社のみそぎ場になっている滝[104]。
- 養老の滝
- 秣の滝
- 東林寺白滝
- みそぎ滝
主な池
山系の国土地理院の地形図で名称が表記されている池はないが[1]、榑沢池[105]、田代池[106]がある。榑沢池の池畔に榑沢神社があり、田代池の池畔に田代神社がある[105]。
- 榑沢池
- 田代池
交通

古代社会では、大和と北陸、北近江、美濃国府、伊勢に通ずる最短距離として、東海道関ケ原から牧田川を渡って、養老山脈の東側を通って桑名に至る伊勢街道の古道が重要な道として幅広く利用されていた[107]。
養老鉄道養老線が、山地の東山麓を南北に通り、三岐鉄道北勢線が山地の中央部から南部の西山麓を通る[1]。養老公園の妙見橋付近(養老神社)から養老の滝付近の駐車場を結ぶ養老ロープウェーの観光リフトが運行されていた[108]。

名神高速道路が北山麓を通り、北東山麓に養老サービスエリアがあり、スマートインターチェンジが併設されている[1]。二之瀬越付近を東海環状自動車道の養老トンネル(全長約4.7 km、養老インターチェンジ~いなべインターチェンジ)が貫通する予定である[109]。山地の東側を国道258号が南北に通り沿線の海津市南濃町には道の駅月見の里 南濃があり、山地の西側を国道365号が南北に通る[1]。山地を横断する唯一の一般自動車道である岐阜県道・三重県道25号南濃北勢線が二之瀬越の峠を越えて岐阜県と三重県を結ぶ[1]。岐阜県道56号南濃関ケ原線が山地の中央部から北部の東山麓を通り、北端の山麓を岐阜県道227号牧田室原線が通り、南端の山麓と南西山麓を三重県道5号北勢多度線が通り、南西山麓を三重県道608号畑毛東貝野阿下喜線、三重県道609号東貝野南中津原丹生川停車場線、三重県道610号南中津原畑新田線が通る[1]。
登山道・ハイキングコース

東海自然歩道が川原越の峠を越えて、山地を横断している[1][95]。多度山には多数のハイキングコースが整備されていて[110]、庭田山頂公園から養老山方面へ養老山頂登山道が整備されていて[111]、稜線上の標高点800 mの小ピークに津屋避難小屋がある[112]。養老山へは養老公園から登山道があり[47]、笙ヶ岳へは養老山からの登山道と大垣市上石津町の大洞谷からの登山道がある[4][113]。山系では岐阜県の山のグレーディングで、養老山の登山道(養老山登山口標高295 m - 養老山、距離6.8 km、コースタイム3.3 h、累積登り標高差710 m)が、体力レベルが1.55/10の日帰りが可能、技術的難易度A/(A-E)の登山の装備が必要で、登山道は概ね整備済みで、無雪期に道迷いの心配は少ないと評価されている[114]。
指定公園など
揖斐関ヶ原養老国定公園
養老山周辺から北の東側の山域と牧田川の太良峡の区域が、国の揖斐関ヶ原養老国定公園に指定されている[115]。
水郷県立自然公園
桑名市と桑名郡木曽岬町にまたがる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)河口部の沖積デルタ地帯と、養老山地南端の多度山を含めた区域が三重県の水郷県立自然公園に指定されている[116]。
養老公園

この上流に養老の滝がある
養老山の北東斜面下部に広域公園の養老公園がある[117]。1880年(明治13年)10月17日に開設され、面積が約78.5 ha[117]。岐阜県こどもの国、養老パターゴルフ場、養老天命反転地、楽市楽座・養老、RECAMP 養老などの施設がある[117]。サクラや紅葉の名所となっている[71]。養老公園駐車場から養老の滝への道沿いには食堂、土産物店が並ぶ[118]。2024年度の訪問者数は1,138,413人[117]。
庭田山頂公園
主要地方道南濃北勢線の山頂付近(標高450 m)に、庭田山頂公園(敷地面積約1.5 ヘクタール)があり、展望台からは遠くアルプスの山々を望むことができる[119]。
羽根谷だんだん公園

海津市南濃町の羽田谷には、さぼう遊学館、巨石積み堰堤を中心にした羽根谷だんだん公園があり、桜並木が飛騨・美濃さくら33選に選定されている[120]。羽根谷だんだん公園キャンプ場が併設されている[121]。
月見の森

南東山腹の海津市南濃町羽沢には、月見の森があり、散策コース、展望台があり、南濃温泉水晶の湯が併設されている[122]。月見台からは濃尾平野が一望でき、日本百名月や日本夜景遺産に認定された夜景スポットとなっている[122]。
多度山上公園
いなべ市梅林公園
西山麓のいなべ市藤原町にはいなべ市梅林公園がある[124]。
多良峡森林公園
北西山麓の大垣市上石津町の太良峡には多良峡森林公園があり、散策道と吊り橋がある[125]。多良峡は岐阜県の名水50選に選定されていて、揖斐関ヶ原養老国定公園内にある[115]。
文化財など
国指定天然記念物
一之瀬のホンシャクナゲ群落
笙ヶ岳の北山腹などにある岐阜県大垣市上石津町のホンシャクナゲの群落が、代表的原始林、稀有の森林植物相であることから、一之瀬のホンシャクナゲ群落として国の天然記念物の指定を受けている[60]。
津屋川水系清水池ハリヨ生息地
養老山の東山麓にある岐阜県海津市南濃町の津屋川水系清水池のハリヨの生息地が、日本特有の動物で著名なもの及びその棲息地であることから、津屋川水系清水池ハリヨ生息地として国の天然記念物の指定を受けている[54]。
多度のイヌナシ自生地
多度山の南西山腹のみどりヶ池周辺にある三重県桑名市多度町のマメナシ(地方名:イヌナシ)の自生地が、著しい植物分布の限界地、珍奇または絶滅に瀕した植物の自生地であることから、多度のイヌナシ自生地として国の天然記念物の指定を受けている[62]。
登録有形文化財

羽根谷砂防堰堤
岐阜県海津市南濃町の羽根谷にある明治期に治山治水のために建造された石造巨石砂防堰堤(堤長85 m、堤高10.4 m)は、国土の歴史的景観に寄与しているため、羽根谷砂防堰堤として国の登録有形文化財(建造物)の指定を受けている[43]。
羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)
岐阜県海津市南濃町の羽根谷にある明治期に治山治水のために建造された石造巨石砂防堰堤(堤長52 m,堤高12 m)は、再現することが容易でないものであるため、羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)として国の登録有形文化財(建造物)の指定を受けている[126]。
柏尾廃寺跡

北西山腹の岐阜県養老郡養老町の神明神社地内にある柏尾廃寺跡は、岐阜県の史跡の指定を受けている[127]。寺は織田信長軍に焼かれてしまい、この地で発掘された千体以上の石仏が積み上げられている[128]。
日本武尊遺跡
北東山麓の養老町桜井の桜井白鳥神社にある日本武尊遺跡は、養老町の史跡の指定を受けている[129]。日本武尊が伊吹山の賊を平定し、大和へ帰るとき、この神社の井戸で休憩し、清水を汲み褒めたと伝えられている[129]。水質は甘みがあり、桜の香りがあったことから地名を桜井と名づけられたといわれている[129][99]。今も勢いよく水が湧きだしていて、「桜の泉」と呼ばれている[99]。
臥龍山行基寺
養老山地からの眺望
四等三角点がある笙ヶ岳山頂は展望がないが[130]、山頂部の稜線からは伊吹山が望める[131]。三方山の山頂からは、濃尾平野が眼下にひろがり、木曽三川と遠景の乗鞍岳、御嶽山、恵那山などを望める[71][132]。小倉山の山頂は東屋のある園地となっていて、西側に鈴鹿山脈の霊仙山が望める[133]。一等三角点がある養老山の山頂は、灌木に覆われていて、眺望はない[130][132][133]。多度山の山頂展望台からは乗鞍岳、御嶽山、中央アルプス(木曽駒ヶ岳、空木岳など)、濃尾平野(木曽三川と千本松原)、伊勢平野などが望める[41]。
ウィキメディア・コモンズには、養老山地からの眺望に関するカテゴリがあります。
- 多度山から望む木曽三川公園センター(左端)と千本松原(右)