成顕寺
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歴史
→「諏訪神社 (流山市) § 歴史」も参照
伝承によると、大同年間(806年~810年)に弘法大師の弟子である桂伝阿闍梨(けいでんあじゃり)が下総国戸張郷(現・柏市戸張)の沼地に潜伏する龍神を秘術を以って降伏させた後、お堂(道場寺、成顕寺の前身)を建てて龍神を「風早明神」として祀った。
建治年間(1275年~1278年)、日蓮の弟子・日朗が道場寺に属する2名の僧と法論を行った時、僧侶たちは負けて自害した結果、日蓮宗の寺院となって現在地に移されたと言われている。また別伝によると、龍神により疫病が流行した時、日朗は龍神を法華経によって改心させたところ、疫病は止み、地域の住民が日蓮宗に改宗した。そこで、日朗は龍神を「妙法諏訪大明神」と呼び改めた。日朗から御本尊を受けた大檀越の高市家がその土地に寺院を建てたのが成顕寺の始まりといわれている[1][2]。
なお、諏訪神社の方も大同2年(807年)に高市皇子の後裔に当たる高階氏によって創建されたという由緒を持つ。また、1180年(治承4年)に源頼朝が松の木に鞍を掛けたことから龍神は「鞍懸(くらかけ)大龍王」と呼ばれるようになったという当寺にまつわる言い伝え[2]も源義家(八幡太郎)が諏訪神社の境内で鞍を木に掛けたという伝承と酷似している。

