東側を望むサン・マルコ寺院の身廊
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| イタリア語: La navata di San Marco verso est 英語: The Nave of San Marco looking East | |
| 作者 | カナレット |
|---|---|
| 製作年 | 1755-1756年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 36.4 cm × 33.4 cm (14.3 in × 13.1 in) |
| 所蔵 | ウィンザー城 (ロンドン)、ロイヤル・コレクション |
『東側を望むサン・マルコ寺院の身廊』(ひがしがわをのぞむサン・マルコじいんのしんろう、伊: La navata di San Marco verso est、英: The Nave of San Marco looking East)[1]、または『サン・マルコ寺院: 内部』(サン・マルコじいん: ないぶ、英: San Marco: the Interior)[2]は、18世紀イタリアの画家カナレットが1755-1756年ごろにキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1762年にイギリス王ジョージ3世が在ヴェネツィア領事ジョゼフ・スミスから購入した[1]。現在、ロイヤル・コレクションの所有品として[1][2]、ロンドンのウィンザー城に所蔵されている[2]。
カナレットとその甥ベルナルド・ベッロットが確立した地誌学的風景画「ヴェドゥータ」(都市景観画) は、18世紀ヨーロッパ各地で広く好まれた。寸分狂いのない線遠近法と明瞭な明暗効果の中に捉えられたヴェネツィアなどの都市風景の広がりは、時代精神と共鳴するところがあったと思われれる[3]。
1725年までにヴェドゥータの専門家になっていたカナレットが描いたヴェネツィアの風景は、とりわけグランド・ツアーに出かけた上流階級のイギリス人子弟の間で非常な人気を博し[4]、彼らが帰国する際にはヴェネツィアの絵葉書、お土産代わりに購入された[5]。1741年にオーストリア継承戦争が勃発すると、外国人によるイタリアへの旅行が危険となり、カナレットは自身の絵画の顧客が最も多かったイギリスに赴くこととなった[6]。しかし、彼がイギリスを描いた風景画は人気がなかったので[4]、1756年までには故郷のヴェネツィアに帰還した[6]。
作品


カナレットは、滅多に建物の内部を描かなかった。本作は、『聖金曜日のサン・マルコ寺院袖廊北側への横断 (The Crossing of San Marco looking to the North Transept on Good Friday)』 (ロイヤル・コレクション) [7]とともに画家がサン・マルコ寺院の内部を描いた2点の絵画のうちの1点である[2]。おそらくカナレットがイギリスからヴェネツィアに戻ってすぐに描かれたと思われ、ドゥカーレ宮殿の中庭にある階段を表した『スカーラ・デイ・ジガンティ (Scala dei Giganti) 』 (個人蔵) の対作品として制作された[2]。

本作は、サン・マルコ寺院の入り口近くから見た[2]、身廊の西端から高祭壇までの眺めを表している[1][2]。頭上には「ペンテコステのドーム」があり、その先にある「キリスト昇天のドーム」は、旗のために部分的に隠されている。聖アンデレの磔刑がはっきりと見える、使徒たちの生涯を表す絵画が左側アーチ下の部分を装飾している。右側の絵画は、実際のモザイクとは一致していない。「ペンテコステのドーム」には描き直しがある[1]。
この絵画は、特別な行事を記録しているようである[1]。ドージェ (ヴェネツィア共和国の総督) の紋章が身廊の両側を飾っているが、これらの紋章は伝統的にドージェの死後に掲げられた。内陣仕切り上部に沿って置かれた蝋燭が灯されており、その下の開口部には花輪が下がっている。内陣仕切りの左側の二層の説教壇上には数人の人物が、右側の檀上には聖歌隊が見える[1]。身廊は跪く礼拝者で満たされており、身廊左側の小さな「磔刑礼拝堂」では赤い衣服を纏った司祭が職務を行っている[1][2]。画面前景右側には、2匹の犬が蹲っている[2]。
ピンク色と金色の文字で「VERONA/FIDELIS」と記されたヴェローナの町の旗が「ペンテコステのドーム」から下がっている。その両脇には、対トルコの戦争での勝利を表すとされるトルコの旗が見える。朝の光が南側 (右側) から身廊を照らしている。実際には、この視点から「ペンテコステのドーム」は見えない。また、奥に向かって後退する身廊の両側も見えないはずである[1]。