ヴェネツィア: サン・マルコ広場
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| イタリア語: Venezia: Piazza San Marco 英語: Venice: Piazza San Marco | |
| 作者 | カナレット |
|---|---|
| 製作年 | 1758年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 46.4 cm × 37.8 cm (18.3 in × 14.9 in) |
| 所蔵 | ナショナル・ギャラリー、ロンドン |
『ヴェネツィア: サン・マルコ広場』(ヴェネツィア: サン・マルコひろば、伊: Venezia: Piazza San Marco、英: Venice: Piazza San Marco)[1]、または『サン・マルコ広場: 北西から東を望む』(サン・マルコひろば: ほくせいからひがしをのぞむ、英: Piazza San Marco: Looking East from the North-West Corner)[2]は、18世紀イタリアの画家カナレットが1758年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した風景画である。1910年にジョージ・ソールティングから遺贈されて以来[1]、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている[1][2]。ちなみに、この絵画の対作品『ヴェネツィア: 新検察庁』[3]もナショナル・ギャラリーに所蔵されている[1][2]。
カナレットとその甥ベルナルド・ベッロットが確立した地誌学的風景画「ヴェドゥータ」(都市景観画) は、18世紀ヨーロッパ各地で広く好まれた。寸分狂いのない線遠近法と明瞭な明暗効果の中に捉えられたヴェネツィアなどの都市風景の広がりは、時代精神と共鳴するところがあったと思われれる[4]。
1725年までにヴェドゥータの専門家になっていたカナレットが描いたヴェネツィアの風景は、とりわけグランド・ツアーに出かけた上流階級のイギリス人子弟の間で非常な人気を博し[5]、彼らが帰国する際にはヴェネツィアの絵葉書、お土産代わりに購入された[6]。1741年にオーストリア継承戦争が勃発すると、外国人によるイタリアへの旅行が危険となり、カナレットは自身の絵画の顧客が最も多かったイギリスに赴くこととなった[7]。しかし、彼がイギリスを描いた風景画は人気がなかったので[5]、1756年までには故郷のヴェネツィアに帰還した[7]。
作品

この小さな絵画は、高いアーチのあるところから見たヴェネツィアで最も有名な広場であるサン・マルコ広場を表している[1]。アーチから眺めた光景という手法は、イギリス滞在中のカナレットがすでに『ロンドン: ウェストミンスター橋のアーチから見た光景』 (個人蔵) で用いたものである[1][2]。とはいえ、本作は、カナレットのヴェネツィアを描いた作品中では独自の構図となっている[1]。
カナレットは、鑑賞者を前景にいる人物たちの背後の影の中に配置している。鑑賞者は、あたかも列柱に沿って歩いているかのようである[1]。籠に取り囲まれた商売人が2人の紳士に商品を見せているが、何を売っているのかは定かではない。小さな犬がおとなしく待っている。樽に座った男が鑑賞者の方を振り向いており、別の男が柱の後ろから覗いている[1]。
アーチは、鑑賞者の注意を先にある建物に向ける。建物は、ヴェネツィアの最も重要な教会で、福音記者マルコの聖遺物を納めているサン・マルコ寺院のファサード、そして左側にある優雅な鐘楼である。カナレットは鐘楼をたびたび描いたが、ほぼ必ず実際よりも高く、そして細く表した。鐘楼と前景の列柱の間からは、ドゥカーレ宮殿 (赤みを帯びた建物) の一部が垣間見える[1]。

広場の敷石、そして周囲の建物は鋭い角度で奥に後退しているが、カナレットが誇張しているこの遠近法により、鑑賞者の視線は画面奥へと導かれる[1]。広場に見える白い石の線は宗教的行列、祝祭、商業的行事の際に一時的な屋台が置かれる位置を示しているが、サン・マルコ寺院の一番左のアーチのところまで完璧に収斂している。本作の対作品『ヴェネツィア: 新検察庁』同様、カナレットはこうした見事な効果を創造するために遠近法を変えているのである[1]。さらに、カナレットは前景の陰になっている部分を光に照らされている広場と対照することで、鑑賞者の視線を広場の光景に引き込んでいる。また、サン・マルコ寺院のファサードが完全に見えるように、画家はその前の旗を掲げるポールも描いていない[2]。
左側には、広場に沿って約150メートル伸びている、ヴェネツィア最長の建物である旧検察庁 (Procuratie Vecchie) が見える[1]。建物の中には、サン・マルコ広場とその周辺の建築物に責任を負う名誉ある検察官の事務所がある。新検察庁 (Procuratie Nuove) の建物は反対側にあるが、『ヴェネツィア: 新検察庁』における視点はその列柱内に置かれている[1]。ちなみに、この景観を提供するアーチはもはや存在しない。広場の前景側は、ヴェネツィアがフランスに占領されていた1807年にナポレオンにより破壊され、現在コッレール博物館となっているナポレオンの居館が代わりに建てられたのである[1]。