樋口家
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歴史
権大納言高倉永家の四男堀河親具の次男樋口信孝を祖とする[4]。
公家としての家格は羽林家[1][2]、新家[4]、外様[4]。江戸時代の石高ははじめ200石・中期頃150石に減少したが、後に200石に戻った後、明治入って293石余に加増された。[4][注釈 1]。家職は有職故実[5]。
明治2年(1869年)に公家と大名家を統合した華族制度が誕生すると樋口家も旧・公家として華族に列し、1884年(明治17年)7月7日の華族令施行で華族が五爵制になると、同月8日に大納言直任の例がない旧・堂上家[注釈 2]として誠康が子爵位を授けられた[3]。誠康は陸軍大尉・貴族院の子爵議員などを歴任した[7]。