淅州 From Wikipedia, the free encyclopedia 淅州(せきしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から唐初にかけて、現在の河南省南陽市一帯に設置された。 魏晋南北朝時代 西魏により析州が設置された。北周により析州は淅州と改称された。 隋代 隋初には、淅州は1郡1県を管轄した。582年(開皇2年)、荊州の南郷県などの3県を編入された。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、淅州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、均州が廃止され、淅州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、淅州は淅陽郡と改称され、下部に7県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。 さらに見る 隋代の行政区画変遷, 区分 ... 隋代の行政区画変遷 区分開皇元年区分大業3年 州淅州荊州豊州郡淅陽郡 郡淅陽郡南郷郡武関郡武当郡広福郡斉興郡県内郷県 南郷県 丹水県武当県 均陽県安福県 鄖郷県 県中郷県南郷県丹水県安山県武当県均陽県広福県鄖郷県 閉じる 唐代 618年(武徳元年)、唐により淅陽郡内郷県に淅州が置かれた。内郷県を分割して、黙水県が置かれた。627年(貞観元年)、均州が廃止され、武当・鄖郷の2県が淅州に編入された。634年(貞観8年)、淅州が廃止され、内郷県は鄧州に編入され、武当・鄖郷の2県に再び均州が立てられた。黙水県は廃止されて内郷県に編入された[2]。 脚注 [1]『隋書』地理志中 [2]『旧唐書』地理志二および『新唐書』地理志四 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles