茂森新町
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歴史
- 慶安2年 - 弘前城築城当初には町割りがされず町名は無いが、45軒の屋敷割りがされ、煙草作りの他に5人の町人が居住(弘前古御絵図)。
- 万治2年 - 茂森派町として北側に10軒、南側に14軒の町家が並ぶ(津軽弘前古絵図)。
- 寛文13年 - 重盛御派町とあり、町家が44軒(弘前中惣屋敷絵図)。
- 天和2年 - 現在の町域、町並みを形成(国日記)。
- 享保4年頃 - 町家87と、津軽主膳の下屋敷2ヶ所があり、屋敷地内に14軒の屋敷がある。この下屋敷付近に制札所があり、城下南西の入口として枡形が築かれた(町屋数円)。
- 寛政12年 - 北側が漆畑で、町家123(分間弘前大絵図)。
- 天保8年頃 - 町家が132あり、町はずれが千本杉と呼ばれた(弘前絵図)。
- 明治以降 - 変わらず、住宅街で、商家雑居の町である。旧相馬村(現在は合併により弘前市)・中津軽郡西目屋村からの入口として商店がにぎわいを見せたが、自動車交通の発展とともに商業が振るわず、近年は小規模の商店のほかは住宅・市営団地で構成される。
沿革
世帯数と人口
施設
医療
- 沢田内科医院
商業
- 花篭センター
- 弘前盛篭センター
- 城東盛篭センター
公共
- 茂森新町公民館
- 寺沢川茂森新町緑地