覚仙町
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歴史
- 正保3年 - 町屋とある(津軽弘前城之絵図)。
- 慶安2年 - 「かち町」と見え、鍛冶10軒・大工1軒・正学坊(修験)・武士などの屋敷若干で、町内に計19軒の屋敷があり、鍛冶職人の町であった(弘前古御絵図)。
- 寛文13年 - 重森町横丁と見え、武家4・町屋11のほかに学勝院がある(弘前中惣屋敷絵図)。
- 元禄9~享保6年 - 津軽の三刀匠として知られた国吉家・森宗家・国広家の屋敷が見られる(町絵図)。
沿革
町名の変遷
元禄13年から享保6年にかけて町名が覚勝院前之町・覚勝院町・横鍛冶町と変わり、並行して修験の正学坊が学勝院から覚勝院と変わり、寛政年間に現在の町名である覚仙町の町名が固定したもの(弘前侍町屋敷割・町絵図・分間弘前大絵図)。
施設
医療
- 佐藤内科
小・中学校の学区
交通
覚仙町角(弘前バスターミナル - 相馬・藍内・ロマントピア線、他)停留所。