百石町 (弘前市)
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催事
歴史
- 正保3年 - 侍屋敷として町割りされる(津軽弘前城之絵図)。
- 寛永末年頃 - 当地の東側に屋敷が19軒(津軽弘前城之絵図)。
- 慶安2年 - 侍町とあり、屋敷55軒のうち46軒が武家屋敷。そのなかには足軽組頭とみられる屋敷もある(弘前古御絵図)。
- 寛文13年 - 百石町と町名が見え、侍屋敷が51軒ある(弘前中惣屋敷絵図)。
- 延宝5年 - 上鞘師町から南部を百石町一丁目、北部を二丁目と称する(弘前惣御絵図)。
- 元禄13年 - 46軒の武家屋敷がある(弘前侍町屋敷割)。
- 寛政5年 - 寛政の改革により、当地に御目見以上の武士の屋敷が配置される(平山日記)。
- 寛政12年 - 侍屋敷が41軒(分間弘前大絵図)。
- 文化4年 - 侍屋敷が40軒(御家中町割)。
- 明治初年 - 戸数43。町域は「長三丁三十五間五尺、幅四間」とある(国誌)。
- 1880年(明治13年) - 元寺町から出荷した火災が当地のほか一帯、1,064戸を焼きつくし、それが当地を商店街を発展させることとなる。
- 1897年(明治30年) - 奥羽北線(奥羽本線青森〜弘前間)開通、陸軍第8師団の設置によって、弘前市の中心部が本町から元寺町・当地に移る。
- また、1883年(明治16年)に建てられた宮本甚兵衛呉服店は、同年に弘前金融合資会社、のちに津軽銀行(現:青森銀行津軽支店)になる。
- 1914年(大正3年) - 弘前市で初めて夜店祭りが催され、2軒目の活動写真館が開業する(現在はガソリンスタンド)。
沿革
地名の由来
定かではないが、禄高100石以上・金15両以上の藩士が居住していたことから。