蒙古地方

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中華民国 蒙古地方
1915年 - 1946年
蒙古地方の位置
蒙古地方の位置
蒙古地方の位置
簡体字 蒙古
繁体字 蒙古
拼音 Ménggŭ
カタカナ転記 モングー
国家 中華民国
行政級別
政府所在地 庫倫
建置 1915年
消滅 1946年 
面積
- 総面積 6,484,803[1] km²
人口
図の赤いモンゴル国領土と中華民国とロシア連邦の領土係争地である黄色いタンヌ・ウリャンカイにほぼ重なる領域が蒙古地方。
1947年の中国の地図、モンゴルの独立性に対する中央政府の認識。

蒙古地方(もうこ/モンゴル-ちほう)は、中華民国が、実効支配できなかったモンゴル高原北部に対し、領有を主張して名目上設置した省級行政区画。いわゆる外蒙古ダリガンガ牧場ホブド地方等をあわせた範囲に相当し、現在のモンゴル国ロシア連邦トゥヴァ共和国(唐努烏梁海、タンヌ・ウリャンカイ)を含む。地方政府所在地は庫倫(ニースレル・フレー)(現在のウランバートル)。

清朝はモンゴルを八旗蒙古内属蒙古外藩蒙古に区分した。

1910年、外藩蒙古の北部ハルハに「新政」が施行されたのをきっかけとして反清独立運動がおこり、1911年、化身ラマのジェプツンダンバ・ホトクト8世が皇帝(ボグド・ハーン)に推戴されてボグド・ハーン政権が発足した。ボグド・ハーン政権はモンゴル全土の統合をめざし、独立戦争の当初は一時的に外蒙古全域に加え、西モンゴルのホブド内蒙古49旗中35旗を制圧したが、1910年代の半ばになると、その勢力圏には外蒙古ダリガンガ牧場、ホブド地方を合わせた範囲に縮小した。その後、1921年にボグド・ハーン政権は革命で共産化し、1924年には正式な社会主義国家としてモンゴル人民共和国となり、ソ蒙相互援助議定書でソ連軍が駐屯することになった。中華民国の歴代政権は、実効支配できない上記領域を「蒙古」と称し、名目上「中華民国に属する地方」と位置づけた。1945年8月のソ連対日参戦で内蒙古は東部から西部までモンゴル人民軍に占領され[2]、その影響で内モンゴル人民共和国東モンゴル自治政府フルンボイル地方自治政府など内外モンゴル統一運動が勃発する。

ヤルタ協定第1条により英・米・ソの三国が「外蒙古の現状の維持」すなわちモンゴルの北部を領土とするモンゴル人民共和国の独立を承認したことに抗し切れず、最終的に1946年1月、中華民国国民政府蔣介石は内蒙古からのモンゴル人民軍撤収と「国民投票による住人の意思の確認」(外モンゴル独立公民投票)を条件として、モンゴルの北部である「蒙古」の独立を承認した。

中華民国政府は、中国大陸における領土を全て失った後の1953年中ソ友好同盟条約1945年締結)を正式に破棄した際に、モンゴル人民共和国に対する独立の承認も撤回したと解釈された[3]

民主進歩党陳水扁政権は実質的にモンゴル独立を認めており、2002年にはウランバートルに事実上の大使館にあたる台北貿易経済代表処が、台北市にはモンゴル国の貿易代表事務所が相互に開設された。外交部のウェブサイトにもモンゴル国の「國情簡介」ページが掲載された[4]

中国国民党馬英九政権下の2012年には、行政院大陸委員会が、1946年の中華民国憲法制定の時点でモンゴルの独立をすでに認めており、憲法第4条で中華民国の領土とされる「固有の領域」にモンゴルは含まれないとの見解を発表した[5]

行政区画

関連項目

脚注

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