重慶市 (中華民国)
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中華民国の成立以前、現在の重慶市街は重慶府巴県(中国語版)に属していた。中華民国が建国されると重慶府は廃止され、巴県は東川道の管轄下に置かれた[1]。
1921年(民国10年)11月、四川軍閥の劉湘は重慶商埠督弁処を設置して重慶市街の行政を担わせたが、行政区画としての重慶市はまだ設置されなかった[1]。1923年(民国12年)2月に重慶商埠督弁処に代わって重慶市政公所が設置され、1926年(民国15年)6月には重慶商埠督弁公署、1927年(民国16年)には重慶市政庁に改組された[1][2]。
1929年(民国18年)2月15日、重慶市政庁が重慶市政府へ改組されると同時に重慶市街は巴県から分離し、四川省管轄の市(省轄市)として重慶市が正式に設置された[1][2][3]。

日中戦争が勃発し、日本軍が南京に迫りつつあった1937年(民国26年)11月20日、国民政府は「国民政府移駐重慶宣言」を発表し、首都機能や各国大使館が南京から重慶へ移転した[1][2][4]。1938年(民国27年)から1943年(民国32年)にかけて、日本軍は重慶への爆撃を幾度となく実施し、特に1939年(民国28年)5月3日・4日の爆撃による被害は甚大なものであった[4][5]。5月5日、中央から市に対する指導力を強化するため、国民政府は重慶市を四川省から分離させ、院轄市に昇格させた[2][4]。
1940年(民国29年)9月6日には「重慶を中華民国の陪都(中国語版)とする」という国民政府令が発表され、重慶の「戦時首都」としての地位が正式に確立された[4]。戦時首都となったことは重慶の発展に大きな影響をもたらした。日本軍の占領を逃れて華東地区から移転した工場はそのほとんどが重慶を移転先とし、重慶は当時の中国で最も工場が集中する都市となった[2][4]。また、中央銀行・中国銀行・交通銀行・農民銀行といった大手銀行の本店や国立中央大学・中央政治学校などの教育機関も重慶に移転し、重慶は金融センター・文教都市としても発展した[4]。大韓民国臨時政府も1940年に重慶に移り、蔣介石政権の元で抗日運動に励んだ[6]。

1945年(民国34年)に日中戦争が終結すると、内戦の再開を避けるため、国民政府(中国国民党)と中国共産党の間での和平交渉が重慶で開かれた(重慶会談(中国語版))。交渉は8月29日から10月10日まで続き、内戦の回避と統一政権の樹立を約束する「双十協定」が10月10日に発表された[7]。翌1946年(民国35年)には双十協定に基づいて政治協商会議(中国語版)が重慶で開催されたものの交渉は決裂し、第二次国共内戦が勃発した。また、同年5月1日には「還都令」が発表され、5月5日に国民政府が南京へ戻された[8]。
1949年(民国38年)10月11日、代理総統の李宗仁が総統令を発表し、10月13日に中華民国政府は広州から重慶に移った。重慶に中国人民解放軍が接近すると中華民国政府は成都へ移転し、11月30日に重慶は人民解放軍によって占領された[2]。
歴代首長
| 代 | 氏名 | 写真 | 在任期間 | |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 楊森 | 1921年11月 - 1922年8月 | ||
| 1 | 鄧錫侯 | 1923年2月 - ? | ||
| 2 | 陳国棟 | ? - ? | ||
| 3 | 朱宗愨 | ? - ? | ||
| 1 | 唐式遵 | 1926年6月 - 1926年7月 | ||
| 2 | 潘文華 | 1926年7月 - 1927年11月1日 | ||
| 1 | 潘文華 | 1927年11月1日 - 1929年2月15日 | ||
| 1 | 潘文華 | 1929年2月15日 - 1935年7月 | ||
| 2 | 張必果 | 1935年6月24日 - 1936年4月11日 | ||
| 3 | 李宏錕 | 1936年 - 1938年8月 | ||
| 4 | 蔣志澄 | 1938年8月1日 - 1939年5月5日 | ||
| 5 | 賀国光 | 1939年5月15日 - 1939年12月5日 | ||
| 6 | 呉国楨 | 1939年12月 - 1942年12月16日 | ||
| 7 | 賀耀組 | 1942年12月16日 - 1945年11月 | ||
| 8 | 張篤倫 | 1945年12月1日 - 1948年4月 | ||
| 9 | 楊森 | 1948年4月 - 1949年11月30日 | ||
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 4 5 “【治国理政新实践·重庆篇】献礼直辖19周年 图说重庆三千年行政区划变迁” (中国語). 人民网 (2016年6月18日). 2024年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月17日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “历史沿革” (中国語). 重庆市人民政府 (2023年12月31日). 2024年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月17日閲覧。
- ↑ “重庆建市” (中国語). 新华网. 2011年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月5日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “战局迫使国民政府迁都重庆” (中国語). 新华网 (2005年7月28日). 2007年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月5日閲覧。
- ↑ “新闻背景:惨绝人寰的重庆大轰炸” (中国語). 重庆旅游信息网. 2011年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月5日閲覧。
- ↑ “第101周年大韓民国臨時政府樹立記念式”. 駐日本国大韓民国大使館 (2020年4月22日). 2024年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月4日閲覧。
- ↑ “重慶談判” (中国語). 中國共產黨新聞. 人民網. 2024年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月17日閲覧。
- ↑ “歷史上的今天(5月5日)” (中国語). 大紀元 (2011年5月5日). 2024年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月17日閲覧。
による区分 (1949年 - 現在) |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
による区分 (1912年 - 2005年)1 |
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| 台湾地区2の現行行政区画 (2014年3 - 現在) |
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 大陸地区を含む全領域(中国語版)の行政区画5 (1979年6 - 2005年7) |
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各行政区画の地方分類は、台湾地区に関してはTemplate:台湾の地域を、中華民国全領域に関してはTemplate:中国地理大区を参照のこと。 1 北京政府、または国民政府・中華民国政府が中央政府機構を1年以上設置した実績のある都市。なお、1925年 - 1928年は北京政府と国民政府の並立期間。 2 名称と範囲は、台湾地区と大陸地区の人民関係条例(中国語版)第2条第1項の規定に基づく。 3 直轄市としての桃園市発足に伴い、桃園県が台湾省から離脱した年。 4 行政改革によって行政機関としての機能は2018年までに消滅。ただし、中華民国憲法と中華民国憲法増修條文の上では廃止されていない。 5 この行の記載は、行政院新聞局が2005年に刊行した「中華民國九十四年年鑑」に基づく。 6 高雄市の直轄市昇格にともない、中華民国全領域の行政区分が政府公告上で修正された最後の年。 7 「中華民國九十四年年鑑」が刊行された年。これ以降、中華民国政府は大陸地区の範囲・行政区分に関する公告を発表していない。 8 全域が台湾地区に属する。 9 金馬地区が台湾地区に、それ以外の地区が大陸地区に属する。 10 地域範囲の重複に関わらず、モンゴル(モンゴル国)の国家承認を行った2002年以降も、引き続き政府公告資料に掲載。なお、1946年に当時のモンゴル人民共和国を国家承認した際は、1953年の承認撤回までの間廃止されている。→詳細は「台蒙関係」を参照 | |||||||||||||||||||||


