グレン・ヒューズ

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ブラック・カントリー・コミュニオンで演奏するグレン・ヒューズ(2011年)

グレン・ヒューズGlenn Hughes1951年8月21日 - )は、イギリス出身のベーシストボーカリスト。1970年にトラピーズのメンバーとしてデビューし、1974年に第3期ディープ・パープルに加入して世界的な注目を浴びた。

2025年現在に至るまで、様々なバンドやプロジェクトでの活動と並行してソロ名義の活動を続けている。

1951年スコットランドグラスゴー・キャノックで生まれる。 1968年、トラピーズにベーシスト兼ボーカリストとして加入[1]して、レコーディング・キャリアをスタート。トラピーズは翌1969年にクインテットとしてムーディー・ブルースが設立したスレッショルド・レコードと契約して、1970年にデビュー・アルバム『トラピーズ英語版』を発表[2]。その直後、ハード・ロックやブルース・ロックを演奏するトリオになり、『メデューサ』(1970年)[3]と『連動英語版』(1972年)[4]の2作のアルバムを発表した。

1973年、ヒューズはロジャー・グローヴァーの後任の3代目ベーシストとして、第3期ディープ・パープルにスカウトされた。彼はソウルフルな声を持つボーカリストとしての実力も発揮して、同時期に加入したデイヴィッド・カヴァデールと時としてリード・ボーカリストの任を共有した[注釈 1]。第3期ディープ・パープルは1974年3月にアルバム『紫の炎』を発表し、同時にアメリカ・ツアーを開始。4月6日にはカリフォルニア州で開かれたカリフォルニア・ジャムに出演し、ヒューズも一躍有名になった。彼はカヴァデールと共に、ディープ・パープルの音楽にソウル・ミュージックやファンキー・ミュージックの要素をもたらした[注釈 2]

1976年、第4期ディープ・パープルが解散。ヒューズはソロ活動を始め、翌1977年7月、トラピーズ時代の同僚と制作した初のソロ・アルバム『燃焼英語版』を発表[5]。その後、活動の拠点をアメリカへ移した。

1982年にギタリストのパット・スロールと共にヒューズ/スロール名義で作品を発表。

ブラック・サバス時代 (左から2人目、1986年)

1985年にはボーカリスト兼ベーシストとしてゲイリー・ムーアの『ラン・フォー・カヴァー』、1986年にはボーカリストとしてブラック・サバストニー・アイオミのアルバム『セヴンス・スター』に参加する。ハードロック・バンド、ヨーロッパのメンバーであるギタリスト、ジョン・ノーラムと活動中にドラッグの問題でスウェーデンから強制退去を命じられる。脱ドラッグのリハビリテーションを行い、1992年KLFのシングル「America: What Time Is Love?」にボーカルとして参加し再デビューする。同年、ヒューズがリード・ボーカルを担当したジョン・ノーラムのアルバム『フェイス・ザ・トゥルース』が発表される。

2002年にはジョー・リン・ターナーとのヒューズ・ターナー・プロジェクトを開始し、その後、自身のソロ・バンドにレッド・ホット・チリ・ペッパーズチャド・スミスを迎えて、『ソウル・ムーヴァー』(2005年)などの作品を発表した。2010年にはジョー・ボナマッサデレク・シェリニアンジェイソン・ボーナムと共にブラック・カントリー・コミュニオン英語版を結成し、同年発表のデビュー・アルバムは全英アルバムチャートでトップ20入りするヒットとなった[6]

2016年、ディープ・パープルがロックの殿堂入りを果たし、ヒューズは8名の受賞者に含まれた[7][注釈 3][8][9]

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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