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サンフレッチェ広島F.Cの育成組織

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サンフレッチェ広島F.Cの育成組織(サンフレッチェひろしまエフシーのいくせいそしき)は、Jリーグサンフレッチェ広島F.Cの育成組織(アカデミー、下部組織)。

概要 サッカー(男子), サッカー (女子) ...
サンフレッチェ広島F.C
サッカー
(男子)
サッカー
(女子)
サッカー
(アカデミー)
異競技連携
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通称として下部組織と呼ばれることがあるが、Jリーグの指針では下部組織という用語は用いないとしている[1]。一部では愛称として「子熊」[2]「仔熊」[3]と呼ばれている。2チーム編成で大会に登録する場合、片方のチーム名に「セカンド」あるいは「ベアース(BearsあるいはB)」を付け登録している場合もある。これらの熊とは、チームマスコットであるツキノワグマサンチェに由来する。

男女ともにチームがある。スクール拠点は、広島県内のほか山口県島根県にもある[4]

クラブは目標の一つに「日本一の育成・普及型クラブ」を掲げ[5][4][6]、その中で「技術があってハートもあってハードワークできる」選手の育成を目指している[7]。そしてサッカーの技術的な面だけではなく、メンタル面でのアプローチ[8][9][10]、学業・生活面の指導など人間教育にも力を入れている[5][11][12][13]

体験入会・セレクションなど詳細に関しては公式ホームページ等を参照。

組織

サンフレッチェ広島F.Cの育成組織の位置(日本内)
サンフレッチェ広島F.Cの育成組織

Jリーグクラブライセンス制度では、Jリーグの各チームにU-18チームU-15チームU-12チーム、U-10チームを保有することを義務づけ、女子チームを保有できるものとしている。これを元に広島では以下のチームを編成している。

選手

スタッフ

2026年度サンフレッチェ広島公式サイト参照。斜体は広島アカデミー出身者。

育成部
  • 育成部部長(アカデミーダイレクター)兼ユース監督 : 沢田謙太郎
  • 育成部副部長 : 後藤雄治
  • 育成チーフスカウト / ユースチームマネージャー : 佐々木直人
  • 育成部担当/育成部スカウト : 森﨑和幸
  • GKダイレクター / ジュニアユースGKコーチ : 加藤寿一
  • ユースヘッドコーチ : 野田知
  • ユースコーチ : 池田康平平繁龍一原裕太郎
  • 三矢寮長母 : 稲田浩、稲田純子
  • ジュニアユース監督 : 岡本知剛
  • ジュニアユースコーチ : 内田健太村山勘治
  • 工大高ジュニアユース監督 : 山下健太
  • 工大高ジュニアユースコーチ : 東野広太郎
  • 工大高ジュニアユースGKコーチ / JFAGKコーチ : 阿江孝一
  • ジュニア監督 : 関原凌河
  • ジュニアコーチ/育成部スカウト/スクールコーチ : 渡辺康則
  • ジュニアコーチ : 駒野友一
  • レジーナユース監督 : 田邊友恵
  • レジーナジュニアユース監督 : 木村翔
  • レジーナユース・ジュニアユースコーチ : 山本侑生
  • レジーナユース・ジュニアユースコーチ : 星野あかり
  • レジーナユース・ジュニアユーストレーナー : 佐々木茜

拠点

サンフレッチェ広島F.Cの育成組織の位置(広島県内)
安芸高田市サッカー公園
安芸高田市サッカー公園
揚倉山健康運動公園
揚倉山健康運動公園
広島広域公園第二球技場
広島広域公園第二球技場
  • ユース(男子U-18) : 安芸高田市サッカー公園吉田運動公園(安芸高田市)
  • レジーナユース(女子U-18): 山陽高等学校人工芝グラウンド(広島市西区)、広島広域公園第二球技場(広島市安佐南区)など
  • ジュニアユース(男子U-15) : 揚倉山健康運動公園(安芸郡府中町)など
  • レジーナジュニアユース(女子U-15) : 山陽高等学校人工芝グラウンド、広島広域公園第二球技場など
  • ジュニア(男女U-12) : 揚倉山健康運動公園など
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
45 km
福山R
広工大高
びんご
.
くにびき
2025年時点でのスクール拠点。特記は提携チーム。
提携ジュニアユース
  • サンフレッチェ広工大高ジュニアユース
  • サンフレッチェ福山レジーナジュニアユース
    • 提携 : RSスポーツクラブ(福山ローザス・セレソン)
    • 代表 : 栗原真行
提携スクール

背景

広島のサッカー土壌

広島は古くは静岡・埼玉と共にサッカー御三家と言われる土地であった[14][15]。戦前から広島高師附属中学(現広大附属高)・広島一中(現国泰寺高)・修道中学(現修道高)の広島サッカー御三家を中心に全国大会で数々のタイトルを取り、福原黎三渡部英麿松田輝幸浜本敏勝ら教員指導者の尽力により、数多くのサッカー選手を輩出してきた[16]

1950年代後半になると、指導者不足から東洋工業蹴球部(後のマツダSCでありサンフレッチェ広島F.Cの前身)をはじめとする地元実業団の現役選手が頼まれて市内の小中高校へ指導に出かけるようになった[注 1][17]。1965年東洋工業現役選手によるサッカー教室を正式に開始[18]、のち「マツダサッカースクール」の名で船本幸路小城得達など蹴球部OBを講師に県下を指導・普及して周っていた[注 2]

1970年代以降オイルショックから広島経済の地盤沈下が進み、広島サッカーも影響し停滞していった[16][15]。地元出身の有望選手は大学を卒業後関東や関西の実業団チームへ入団し、有望な中学生は他県の高校へ越境入学するなど、タレントが流出していった[16]

マツダSCの試み

1984年、マツダSCがJSL2部に降格したことを機に、今西和男が強化担当(兼監督)に就任した[22]。今西は蹴球部OBだが引退後はマツダ社員として働いており、指導者としてのキャリアがまったく無かったので、オランダからハンス・オフトをコーチに招聘した[22]

今西は外国人選手獲得[注 3]も兼ねて、オフトの出身クラブであるフェイエノールトとその他にもアヤックス・アムステルダムを視察した。そこで、プロには「予備軍」(フェイエノールト・アカデミーオランダ語版アヤックス・アカデミー[注 4])が存在すること、予備軍ではトップの内容に近いトレーニングをこなしてること、プロになれなかった場合のリスクを避けるために予備軍に勉強をさせていたこと、を知った[24][23]

一方、新たな日本人選手発掘・獲得には、地方というハンディキャップからかなかなか即戦力の選手を獲得できなかった。彼らは相談した結果、即戦力となる大卒選手の獲得を継続する中で、高卒選手の獲得と育成に力を入れ、フェイエノールトやアヤックスのような予備軍の整備を目指そうとした[23]。さっそく2軍である「マツダSC東洋」を強化し中国サッカーリーグに参戦、森保一片野坂知宏柳本啓成らを育成していった[25][26]

さらに指導者育成にも着手[27]、後に小林伸二松田浩中村重和などチームを影で支える指導者が誕生した。

また1990年代以降、当時マツダSCコーチだったビル・フォルケスの紹介で、森保や高木琢也[注 5]など若手数人を年に1度1ヶ月程度マンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブイプスウィッチ・タウンFCなどイングランドのチームに練習参加させていた[29][28][30][31]。なおこうした選手の中には虫谷泰典[注 6]のようにプロ契約せずマツダ社員として勤務したものもいる[31]

1990年代の経営再建

一流のサッカー選手である前に一流の社会人であれ

今西和男[32][33]

気持ちには引力がある

森山佳郎[9]

サンフレッチェ広島はマツダSCを母体としマツダが球団筆頭株主となり発足した[34]。ただ1990年代後半の観客数低迷、所謂Jリーグバブル崩壊によって累積赤字を抱えてしまう[34]。当時マツダはフォード・モーター主導での経営再建中であったため増資に応じず、行政に頼ることもできなかったため、地元企業のデオデオ(のちエディオン)に球団経営再建を託し久保允誉が球団社長に就任した[34]

久保は引き受けるにあたり球団収支をチェックしたところ、人件費の圧縮、有名な外国人選手を高額で獲得するのではなく自前で選手を育てれば立て直せるかも、と考えたとされる[34]。これに当時強化部長だった今西和男、その下で働いた織田秀和も歓迎した[34]。前身の東洋工業/マツダSC時代から若手を育てることがクラブとして生きる道だと思っていた[23]現場担当と、経営的な視点で育成を重視したトップが、同じ方向を向くことになる[34]。「今後さらに育成に力を入れていく」というクラブの方向性がここで定まった[34]

取り組み

高校年代男子

吉田郡山城展望台からみる吉田町。手前の建物が吉田高校。
安芸高田市サッカー公園。トップチーム練習場でありユース(U-18)の拠点でもある。
概要 映像外部リンク ...
映像外部リンク
サッカー国際大会開会式を盛り上げたサンフレッチェユース劇場 - 当時フィジカルアドバイザーを務めた木場克己がアップロードした動画。中心人物は大谷真史。当時やべっちFCでも取り上げられている[35]
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1993年Jリーグが開幕すると、すべてのJリーグクラブは育成組織を持つことが必須となった。サンフレッチェ広島では当初ハード面で遅れており、特にユースは広島市内で練習グラウンドの確保すらままならなかった[23]。そこへ高田郡吉田町(現安芸高田市)がサッカーを中心としたスポーツで町おこしをする「若者定住促進等緊急プロジェクト」の一環として全面協力することが決定、ユースは育成拠点を吉田町内に置き、町内の吉田運動公園を練習拠点として活動を開始した[5][11]

ほぼゼロからのスタートであったがその後の試行錯誤から以下のような発展を遂げた。

吉田町は広島市内から車で1時間半以上かかる遠方[11][35]にあるため設立開始から全寮制をひいた[32]。当初は民家を借りて行っていたが環境の充実をはかり、1994年にJリーグチームとしては初めてユース寮を新設した[16]。2027年からジュニアユースとの中高一貫型の全寮制を採用する(後述)。
1998年に吉田サッカー公園(現安芸高田市サッカー公園)が完成し、本格的に練習を開始した[5]
地元吉田町との関係強化が進んでいる[36][37]
所属する全選手を広島県立吉田高等学校に通わせている[38]。学校での生活態度を逐一報告を受け、成績の悪い選手はペナルティとしてユースの練習に参加させないようにしている[39][11]。また高校の学校行事に積極的に参加[注 7]、ときには吉田高校サッカー部(ここには広島ユース生は所属していない)や吉田中学校にユース監督以下スタッフを派遣し指導に当たるなど、互いに密な関係を築いている[32]
また設立当初からサッカーフェスティバルなど町民との積極的な交流を深めた結果、2000年代以降地域に溶けこんだ。ユースの全国大会決勝では町民が応援に駆けつけたりもしている[37]
  • ユース独自のスカウト網
専門のスカウトを置き、若年層の有望株を全国津々浦々まで網羅しカバーしており、その情報量は2004年当時は他クラブを圧倒していた[23]森山佳郎の証言によると、それを見て他クラブも強化した結果一時期は広島に人材が流れてこなくなったが、そこから結果を出し続けたことで持ち直したという[40]

歴代コーチは、トップチームでプレー経験のあるもの、プロ選手経験はないがサンフレで指導経験を積んだもの、あるいは外部からの招聘など、様々な指導者が就任している。歴代監督はマツダ/サンフレのトップチームでプレー経験のある人物が就任していたが、2020年からトップチームでのプレー経験がないが広島県出身の高田哲也が就任している。2023年から全く関連性のない野田知が監督に就任、コーチ陣は全員広島ユース出身同期が就任している。

中学年代男子

拠点の一つ揚倉山健康運動公園。現在では人工芝が整備されている。

歴代監督・コーチともに、トップチームでプレー経験のあるもの、プロ契約はないがサンフレッチェで指導経験を積んだもの、あるいは外部からの招聘など、様々な指導者が就任している。

ユースと同様に強化に努めたが、結果として現れだしたのは2000年以降である。ここで育った選手がユースに昇格し、ユースも結果が出るようになった。

過去には県サッカーのレベル低下を防ぐため、意図的にユース昇格を制限していた時もあったという[41]。広島県の高校による2000年代の高校3大大会(インターハイ高円宮杯選手権)好成績はジュニアユース出身者によってもたらされている[16][15][42]。ただ2020年報道によると、他県のレベルアップと広島県の高中体連の地盤沈下に伴い、昇格を逃した選手が県外のクラブチーム・学校へ越境入団するケースが顕著になったという[43]

2027年ジュニアユースは拠点を安芸高田市に移して全寮制を採用し、安芸高田市立吉田中学校に通いながら安芸高田市サッカー公園などで練習を行うことになった[44]。これは、ユース(高校生年代)寮が老朽化により建て替えすることとなり、協議の結果安芸高田市から土地を無償提供されそこに中高合同の寮を建てることになったため[44]。安芸高田市側からすれば毎年40人程度(1学年15人ほど)の中学生が吉田中に通うことになる少子化対策として、サンフレ側ならすれば国内でスカウト競争が活発となり低年齢化が進んでいるため環境の充実を勧めることにより強化を図る[44]。なお中学生年代の全寮制採用もJリーグクラブとして初になる[44]

1種アマチュア

マツダSC時代にはセカンドチームとしてマツダSC東洋が存在したが、Jリーグ発足に伴い関係性は切り離され新生マツダSCとしてアマチュアリーグに参加している[26]。サンフレッチェ広島としては、2015年時点で1種アマチュアチームいわゆるセカンドチームは創設する予定はないとしていた[45]。ただ大人向けのサッカースクールは開校している。

女子

スクールには女子も入ることができ、広島ジュニア出身者でなでしこリーグチームに入団したものもいる。サンフレッチェ広島としては2015年時点で女子チームを創設する予定は全くなく地元のアンジュヴィオレ広島とともに広島サッカー界を盛り上げていくとしていた[45]

のちWEリーグ創設にあたり、アンジュヴィオレはプロ化を断念しサンフレッチェ側にWEリーグ参加を要請[46]、2021年サンフレッチェ広島レジーナを設立している。またチーム発足に伴い、2021年から女子アカデミー(レジーナジュニアユース)が発足した。なおアンジュヴィオレは新型コロナウィルスによる経済悪化に加え、WEリーグ(サンフレッチェレジーナ)誕生に伴いなでしこリーグのメディア露出が減り広告宣伝効果が減ったことで企業からの出資が減ったため運営が困難になったとして、2022年度を最後に下部組織含めて解散する[47][48]

2024年、レジーナユースを設立する。

提携

くにびきの拠点である出雲健康公園。出雲ドームの向こう側にグラウンドが広がる。
びんごの拠点である広島県立びんご運動公園
提携スクール

提携スクールは、一般的な町クラブのように地元団体・企業が運営し、サンフレッチェが指導者を派遣するなど技術提携する形をとっている。ほぼゼロから始めたところばかりだが、中には町クラブを前身としサンフレッチェと技術提携したことにより提携スクールとなったところもある[49][50]

以下は現在開校している提携スクールである。

1994年「くにびきFC」として発足[49]、1996年にサンフレと技術提携したことにより現名となった[50]。2009年、運営を株式会社化。
  • サンフレッチェびんご - 広島県尾道市
1997年提携。2013年運営を特定非営利活動法人化。

以下は、以前提携スクールとして活動していたが離脱したスクールである。

提携年度不明、のちに将来のJリーグ加盟へ本格的に動き始めた愛媛FCに編入された[51]
1994年提携、その後提携先をFCバイエルン・ミュンヘンに変えFCバイエルン・ツネイシに、現在は提携が終わり「FCツネイシ」。
高校との連携

サッカースクールのうち観音の中学生スクールは山陽高等学校人工芝グラウンドで行われている。

2024年サンフレッチェ広工大高ジュニアユースが開校した。監督のみサンフレッチェのスタッフ、拠点やコーチ陣は広島工業大学高等学校がサポートする形で運営する[52]

街クラブとの提携

前述のとおり広島県のサッカーは1980年代に停滞し、1990年代以降サンフレッチェを中心に高校生年代の強化に成功したものの、中学生年代は未整備だった。これに対し、市内の小学生年代の町クラブが広島大河FCをモデルケースとして中学生年代のチームを作る動きが加速し、指導体制を強化した[16][42]

この流れにサンフレ側も協力している[4]。例えば、毎週火曜日に高校サッカーや街クラブの指導者とサンフレ育成スタッフ全員が集まる"育成ミーティング"を開催、その中でサンフレ育成ノウハウを公開しお互い情報交換するなど、広島のサッカー発展に貢献している[53]

2022年福山市を拠点とする一般社団法人RSスポーツクラブ(福山ローザス・セレソン)と提携、ローザスレディースを改称してサンフレッチェ福山レジーナジュニアユースが発足した[54]

海外クラブとの提携
概要 映像外部リンク ...
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上記の通りマツダSC時代から海外クラブへの留学をしていた。木村龍朗は2001年にマンUへ留学したと証言しており[12]、少なくとも2000年代初頭まで海外留学は続けられていたことになる。

2021年9月15日1.FCケルンと育成業務提携を締結した[55][56]。提携期間は2021年9月1日から2024年8月31日まで[57]

普及事業その他

2025年から広島駅ビルminamoa屋上のソラモア広場でスクールを開校している。
スクール

女子の「フレッチェレディーススクール」、小学生年代の「スクール」や中学生年代の「ジュニアユーススクール」、GK専門の「GKスクール」や、サッカー未経験の大人を対象とした「おとなスクール」など、幅広く行っている。

なおその中のいくつかはトップス広島との提携の形で運用している。

小学校訪問

トップス広島やP3 HIROSHIMAでの活動の一環として、広島市主催の公共事業「Doスポーツ体育指導者招へい事業」の一環として、また広島県体育協会主催の「ジュニア育成事業」の一環として、トップチームの選手や育成コーチングスタッフ含めた全スタッフが広島市内を中心に県内の小学校訪問を1年間で平均約10校程度行っている。

指導者育成

元々マツダSC時代から指導者育成に力を入れており[27]、広島育成組織での指導経験がある人物でJFA 公認S級コーチを取得し他クラブで活躍しているものもいる。

2013年から他クラブに先駆けて、トップチームの現役選手がCないしD級コーチ資格を取得する手助けとして、クラブ独自で講習を開いている[58]

評価

ノウハウ

これらは比較的小さいクラブ財政基盤での戦力強化モデルであること、またトップチームの2012年2013年のJリーグ連覇の要因の一つとなったことから、その育成ノウハウがお手本として注目されている[24][59][60]。これに対し広島側はそのノウハウを全面的に公開している[53][4]。例えば、京都サンガF.C.は2005年"スカラーアスリートプロジェクト"を立ち上げたがベースとなったのが広島の育成ノウハウであり[61]鹿島アントラーズは寮整備と高校との連携の際には参考にしたという[40]城里町水戸ホーリーホックアツマーレ整備の際に、吉田町とサンフレッチェとの関係性に着目している[62]

ノウハウ公開と平行して、研修などを目的とした短期間の受け入れも行っている。例えば、フィッツジェラルド舞行龍ジェームズは2004年15歳当時広島ユースで短期間受け入れ[注 8]、これが縁で日本の高校に通いプロ入りし日本に帰化している[63]

かつてJリーグが始まったころ、少ない予算の中で自前の選手を育てることに長けたクラブとしてジェフ市原とともに評価されていた[64]。2016年中国網は「日本一大“球星加工厂”」と紹介している[65]

プロ実績

以下、広島トップチームにおける年度シーズン開幕時点でのホームグロウンの人数と、その中での広島アカデミー出身者の人数を示す。Yはユース、JYはジュニアユースの略。

さらに見る 年度, ホームグロウン ...
年度 20262025202420232022202120202019
ホームグロウン 13151615131513
アカデミー
出身
出身数 131412119108
内訳
(重複あり)
Y 13141211896
JY 6665232
びんごJY 0000111
くにびきJY 0000001
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ユースからトップチームへの昇格は、クラブ財政の問題からトップチームですぐ使える選手を昇格させているため、その昇格人数は極めて少なくなっている[7][66][67]。更にトップチームの成績向上に伴いアカデミー出身選手がレギュラーに割って入れない状況もあり[68]、他のJリーグチームへレンタル移籍して経験を積むものもいる[69]。 卒団後の進路サポートも重視しており、ユースにおいてはプロになれなかった選手の就職および大学進学率はJリーグユースの中でもトップクラスを誇る[39][11]。広島アカデミーを退団後他の学校などで活躍し、広島のみならず他のJリーグチームでプロ入りを果たした選手もいる[69]

以下、2025年12月31日時点での各国の1部リーグで100試合以上出場したアカデミー出身者を示す。プロ在歴は全カテゴリでのプロチーム在籍期間。1部リーグの出場・得点はJ1と海外の1部リーグの合計のみであり、J2などの2部リーグ以下やカップ戦、国際試合などは含めない。

引退
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名前生年出身アカデミープロ契約プロ在歴Pos.1部リーグ
U15U18出場得点1部リーグ
最多出場チーム[注 9]
駒野友一1981和歌山-Y昇格2000-2022DF/MF37419磐田
森崎和幸1981広島-Y昇格1999-2018MF43119広島
森崎浩司1981広島-Y昇格2000-2016MF/FW25741広島
宮本卓也1983広島JYY大商大→C大阪2006-2013DF/MF1011山形
田坂祐介1985広島JYY青学大→川崎2007-2020MF15615川崎
髙萩洋次郎1986福島-Y昇格2003-2025MF39030広島
森脇良太1986広島びんごY昇格2005-2024DF/MF30219浦和
柏木陽介1987兵庫-Y昇格2006-2023MF39256浦和
川上典洋1987島根くにびき-大社高→千葉2006-2022DF1019シンガポールの旗アルビレックス
槙野智章1987広島JYY昇格2006-2022DF42346浦和
遊佐克美1988福島-Y昇格2007-2023MF/FW16842インドの旗モフン・バガン
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2012年2月24日日本代表対サッカーアイスランド代表戦にて、駒野・森脇・槙野・柏木が日本代表として出場を果たした。国際Aマッチにおいて同一アカデミー出身者4人出場は日本サッカー史上初のことである[70]東アジアカップ2013では国内組の縛りがあったこともあり、駒野・森脇・髙萩・槙野・森重と5人日本代表に選ばれている[71]。2023年11月16日日本代表対サッカーミャンマー代表戦で前川・大迫とGK2人交代で出場している[72]

現役
さらに見る 名前, 生年 ...
名前生年出身アカデミープロ契約プロ在歴Pos.1部リーグ
U15U18出場得点1部リーグ
最多出場チーム[注 9]
森重真人1987広島JY-皆実高→大分2006-現在DF51236F東京
茶島雄介1991広島JYY学芸大→広島2014-現在MF1056広島
野津田岳人1994広島JYY昇格2012-現在MF24924広島
前川黛也1994広島JY-関大→神戸2017-現在GK1720神戸
川辺駿1995広島JYY昇格2013-現在MF32641広島
宮原和也1996広島JYY昇格2013-現在DF/MF1905名古屋
荒木隼人1996大阪-Y関大→広島2019-現在DF21914広島
加藤陸次樹1997埼玉-Y中大→金沢2020-現在FW16233広島
長沼洋一1997山梨-Y昇格2016-現在DF/MF/FW12316鳥栖
大迫敬介1999鹿児島-Y昇格2018-現在GK2080広島
満田誠1999熊本-Y流経大→広島2022-現在MF/FW12117広島
東俊希2000愛媛-Y昇格2018-現在MF20511広島
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不祥事

  • 2023年7月31日スクール専属コーチが県青少年健全育成条例違反(淫行)で逮捕された[73][74]。その者は同年4月1日から専属契約、午前は中学校非常勤講師、午後からスクールコーチをしていた[74]。クラブ側は同年8月1日付社長署名で、被害にあわれた方とその家族に対して謝罪、ほかスポンサーなどクラブに携わる関係者に謝罪し、再発防止に向け監督・指導を徹底する、とコメントしている[74]

主な戦績

ユース

天皇杯

2000年、ユースが天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会で初優勝し、天皇杯に初出場。その後、2度出場したがすべて1回戦敗退している。

天皇杯
さらに見る 開催年月日, 大会名 ...
開催年月日大会名対戦相手開催スタジアムスコア勝敗
2000年11月25日第80回天皇杯1回戦上田ジェンシャン福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場0-1敗北
2002年12月1日第82回天皇杯1回戦大分トリニータU-18大分市営陸上競技場1-1(PK4-5)敗北
2003年11月30日第83回天皇杯1回戦水戸ホーリーホック福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場0-1(延長)敗北
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ジュニアユース

リーグ(高円宮杯U-15プログレスリーグ
詳細は当該リンク先参照
カップ戦

ジュニア

国際試合

マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ

2003年と2014年にジュニアユースがJFAプレミアカップ(旧ナイキプレミアカップ)優勝したことに伴いマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップに出場している。

プレミアカップ
さらに見る 開催年月日, 大会名 ...
開催年月日大会名対戦相手開催地スコア勝敗記録
2003年7月17日グループDアルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズポートランド2-3敗北
スペインの旗 アトレティコ・マドリード0-1敗北
2003年7月19日南アフリカ共和国の旗 ロイヤル・コスタル0-1敗北
フランスの旗 パリ・サンジェルマン1-0勝利
2003年7月21日4位グループ戦チリの旗 ピチデグア2-2(PK6-7)敗北
15位・16位決定戦コロンビアの旗 インデペンディエンテ・メデジン2-0勝利
2014年8月6日グループCメキシコの旗 UANLティグレスマンチェスター0-3敗北
オランダの旗 フェイエノールト0-2敗北
2014年8月7日イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFC4-0勝利
南アフリカ共和国の旗 マメロディ・サンダウンズ2-0勝利
2014年8月8日順位決定戦ブラジルの旗 SCインテルナシオナル1-5敗北
11位・12位決定戦大韓民国の旗 中東中学校1-0勝利
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SBCカップ

ユースは高円宮杯決勝進出の副賞として、2005年と2008年の2度にわたりドイツで開かれたSBCカップに出場している。

SBC
さらに見る 開催年月日, 大会名 ...
開催年月日大会名対戦相手開催地スコア勝敗
2005年2月26日グループリーグギリシャの旗 オリンピアコスU-19ラオプハイムドイツ語版1-1引分
2005年2月26日ドイツの旗 SSVウルム1846U-191-3敗北
2005年2月27日ドイツの旗 ハンブルガーSVU-191-2敗北
2005年2月27日5位6位決定戦ドイツの旗 FVオリンピア・ラオプハイムドイツ語版U-191-0勝利
2008年2月22日グループリーグドイツの旗 FVオリンピア ラオプハイムU-19ラオプハイム2-0勝利
2008年2月22日ドイツの旗 TSV1860ミュンヘンU-190-1敗北
2008年2月23日オランダの旗 FCトゥウェンテU-190-1敗北
2008年2月23日5位6位決定戦ドイツの旗 ヘルタ・ベルリンU-193-0勝利
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クラウディオサッシ国際ユーストーナメント

高円宮杯決勝進出の副賞として、イタリアで開かれたクラウディオサッシ国際ユーストーナメントU-18大会に出場した。2年連続でフェアプレー賞を受賞した。

なお、2012年はACチェゼーナのトップチームとも対戦、シモーネ・デル・ネロらに得点を奪われ0-6で敗戦している[75]

クラウディオサッシ
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開催年月日大会名対戦相手開催地スコア勝敗
2011年4月22日グループリーグイタリアの旗 ユヴェントスFCU-18サッスオーロ1-2敗北
2011年4月23日イタリアの旗 モデナFCU-182-1勝利
2011年4月24日イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッドFCU-181-3敗北
2012年4月6日グループリーグロシアの旗 PFC CSKAモスクワU-18サッスオーロ2-3敗北
2012年4月7日イタリアの旗 ACチェゼーナU-183-3引分
2012年4月8日イタリアの旗 USサッスオーロ・カルチョU-184-0勝利
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Balcom BMW CUP 平和祈念広島国際ユースサッカー

2006年から広島県で行われている国際大会に出場している。

特記

中国社会人リーグ

創立当初から中国地方のユース年代では抜けた存在であったため、近隣になかなかいい対戦相手がいなかった。そのため1998年、中国サッカーリーグの前期日程(第1節-第8節)にオープン参加している。しかし、社会人リーグのリーグ編成および日程の関係から、この年のみで終了した。戦績は7勝1敗。

ユース二冠
2004年8月8日第28回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝対ジュビロ磐田ユース戦(Jヴィレッジスタ)のスターティングメンバー[76]。数字は背番号、(C)はキャプテン。

森山佳郎が監督として率いた2003年・2004年の広島ユースは、2年連続でユース三冠(クラブユース選手権高円宮杯Jユースカップ)のうち二冠を達成し、"広島ユース黄金時代"と呼ばれた[35][77][13]。これは2001年からクラブ全体が攻撃的なサッカーへの転換を模索しだしたこと[78][79]、それに伴いチームとして質を上げるため2001年のみスカウト活動を積極的に行ったことにより入団した選手が高校2年・3年になる2003年・2004年に結果として現れたためである[80]

前田俊介髙柳一誠森脇良太柏木陽介槙野智章平繁龍一ら、タレントがズラリ揃った2004年には、3大会とも決勝に進出した[77]。レギュラー11人が全員プロ入りしたこのチームは強さと巧さを兼ね備え、なおかつ勝負強く、史上最強ではといわれるチームであった[77]。ただ、最上級生に田坂祐介西山貴永田村祐基ら、そしてクラブ史上初のプロの高校生Jリーガーとなる髙萩洋次郎が在籍した2003年のチームのほうが記録的には上で、公式戦で2敗のみ(高円宮杯準決勝静岡学園戦と2003年天皇杯1回戦対J2水戸ホーリーホック戦)しかしていない。

高円宮杯3連覇

高円宮杯はクラブユースと高体連つまり2種登録チームすべてが参加する唯一の大会であり、現在は高校年代サッカーの最高峰と位置づけられている。この大会において2010年代初頭に、第21回高円宮杯2011年高円宮杯プレミア2012年高円宮杯プレミアと3連覇を達成している[35][13]。3大会の決勝すべてに出場したのは野津田岳人ら2人、2大会の決勝出場が脇本晃成川辺駿宮原和也らがいる。なお2012年はトップチームがJ1リーグ制覇を達成しており、リーグ戦として“兄弟制覇”ということになる[81]

大会レギュレーション変更を挟むため参考記録ではあるが、2025年時点で3連覇は清水市商高と広島ユースのみである。

出身者

主な選手

所属経験のうち、Yはユース、JYはジュニアユース、Jrはジュニア、Sはスクールの略。提携スクールのうち、くにびきは「く」、びんごは「び」、みろくの里は「み」、常石は「常」と略記。五十音順表記。サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧もあわせて参照。

1970年代生まれ

1970年代生まれ

1980年代生まれ

1980年代生まれ

1990年代生まれ

2000年代生まれ

スタッフ

  • ユース監督
    • 小林伸二(1993年 - 1996年)
    • 木村考洋(1997年 - 2000年)
    • 中村重和(2001年 - 2002年8月)
    • 森山佳郎(2002年8月 - 2012年)
    • 望月一頼(2013年 - 2014年)
    • 沢田謙太郎(2015年 - 2019年)
    • 高田哲也(2020年 - 2022年)
    • 野田知(2023年 - 2025年)
    • 沢田謙太郎(2026年 - 現在)
  • ジュニアユース監督
    • ?
    • 中村重和(1997年 - 2000年)
    • 月岡利明(2001年)
    • 上野展裕(2002年 - 2003年)
    • 塩崎浩作(2004年)
    • 島卓視(2005年 - 2008年)
    • 沢田謙太郎(2009年 - 2014年)
    • 迫井深也(2015年 - 2017年)
    • 高田哲也(2018年 - 2019年)
    • 岩成智和(2020年 - 2021年)
    • 遠藤真仁(2022年 - 2023年)
    • 岡本知剛(2024年 - 現在)
その他

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

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