ミャンマーの農業
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本項は、ミャンマーの農業(ミャンマーののうぎょう)についての説明である。
2024年におけるミャンマーの農業(林業、漁業、畜産業含む)が産業別国内総生産(実質GDP)に占める割合は20.83%であり、輸出に占める割合は約40%とされる[1][2]。
ミャンマーの国土のうち、農地は約19.9%を占めているが、すべて国有とされており、農民には耕作権が付与されるのみである。しかし、2012年に制定された農地法により、その処分が認められるようになった。主な農産物は、コメ、サトウキビ、油糧作物、豆類などである。
ミャンマーの農村人口は約3,000万人で、そのうち3分の2が農業に従事しているとされている。これは、国民の40%が農業に従事していることを意味するもので、同国において農業は重要な地位を占めている。
歴史
植民地時代 - 議会制民主主義時代
三度の英緬戦争を経て、1885年、ミャンマーはイギリスの植民地となり、英領インドビルマ州とされた[3]。
イギリスは、ビルマ州を英領インドへの食料と燃料の供給地とみなし、エーヤワディデルタ地帯を稲作地帯として開発。これにより、ミャンマーは、1920年代のピーク時には年間300万トン以上のコメを輸出する世界最大のコメ輸出国となり、1960年代初頭までタイと並んで世界1位の座にあった[4]。
しかし、この際、大量のインド人が労働力としてエーヤワディデルタ地帯に流入し、やがて彼らは商人、金貸しとして大きな経済力を持つようになった。ミャンマー人農民の土地は借金の方に取られ、多くの自作農が小作農または農業労働者に転落した。1931年の時点でわずか2%の不在地主(都市部に住むインド人などの外国人商人、金貸し)が、ミャンマーの約半分の農地を支配していたとされる[4][5]。
1948年の独立後、議会制民主主義時代(1948年-1962年)には、こうした歪んだ土地所有構造を打破するため「土地国有化法」などの農地改革が相次いで試みられた。しかし、内戦による治安の悪化や、地主・農民の反発、実施能力の欠如などの理由により、改革は不徹底なままに終わった[6]。
社会主義時代
1962年ビルマクーデターにより、全権を掌握したネ・ウィン率いるビルマ連邦革命評議会は、ビルマ式社会主義のもと、経済の国有化を進めたが、農業分野では、(1)農地国有制度(2)計画栽培制度(3)供出制度という、現在でも影響を与えている改革が実行された[7]。
これは、インド系住民が所有していた農地を国家が強制的に接収し、農民には所有権ではなく「耕作権」を付与する政策であった。農民には国家が指定する作物の栽培を義務づけられ、収穫物は低く設定された公定価格で政府に買い上げられた。政府はコメ輸出を独占し、供出米から配給前を確保したうえで、余剰米を輸出して外貨を獲得。その外貨で、工業化のための原材料、中間財、資本財を輸入することで資本蓄積を図ることを意図していた[7]。
しかし、「耕作権」の配分が不平等であったたため、農民間の格差は温存され、作りたい作物を作れず、収穫物を政府に安く買い叩かれる農民の生産意欲は著しく低下した。その結果、農業生産は停滞して産業別国内総生産(実質GDP)に占める農業の割合は30%弱で推移。供出義務を回避するための隠匿や闇取引も横行し、1960年代初頭に約150万トンあったコメ輸出量は急速に減少していった[8][9]。1970年代後半には近隣諸国から10年以上遅れて、日本の援助により「緑の革命」(高収穫品種の導入)が実施されたが、1980年代半ばにはその効果は頭打ちになったとされる[10]。
1987年、政府は供出制度を廃止し、農民によるコメの自由取引を認めた。しかし、この政策によってコメ価格は高騰、国民生活は大打撃を受け、翌1988年の8888民主化運動により、ネ・ウィン体制は倒れた[11]。
SLORC/SPDC時代
1988年9月にクーデターを起こして全権を掌握した国家法秩序回復評議会(SLORC、のちに国家平和発展評議会〈SPDC〉)は、経済の自由化と外資の導入を推進。農業分野では、米価高騰による暴動を恐れてコメを「政治財」として厳格に管理する方針を打ち出した。即ち、国家によるコメ輸出独占と供出制度復活による低価格のコメの安定供給体制を維持する一方[注釈 1][12]、二期作の強制的導入や、稲作には不適切とされる中央乾燥地帯(アニャー)や山間部への稲作の強制的導入、耕地面積の拡大、コメを含む農産物取引の一部自由化などの改革を実施した[13][14]。
その結果、産業別国内総生産に占める農業の割合は、実質GDPで30%強、名目GDPでは50%弱にまで急上昇した[13][14]。また、マメ類の生産が飛躍的に拡大し一大輸出作物に成長したほか、エビ、タマネギ、トウガラシ、ニンニクなどが新たな輸出商品となり、農産物輸出の多様化が進んだ[4]。
しかし、この実質GDPと名目GDPの乖離は、農産物価格の自由化によって農業部門の交易条件が劇的に改善したことによるものであり[注釈 2]、必ずしも生産性向上や農業の合理化を意味するものではなく、灌漑施設の未整備、農業金融の不足、改良種子や肥料の供給体制の脆弱さといった課題は依然として残存していた。さらに、土地使用権の不安定さやミャンマー軍(国軍)および関連企業による土地収用問題も重なり、農民の生活条件が大きく改善したとは言い難かった[13]。
しかし、2003年に供出制度が廃止されるとともに、コメの民間輸出が解禁され(すぐに中止されたが、2007年に民間企業に対するコメの輸出割当制が導入された)、2008年に米穀専門会社(Rice Specializing Companies:RSC)が設立され、コメの包括的なサプライチェーンの構築が目指されるなど、軍政末期には改革の萌芽が芽生え始めていた[15]。
民政移管時代
2011年に成立したテインセイン政権は、国是とされていた(1)農地国有制度(2)計画栽培制度(3)供出制度の3つの制度をすみやかに転換した。即ち、2011年から2012年にかけて、新たに制定された農地法により耕作権の処分が認められ、コメの強制栽培が緩和され、コメの輸出とコメ以外の農産物の輸出入が完全に自由化された[16]。
また、農村発展と貧困削減が国家の重要課題に掲げられ、ミャンマー農業開発銀行(MADB)やマイクロファイナンスを通じた農家への低利融資、農業機械化の推進、農業インフラの整備が推進され、2016年に成立した国民民主連盟(NLD)政権も基本的にこの方針を引き継ぎ、[16]。
ただ、この過程で、国軍および関連企業による過去の土地収用問題、投機対象となった土地の価格高騰が問題となり、抗議活動が頻発。さらに、農村の労働力不足、農業インフラ未整備による農業機械化の遅滞、近隣諸国と比較して低い生産性などの課題も浮き彫りになった[16]。
SAC/SSPC時代
2021年以降の内戦の激化により、民政時代に推進されていた諸改革は事実上停止した[17]。国家行政評議会(SAC)は、地域別の適地作物の推進や農業・畜産業の「強化」を打ち出し、「農業大国(Agricultural Powerhouse)」への転換を目指す方針を表明しているが、その道程は険しいとも指摘されている[18]。
クーデター後の為替レートの急落と外貨不足により、肥料、農薬、燃料など農業投入財の価格が急騰。これに加え、銀行機能の混乱によって農業金融の供給が縮小し、多くの農家が十分な生産資金を確保できない状況に直面した。その結果、生産コストは大幅に上昇し、農家の実質所得は低下したと指摘されている[17]。
また、ザガイン地方域、マグウェ地方域、カチン州、チン州、カヤー州など各地で戦闘が拡大し、農村部における耕作放棄や住民避難が発生した[19]。これにより一部地域では作付面積や収穫量が減少したとされる。治安悪化は農産物流通にも影響を及ぼし、輸送コストの上昇や市場へのアクセス制限が生じた[17]。
一方で、豆類やゴマなど一部の輸出作物は依然として一定の国際市場を維持しているが、為替規制や貿易管理の強化が取引の不確実性を高めている。コメについても輸出は継続しているものの、生産性の向上や品質改善に向けた長期的投資は停滞傾向にある[17]。
農地・農業形態・主要農産物
| ミャンマー語 | 内容 | |
|---|---|---|
| 水田(レー) | လယ် | 水稲中心の低地水田。 |
| 畑(ヤー) | ယာ | 豆類、棉花、メイズ(トウモロコシ)、雑穀、野菜。 |
| カイン | ကိုင်း | 雨季は川底にあり、乾季になると出てくる農地。
水稲、豆類、野菜など。 |
| 果樹園(ウーイン) | ဥယျာဉ် | 永年作物・果樹栽培。マンゴ、バナナ、柑橘類など。 |
| ニッパヤシ園(ダニ) | ဓနိ | ニッパヤシ栽培地 |
| 焼畑(タウンヤー) | တောင်ယာ | 雑穀、豆類。 |
農地の種類
ミャンマーの陸地面積は約68万平方キロメートルで、そのうち農地は約12万5,000平方キロメートル、国土の約18.5%を占めているとされる[注釈 3][20]。農地はその形態・利用方法によって、右表のように6種類に分類されている[21]。
1953年に制定された農地国有法では、農地はすべて国有とされ、農民には「耕作権」が付与されるのみ、原則、農地の処分は禁止されていた。しかし、2012年に制定された農地法(Farmland Law)により、耕作権の売却、質入、貸与、交換、寄付、相続が認められるようになった[16]。
また、「空閑地・遊休地・未開拓地管理法」(The Vacant, Fallow and Virgin Lands Management Law)により、未使用の土地の農業・畜産開発が推進されたが、実際、未使用土地は住民が焼畑耕作や共有林として慣習的に利用していたため、土地利用をめぐって住民と政府、あるいは企業との間で紛争が発生していると報じられている[22][16]。
農業形態と主要農産物
| 順位 | 農産物名 | 生産量(トン) |
|---|---|---|
| 1 | 穀物(主にコメ) | 28,285,634 |
| 2 | 砂糖作物(主にサトウキビ) | 11,690,980 |
| 3 | 野菜 | 4,889,311 |
| 4 | 油糧作物 | 4,006,111 |
| 5 | 豆類 | 3,545,220 |
| 6 | 果物 | 2,776,649 |
| 7 | 根菜類 | 700,693 |
| 8 | 繊維作物 | 365,185 |
ミャンマーは熱帯モンスーン気候であり、雨期(5月中旬~10月中旬)にはベンガル湾から吹く湿った南西モンスーンが、降雨をもたらし、乾期(11~2月頃)には大陸からの乾燥した北東モンスーンのため降雨量は非常に少なくなる。このような気候条件や多様な地形、風土を背景に、ミャンマーの農業形態は、(1)デルタ型農業、(2)ドライゾーン型農業、(3)山間部型農業の3つに分類されるとされる[21]。
デルタ型農業はエーヤワディデルタ地帯で見られる農業形態で、雨期の大量降雨を利用した天水水稲単作農業を基本とし、1990年代以降は灌漑による乾期作やマメ類の生産も増加している[21]。
ドライゾーン型農業はアニャーと呼ばれる中央乾燥地帯で見られる農業形態で、天水畑作型農業と灌漑水田型農業の2つに分類される。前者では、リョクトウ、ヒヨコマメ、キマメ、落花生などの豆類、ゴマ、ニンニク、ネギ、棉花、タバコ、ソルガムなどが栽培されている[21]。
山間部型農業は少数民族が多数を占めるチン州、ザガイン地方域管区北部、カチン州、シャン州などの国境地帯で見られる農業形態で、盆地・支谷型農業と斜面型農業の2つに分類される。前者では水稲のほか、ジャガイモ、大豆、小麦およびさまざまな葉菜類が栽培され、後者では陸稲、メイズ、ソルガム、ヒエ、ニガー(学術名「Guizotia abyssinica」)、バナナ、ゴマなどが栽培される[21]。
農村社会
「農家」概念の不在
ミャンマーには「農家」という概念に該当する用語が存在しない。日本の場合、一定以上の経営面積や農産物販売額がある世帯(イエ)を「農家」と定義し、その構成員を「農民」と呼ぶ。しかし、ミャンマーでは、農業に従事する者を「農民」と定義し、農民が生計を支える世帯を「農業世帯」と定義する。つまり、日本では「イエ」単位で農業を捉えるのに対し、ミャンマーでは個人単位で農業を捉えているとされる[24]。
こうした個人主義的な社会構造を背景に、ミャンマーの農村共同体は地縁的な拘束力が弱く、村人は水利組合や消防団などの組織に対しても、実利がある場合にのみ関与する傾向がある。また、村落間の移動に対する社会的障壁も低く、農民が村から村へ移住したり、海外へ出稼ぎに行ったりするケースも少なくなく、流動性の高いとされている[25]。
農業人口
2009年の農村世帯調査によれば、ミャンマーの農村人口は約3,000万人、世帯数は約636万人に達している。就業構造の変化に目を向けると、1983年と2014年の人口センサスの比較から、全就業者に占める農業従事者の割合は64.6%から52.4%へと大きく低下したことがわかる[26]。
高橋昭雄はこの背景について、農村から都市部への人口流出(離村)のみならず、農村内部において農業以外の職種(教師、公務員、商店主、左官などの建設業)に従事する層が増加した「脱農化」が進行した結果であると分析している。これは、農業が唯一の生存基盤であった伝統的な農村社会から、就業形態が多様化し、より安定した現金収入を求める経済構造へと変容を遂げている実態を示唆している[26]。
農村の構造
また、農村の636万世帯中、農地を所有する世帯[注釈 4]は約321万、農地を所有せず、農地を所有する者に雇用されて農業に従事する世帯が約116万、農地を所有せず農業にも従事しない世帯が約199万となっている。実に農村においては半分の世帯が農地を所有せず、3分の1の世帯が農業に従事していない計算となる。農地所有者とそれ以外の者の所得格差も大きい[27]。
農地を所有していない世帯はエーヤワディ地方域、バゴー地方域、ヤンゴン地方域、モン州、カレン州などの米作地帯に多く、カヤー州、チン州、シャン州のような山間部には少ない。後者は他の産業に比べて農業に従事する世帯の比率も高く、農業しか就業機会がなく、農地を所有せずに生計を立てるのが困難という事情が窺える[27]。
また、平均世帯員数は4.72人[注釈 5]となっており、「農村部は大家族」という固定観念はミャンマーの農村には当てはまらないとされる[27]。
畜産業
| 順位 | 農産物名 | 生産量(トン) |
|---|---|---|
| 1 | 牛乳 | 912,365 |
| 2 | 鶏肉 | 682,533 |
| 3 | 豚肉 | 330,000 |
| 4 | 牛肉 | 138,618 |
| 5 | 卵 | 132,186 |
| 6 | 羊肉・山羊肉 | 1,2000 |
ミャンマーの畜産業は比較的規模が小さく、農業GDPの約10%を占めるにすぎないとされる[29]。
仏教徒が多数派であるミャンマーでは、牛は農耕用家畜として重要視されてきた歴史的背景もあり、牛肉の消費は比較的少ない傾向にある。食肉消費の構成は、鶏肉、豚肉、牛肉の順である[30]。
とはいえ、牛の飼育数は約1,200万頭(FAO〈2018年〉)とASEAN諸国の中でも比較的多く、農耕用家畜のほか、乳牛としても飼育されている。ミャンマー人には牛乳を飲む習慣はないが、コーヒーや紅茶に用いるコンデンスミルとして消費されている。乳牛の飼育の大半はマンダレー地方域で行われている[29][31][32]。
また、中国向けに牛の生体輸出も行われている[29]。
林業
ミャンマーは国土の大きな部分を森林が占める国であり、チークをはじめとする高級広葉樹や多様な森林生態系を有している。森林は木材生産だけでなく、農民の生活資源、生物多様性の保全、水資源の涵養などにおいて重要な役割を果たしている[33]。
一方、1990年代以降、違法伐採、農地転換、インフラ開発、燃料利用の拡大、紛争に伴う政府の統治能力の低下などを背景として、森林破壊と森林劣化が長期的に進行してきた。特に国境地域や紛争地域では、武装組織、国家機関、民間業者が複雑に関与する形で違法な木材取引が拡大したと指摘されている[34]。
水産業
ミャンマーの水産業は、漁業(海面、内水面)と養殖に三分される[35][36]。
同国における水産物の国民 1 人当たり原魚換算供給量(2014~2017年)は年平均46kgと、日本と同等、他のASEAN諸国より水準が高い。また、漁業・養殖を合わせた生産量のうち輸出される割合は13%で、これは他のASEAN諸国より水準が低く、同国の水産業は国内市場向けとされる[35]。
海面漁業では、タニンダーリ地方域における底引網漁に代表される沖合漁業が多く、同国の排他的経済水域内においても外国船による操業がみられるとされる。輸出の多くはこの沖合漁業によって漁獲されるイリッシュやタチウオなどで、中国やタイに輸出されている[35]。
内水面漁業のでは、その漁獲量は約87万トンで世界第4位の規模とされる。エーヤワディ川などの河川流域やインレー湖などで行われており、主に国内市場向けである[35]。
養殖の90%以上はエーヤワディ・デルタ地帯における淡水養殖で、ロフーが約70%を占め、国内市場向けに出荷されている。ラカイン州では、ブラックタイガーなどのエビの養殖が行われており、ヤンゴン向けに空輸されている[35]。