マテイ・ヨニッチ

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愛称 ヨニ
ラテン文字 Matej Jonjić
生年月日 (1991-01-29) 1991年1月29日(35歳)
マテイ・ヨニッチ
名前
愛称 ヨニ
ラテン文字 Matej Jonjić
基本情報
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1991-01-29) 1991年1月29日(35歳)
出身地 スプリト
身長 187cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 栃木シティFC
ポジション DF
背番号 42
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2015 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト 20 (1)
2009-2010 クロアチアの旗 NKザダルloan 13 (0)
2011-2012 クロアチアの旗 NKザダル(loan) 26 (0)
2014 クロアチアの旗 NKオシエク(loan) 31 (7)
2015-2016 大韓民国の旗 仁川ユナイテッドFC 71 (0)
2017-2020 日本の旗 セレッソ大阪 135 (11)
2021 中華人民共和国の旗 上海申花 18 (1)
2022-2023 日本の旗 セレッソ大阪 48 (1)
2024 大韓民国の旗 仁川ユナイテッドFC 29 (1)
2025- 日本の旗 栃木シティFC 33 (6)
代表歴
2007  クロアチア U-16 8 (0)
2007-2008  クロアチア U-17 16 (0)
2009  クロアチア U-18 8 (0)
2008-2010  クロアチア U-19 18 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2026年2月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マテイ・ヨニッチ(Matej Jonjić、1991年1月29日 - )は、クロアチアスプリト出身のプロサッカー選手Jリーグ栃木シティFC所属。ポジションはディフェンダー(DF)

Kリーグ時代の登録名はヨニッチハングル: 요니치)[1]Jリーグ時代の登録名はマテイ・ヨニッチ[2]

クラブ

インスタグラムなどのSNSは開設していない。

小学1年で地元クラブ、ハイドゥク・スプリトの下部組織のセレクションに合格、16、17歳頃にはアカデミーの中で、自分が最も才能があると感じプロ選手になれると思っていた[3]。2009年7月にレンタル先のNKザダルでプロデビュー。

2010年1月に復帰し2試合に出場した[4]。翌シーズンは7試合に出場した後、6月に再びNKザダルにレンタル移籍した[5]

2015年、仁川ユナイテッドFCに移籍。2シーズンに渡って主力を担い、2年連続でKリーグベストイレブンに選出された。

2016年12月9日、セレッソ大阪への移籍が発表された[6]。3月4日の浦和レッズ戦でJリーグ初ゴールを決め[7]、5月14日、第11節のサンフレッチェ広島戦ではコーナーキックから2得点を決めるなど[8]、得点能力も示した。2017年はルヴァンカップでは守備の要として川崎を抑え[9]、ルヴァンカップ、天皇杯の二冠獲得、リーグ戦では34試合6ゴールと、ACL出場権獲得の3位確保に貢献した[10][11]

2019年シーズンはリーグ戦全試合フルタイム出場、序盤こそロティーナ新監督のビルドアップ戦術に苦慮する様子も見られたが、シーズンが進むにつれてフィット[12]。ディフェンスの要としてリーグトップの219クリアを記録、他にもタックル、ブロックの合計スタッツでリーグナンバー1となるなど、2019年のJリーグ最少失点とクラブ史上最少失点に大きく寄与した[13]

2020年、タックル、クリア、ブロック、インターセプトの合計で最多の294回。2年連続でJ1リーグ最多だった[14]。ベストイレブン受賞はならなかったがJ1・18クラブの監督および選手による投票結果をもとに選ばれる優秀選手賞に2年連続で選出された[15]

2021年1月21日中国スーパーリーグ上海申花への完全移籍が発表された[16]

2022年2月17日、セレッソ大阪へ2年ぶりに復帰することが発表された[17]

2023年、「セレッソがJ1でリーグ優勝するために、何が必要か」という記者の質問に対して「それは、僕が出せる答えではないですね。監督・社長・チーム統括部長が考える事だと思う。クラブの理念・方針・戦略を決めるのはそういう人達の役割ですし、そのアイデアの元、僕たち選手は全力を尽くすしかないと思っている。」と答えた。[要出典]開幕前には「できるだけ長くセレッソにいたい」と話していたが、入団以降初の怪我で離脱。その期間に他の選手が台頭、出場機会は少なくなっていた。11月30日に今シーズン限りでの契約満了が発表された[18]

2024年1月24日、仁川ユナイテッドFCに8年ぶりに復帰することが決まった[19]。仁川ではすぐにレギュラーポジションを掴みKリーグ1で29試合に、韓国FAカップで1試合に出場したものの、チームは最下位でKリーグ2降格が決まってしまった。2025年シーズンからセレッソ大阪時代に指導を受けていた尹晶煥が監督に就任することが決まったものの、ヨニッチ自身は2024年12月31日に契約満了に伴い退団が決定した[20][21]

2025年1月23日、J3リーグに昇格した栃木シティFCに完全移籍で加入することが発表された[22]

代表

U-16からU-19の世代別クロアチア代表に選ばれていた[23]。2010年にはシメ・ヴルサリコアンドレイ・クラマリッチらと共にUEFA U-19欧州選手権2010に参加した。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
クロアチア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2009-10ハイドゥク・スプリト1.HNL2000-20
ザダル130-
2010-11ハイドゥク・スプリト40-
2011-12ザダル260-
2012-13ハイドゥク・スプリト11120-131
2013-143021-51
オシエク2113320-153
2014-152018421-205
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2015仁川20Kクラシック370-40410
2016340-20360
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2017C大阪22J13465130427
20183322020372
20193412021382
202034240-382
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2021上海申花超級181-50231
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2022C大阪22J12617121353
20232202020260
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2024仁川82Kリーグ1291-10301
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2025栃木C42J333600-336
2026J2・J3--
通算クロアチア1.HNL 908-
韓国Kリーグ1 1001-701071
日本J1 1831222211221616
日本J2・J3 --
日本J3 3360000336
中国超級 181-50231
総通算 4242822223246932
その他の試合
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
UEFAUEFA EL
2011-12ハイドゥク・スプリト20
2012-1320
2013-1400
AFCACL
2018C大阪2240
通算UEFA 40
通算AFC 40
出場歴

タイトル

クラブ

セレッソ大阪
栃木シティFC

個人

脚注

関連項目

外部リンク

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