光村甚助
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鹿児島県肝属郡牛根村、後の垂水市牛根境に生まれる[2]。貧農の塩屋家の8人兄弟の五男[3]。小学校卒業後、母校の小間使いとして働く[3]。1919年(大正8年)鉄道員の求人に応募し、福岡県の折尾駅に勤務[3]。1年半後に鉄道員を辞め、大阪の紡績会社で給仕として働きながら夜学に通う[3]。その後、上京して新聞配達をしながら神田の予備校に通ったが、関東大震災被災のため大阪へ戻って、ガラス会社の職工となり、1925年(大正14年)関西大学専門部別科入学[3]。さらに京阪商業学校(後の大阪府立守口高等学校、現大阪府立芦間高等学校)を経て[3]、1931年(昭和6年)関西大学専門部法科を卒業した[1][4]。
1935年(昭和10年)[3]逓信省に入省し大阪逓信局に配属された[4]。大阪逓信局での縁で、光村家の養子となる[3]。郵政事務官、全日本産業別労働組合会議副議長、全逓信労働組合(のちの日本郵政公社労働組合)大阪地区本部委員長、同近畿地方本部委員長、全逓信労働組合副委員長などを務めた[4]。
1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で出馬して初当選し[1][5]、1962年(昭和37年)7月の第6回通常選挙でも再選され[6]、参議院議員に連続2期在任した[1][4]。この間、参議院逓信委員長、同石炭対策特別委員長、国土開発審議会委員、全逓信労働組合顧問などを務めた[1][4]。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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