勝俣稔
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長野県小県郡上田町馬場町[6](現上田市[1])で勝俣英吉郎の長男として生まれた[6][7]。上田中学校[6][7](現長野県上田高等学校)、第八高等学校[6]を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学医学部を卒業[1][2][3][7]。
北里研究所に入所[1][6]。慶應義塾大学医学部に転じ細菌学教室助手に就任[1][2][3][6]。
1923年(大正12年)内務省衛生局に移り防疫官に就任[1][2][3][6][7]。関東大震災では医療救護に尽力[6]。1936年(昭和11年)内務省技師兼衛生局防疫課長に就任[6][7]。衛生省の設立に尽力して[6]、1938年(昭和13年)厚生省が設立し予防局予防課長に就任[6]。1939年(昭和14年)予防局結核課長[6]、1942年(昭和17年)予防局長[2][3][6][8]を歴任。その後、衛生局長[9]、厚生技監を務める[2][3]。1946年(昭和21年)11月に退官した[1]。この間、結核の予防対策としてBCG接種、X線間接撮影の導入に尽力した[6]。
1947年(昭和22年)結核予防会長[1]、結核研究所副会長兼理事長[注釈 2]に就任。1950年(昭和25年)日本医師会常任理事に選出されるが、就任辞退[10]。1951年(昭和26年)日本公衆衛生協会に理事長として参加[2][注釈 3]。1960年(昭和35年)日本公衆衛生協会長に就任[7]。1961年(昭和36年)結核予防審議会委員に就任[11]。
政界では1952年(昭和27年)第25回衆議院議員総選挙で当選し衆議院議員に1期在任[1][2][7]。1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙に全国区で当選し1期在任[1][3]。1960年7月22日、第1次池田内閣で外務政務次官に就任した[2][3]。その他、自由民主党総務、参議院自民党政策審議会社会部長なども務めた[2][3]。
1961年(昭和36年)、セネガルの独立記念式典に派遣される特使に決定。同年4月3日、4月4日に同国で行われた式典に参加した[12]。 1965年(昭和40年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲三等からの昇叙)[13][14]。
国政選挙歴
- 第24回衆議院議員総選挙(長野県第2区、1949年1月、民主党)次点落選[16]
- 第25回衆議院議員総選挙(長野県第2区、1952年10月、自由党)当選[16]
- 第26回衆議院議員総選挙(長野県第2区、1953年4月、吉田自由党)次点落選[17]
- 第27回衆議院議員総選挙(長野県第2区、1955年2月、自由党)次点落選[17]
- 第4回参議院議員通常選挙(全国区、1956年7月、自由民主党)当選[18]