史禄
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秦の中国統一後、始皇帝は南方の嶺南地域を征服するため、百越の征伐を発令し、屠睢に大軍を与えて侵攻させた。しかし、軍が湖南と広西の境界に到達すると、陸路が険しく、水路も湘江と漓江が繋がっていないため、兵や物資の輸送に深刻な支障が生じた。このため、始皇帝は史禄に軍事用運河の開鑿を命じた[1]。
運河の建設は紀元前219年から紀元前214年にかけて行われた。運河は当初は「秦鑿渠」と称され、現在では霊渠(興安運河とも)として知られる。史禄は中国史上初めて長江水系と珠江水系を繋ぐ水路を実現し、初期閘門式運河である霊渠は遠征軍への補給路として機能した[1]。霊渠の完成後、史禄は掲嶺の県長として現地に留まったと見られ、その後については史書に記載がなく不明である。
脚注
- 1 2 “水文化 | 始于秦代的水利奇迹:灵渠” (中国語). 2025年11月10日閲覧。