2002年3月から6月にかけて、山東省文物考古研究所は考古発掘隊を編成し、日照市西郊外の西十里堡村海曲漢墓を発掘し、106号墓において竹簡39枚と木牘4枚を出土した。
竹簡の字跡はかなりはっきりしていて、その中の1枚に「天漢二年」(紀元前99年)と「城陽十一年」(漢の城陽国の郡国年号)の年号が記されていた。31号簡に見える双月大小の記載とその他の竹簡の干支によって、その年の干支表を作成した結果、前漢の武帝後元2年(紀元前87年)の朔日と基本的に同じことが証明された。37号簡には竹青部分にも文字の痕跡が確認できる。おそらく編題と考えられるが、この字跡がはっきりせず読み取れない。ただ内容からみて銀雀山漢簡の「七年視日」に近いことがわかったため、これら竹簡に書かれた暦譜の一類を「漢武帝後元二年視日」と命名した。
このほか長方形の板4枚が出土したが、文字の痕跡はうかがえない。とはいうものの、これらの形状や大きさからみて、木牘とみられている。また長方形の漆硯盒がひとつ出土している。長さは23.4cm、幅7.1cm、厚さ2.0cm。長方形の部分に石硯を、円形の部分に「研子」と呼ばれる磨り石をはめ込んである。
なお墓葬内から発見された印章中に「公孫昌印」が含まれており、墓主の名は公孫昌と考えられる。