2007年11月7日、関沮鎮の謝家橋西北崗の土砂を採取中、たまたま巡回していた考古隊員がその土に混ざっていた青黒い石灰層と砕かれた木片を目撃し、古墓の墓坑を発見した。竪穴式木槨墓の副葬品は、陶器・銅器・鉄器・漆木器・簡牘のほか、鮮やかな絹製品なども残されており、合計860件にのぼる。出土品の中には雲雷紋に蟠螭文を施した銅鏡もあり、戦国末期から秦代にいたる特徴がみえる。
竹簡は208枚、そのうち副葬品の名を記録した遣策が197枚、残りの11枚はその統計である。竹牘は3枚、内容は告地書で、3枚のうちの1枚に「五年十一月癸卯朔庚午」とあることから、墓葬年代は呂后5年(紀元前183年)と判断される。このほか、棺や槨の形制・尺寸・名称、あるいは墓主とその子に関しての記述もある。墓主は名を恚という女性で、息子4人と娘1人の計5人の子どもを設けた。五大夫にのぼった長子の昌をはじめ、以下みな一定の爵位を有していることがわかる。