渡辺浩司 (野球)
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| 東北楽天ゴールデンイーグルス 打撃コーチ #89 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 新潟県白根市(現:新潟市南区) |
| 生年月日 | 1963年8月9日(62歳) |
| 身長 体重 |
180 cm 74 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 一塁手、二塁手、三塁手 |
| プロ入り | 1981年 ドラフト外 |
| 初出場 | 1987年6月21日 |
| 最終出場 | 1997年6月7日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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渡辺 浩司(わたなべ ひろし、本名:渡辺 浩〈読み同じ〉、1963年8月9日 - )は、新潟県白根市(現:新潟市南区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、プロ野球コーチ。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスで打撃コーチを務める。
プロ入り前
白根市立大鷲中学校(校舎移転と校区再編を経て、現在の新潟市立白根北中学校)から、新潟商業高に進んだが、入学時には野球部が1年間の対外試合禁止処分を受けていたため、1年時は実戦に臨む機会がなかった。2年時からレギュラーとなり、3年時は副将を務めたが、夏の県大会は3回戦で敗退した。
高校卒業後は、社会人野球のニチエー(現:バイタルネット)へ進むことが決まっていたが、知人などの仲介で日本ハムファイターズの入団テストを受けたところ合格し、1981年秋にドラフト外で入団した。
日本ハム時代
入団6年目の1987年に一軍初出場を果たすも、長年一軍と二軍を往復する生活が続いたが、プロ14年目の1995年、正二塁手の白井一幸が開幕3試合目に故障して長期離脱したのを機に二塁定着。序盤は3割を記録するなど好調を見せ、同年6月に行われた地元新潟での対近鉄バファローズ2連戦では2安打1犠飛と2連勝に貢献した。7月7日の西武ライオンズ戦(東京ドーム)では西崎幸広のノーヒットノーラン達成の際、最後の打者の二ゴロを処理した。後半はやや失速したものの、この年は116試合に出場し、14年目にして初めて規定打席に到達した。当時チームを率いていた上田利治監督は、渡辺の活躍ぶりを「14年目の新人王」と絶賛するなど、プロ14年目での一軍・レギュラー定着が大きく報道されることも多かった。
その後は金子誠ら若手の台頭もあり、1997年を最後に現役を引退した[1]。
引退後
引退後はコーチを8シーズンにわたって歴任。1998年の二軍打撃コーチ補佐を皮切りに、1999年には二軍打撃コーチ、2002年からは一軍に昇格して打撃コーチを務め、4シーズン務め上げたが、2005年にチームは深刻な打撃不振に陥ったため、引責する形で同年限りで契約解除となりコーチを退任した。
退任後はフロント入りし、2006年に新設されたスコアラー部署に配属され、プロスカウトに転身。2008年から2011年までは自軍に帯同するチーフプロスカウトを務めた。
2012年、7シーズンぶりに一軍打撃コーチとして復帰を果たした。2013年、チーム打率リーグ最下位・得点5位と低迷し、同年10月29日にチーム統轄本部プロスカウトへの就任が発表された[2]。
2020年11月30日、北海道日本ハムファイターズ二軍打撃コーチに就任することが発表された[3]。
2022年7月20日からは、新庄剛志監督(BIGBOSS)と、監督代行を務めた山田勝彦一軍バッテリーコーチの相次ぐ新型コロナウイルス感染に伴い、木田優夫二軍監督が一軍の監督代行となったことから、二軍監督代行を務めた[4]。7月25日に新庄の復帰が発表され、渡辺の二軍代行監督も解除された[5]。2023年10月31日に契約満了により退任することが発表された[6]。
2024年からは、日本ハムのプロスカウトに再び復帰した[7]。
この年限りで日本ハムを退団し、2025年からは楽天の一軍打撃コーチを務める。背番号は当初89と発表されていたが[8]、後に入団が決まったミゲル・ヤフーレが背番号89を背負うことになり、背番号は98に変更された[9]。その後、ヤフーレの退団に伴い、背番号は89に戻された[10]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987 | 日本ハム | 13 | 25 | 25 | 3 | 5 | 0 | 0 | 1 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .200 | .200 | .320 | .520 |
| 1988 | 5 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1990 | 10 | 15 | 12 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | .167 | .231 | .167 | .397 | |
| 1991 | 6 | 8 | 6 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .625 | 1.000 | 1.625 | |
| 1992 | 19 | 27 | 24 | 6 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 11 | 0 | .208 | .296 | .250 | .546 | |
| 1994 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1995 | 116 | 443 | 407 | 37 | 100 | 12 | 2 | 3 | 125 | 45 | 14 | 6 | 13 | 4 | 16 | 0 | 3 | 66 | 5 | .246 | .277 | .307 | .584 | |
| 1996 | 79 | 190 | 171 | 14 | 38 | 11 | 0 | 1 | 52 | 18 | 1 | 1 | 2 | 2 | 13 | 0 | 2 | 33 | 4 | .222 | .282 | .304 | .586 | |
| 1997 | 20 | 22 | 21 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | .143 | .182 | .143 | .325 | |
| 通算:9年 | 270 | 739 | 675 | 63 | 156 | 24 | 2 | 6 | 202 | 69 | 16 | 7 | 17 | 6 | 34 | 0 | 7 | 131 | 11 | .231 | .273 | .299 | .572 | |
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:1987年6月21日、対近鉄バファローズ14回戦(藤井寺球場)、「8番・三塁手」で先発出場
- 初安打:1987年6月23日、対ロッテオリオンズ11回戦(平和台野球場)、4回表に深沢恵雄から
- 初本塁打・初打点:1987年6月28日、対西武ライオンズ15回戦(西武ライオンズ球場)、3回表に松沼博久からソロ
背番号
- 56(1982年 - 1995年)
- 4(1996年 - 1997年)
- 91(1998年 - 2005年)
- 71(2012年 - 2013年)
- 90(2021年 - 2023年)
- 98(2025年[9])[注 1]
- 89(2026年[10] - )
登録名
- 渡辺 浩(わたなべ ひろし、1982年 - 1993年)
- 渡辺 浩司(わたなべ ひろし、1994年 - )