小野寺力 (野球)

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-11-26) 1980年11月26日(45歳)
身長
体重
188 cm
96 kg
小野寺 力
東北楽天ゴールデンイーグルス 投手コーチ #92
東京ヤクルトスワローズ選手時代
(2012年3月22日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県熊谷市
生年月日 (1980-11-26) 1980年11月26日(45歳)
身長
体重
188 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト4巡目
初出場 2003年9月27日
最終出場 2012年5月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

小野寺 力(おのでら ちから、1980年11月26日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手投手、右投右打)、コーチ

実兄は元プロ野球選手の進藤実。兄と苗字が違うのは、共に一人っ子である両親の姓を残す目的で養子縁組を行い、実が母方の進藤姓を、力が父方の小野寺姓を名乗ったため。

プロ入り前

熊谷市立新堀小学校・熊谷市立玉井中学校を経て、埼玉県立鴻巣高等学校に進む。186cmの高身長で球速は平均130km/hを超え、3年夏の西埼玉大会では地区最高の素質を持つ投手と評されていた[1]。同大会では準々決勝で鳥谷敬を擁する聖望学園と対戦し、延長11回を完投するも3対4で敗れ、ベスト8[1]

高校卒業後は兄・進藤実と同じ常磐大学に進学。久保田智之と共に主戦投手として活躍し、関甲新学生野球リーグ3年秋にベストナイン、4年生になると3年秋に続き春・秋に防御率リーグ1位の成績を残し[2]、春は山梨学院大戦でノーヒットノーランも達成[3]

2002年11月20日に行われたドラフト会議では、西武ライオンズから4巡目指名を受け、入団。契約金・年俸はそれぞれ7000万円、1500万円(いずれも推定)だった[4]

西武時代

埼玉西武ライオンズ時代
(2009年8月27日)

2003年はシーズンのほとんどを二軍で過ごし、9月27日に一軍初登板を果たした。

2004年は持ち味の速球を武器に27試合に登板して防御率3.38を記録し、チームの日本一に貢献した。

2005年は中継ぎとして30試合に登板し、四球は減ったが防御率が悪化し、安定感に課題を残した。

2006年はFA移籍した豊田清に代わる抑えとして起用され、7月までは防御率1点台を維持し、7月には初の月間MVPを受賞した。同年はチーム最多の59試合に登板して防御率2.82、7勝29セーブを記録、被本塁打も2本に抑えた。同い年の赤田将吾に続いてチーム2人目となる個人サイト「chikara-o.net」を設立、ファンへのメッセージや心境などをブログ形式で掲載しており、絵文字を多用してコメントに寄せられた相談に答えることもある。

2007年は前年に引き続き開幕から抑えとして起用されるが、後半戦からアレックス・グラマンが抑えに定着したことで、左の三井浩二と共に中継ぎを任された。終盤には新人以来となる先発としての登板もした。

2008年はグラマンにつなぐ中継ぎとして起用され、50試合に登板して自己最多の9ホールド、14ホールドポイントを記録して防御率3.56と前年より改善されたが、四球が多く奪三振数も減少し、信頼を回復するまでには至らなかった。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは3試合に登板し、1失点であった。

2009年はグラマンの故障により、再び抑えを任せられる。7月は最終登板以外で自責点0を記録するなど活躍した。先発投手が不足し、中継ぎ陣も不安定で、なかなかセーブ機会に恵まれなかったがセーブ成功率は84%と馬原孝浩ブライアン・シコースキーを上回る。終盤に調子を落としたため二軍へ降格。チームは抑え不在のまま4位に終わった。

2010年は不調のため、開幕2軍スタートとなった。先発投手が早めに降板した場合などは6回に登板することが多かった。41試合に登板し、防御率は3.67だった。

2011年は、開幕から一軍公式戦への登板機会がないまま、5月24日に鬼崎裕司とのトレード東京ヤクルトスワローズへ移籍した[5]

ヤクルト時代

2011年5月29日、古巣・西武とのセ・パ交流戦西武ドーム)で移籍後初登板。しかし安定感を欠き、6試合しか登板できなかった。

2012年は、怪我などの影響から一軍公式戦への登板が4試合にとどまった。10月2日に球団から戦力外通告を受けた[6]ことを機に、現役を引退した。

現役引退後

2013年からは西武にチームスタッフとして復帰。同年から2015年までは二軍の用具担当を任されていた[7]2016年からは西武時代のチームメイトだった松下建太が引退し、二軍用具担当に就任したのを受け二軍マネジャーへ異動。[8]さらに同年シーズン中に二軍投手コーチだった森慎二が一軍に配置転換されることを受け、5月6日から二軍投手コーチ兼育成コーチに就任することとなった[9]。10月1日に退団の申し入れをし了承された[10]

2017年から東京ヤクルトスワローズの二軍投手コーチに就任、背番号は72[11]11月25日から台湾で開催された2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBイースタン選抜の投手コーチを務めた[12]。その後、2022年5月17日まで同コーチを務め、翌18日付で一軍投手コーチに異動となった[13]。同25日からは二軍投手コーチに復帰したが、7月7日から同24日までは再び一軍投手コーチを務めた[13]

2023年も開幕当初は二軍投手コーチを務めていたが、5月9日から同15日は一軍投手コーチを担当した[14]2025年からは一軍投手コーチに配置転換された[15]

2026年からは楽天の投手コーチに就任した(背番号92)[16]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 西武 21000000------213.1714001104410.803.30
2004 270000210--.66713932.02631910242013123.381.41
2005 3000001201.33318442.05051101300021204.291.45
2006 59000073292.70024760.25121813524019192.821.14
2007 44400045133.44429564.18572321484039375.181.68
2008 5000005519.50024355.25432204383026223.561.37
2009 47000035167.37523054.14952411455024243.981.34
2010 4100001308.25016841.2423602282020173.671.15
2011 ヤクルト 600000001----315.1100500201558.442.83
2012 400000000----204.261000400447.711.30
通算:10年 310500023245931.4891578364.0380301325122722111751644.051.41

表彰

  • 月間MVP:1回(投手部門:2006年7月)

記録

初記録
  • 初登板:2003年9月27日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(西武ドーム)、6回表に2番手で救援登板、1/3回無失点
  • 初先発登板:2003年10月4日、対千葉ロッテマリーンズ27回戦(千葉マリンスタジアム)、3回4失点
  • 初奪三振:同上、2回裏に福浦和也から
  • 初勝利:2004年3月28日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(西武ドーム)、10回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初ホールド:2005年9月11日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(インボイスSEIBUドーム)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初セーブ:2006年4月1日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点

背番号

  • 14(2003年 - 2011年5月23日)
  • 29(2011年5月24日 - 2012年)
  • 81(2016年5月6日 - 同年終了)
  • 72(2017年 - 2025年)
  • 92(2026年 - )

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI