門前町 (名古屋市)
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歴史
江戸時代の門前町は名古屋城から熱田を結ぶ南北のメインストリートである本町筋に位置し、天道町筋から金塚町までの八町半をその範囲としていた[3]。北は末広町、東は裏門前町、南は橘町に接した[3]。日置村の松原に過ぎなかったが、1664年(寛文4年)に至って、尾張藩の払い下げ材により町家が開発されたことに始まる[4]。享保年間には公許の遊郭が設けられたことにより大いに栄えた[4]。昭和後期に至って行われた住居表示の実施により、その範囲を大きく変え、前述のように南へ移動した。
町名の由来
多数の寺院が所在することによる[3]。
沿革
- 明治5年 - 上日置町に一部が編入される[5]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区門前町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市門前町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区門前町となる[5]。
- 1913年(大正2年)1月 - 福徳生命保険株式会社が名古屋支部を設置する[6]。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が岩井通に編入される[5]。
- 1938年(昭和13年)11月1日 - 一部が矢場町に編入される[5]。
- 1944年(昭和19年)5月15日 - 裏門前町の一部を編入する[1]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、1丁目の一部が栄三丁目に編入される[5]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示実施に伴い、1丁目〜5丁目が大須二丁目および大須三丁目に、6丁目の一部が大須三丁目に編入される[5]。
- 1974年(昭和49年)5月11日 - 住居表示実施に伴い、6丁目が上前津一丁目および門前町、7・8丁目が門前町、8丁目が橘一丁目に編入される[5]。また、岩井通・裏門前町・金沢町・東橘町・前塚町の各一部を編入する[1]。
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
| 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|
| 名古屋市立松原小学校 名古屋市立橘小学校 | 名古屋市立伊勢山中学校 | 尾張学区 |
