下長者町
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学区
- 小学校 - 名古屋市立名城小学校[3]→名古屋市立御園小学校[4]
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
| 1950年(昭和25年) | 291人 | [3] | |
| 1955年(昭和30年) | 534人 | [3] | |
| 1960年(昭和35年) | 798人 | [4] | |
| 1965年(昭和40年) | 601人 | [4] |
歴史
町名の由来
清洲城下にあった長者町が移転した清洲越しによる町名であり、在清須時代に富豪が多く住んでいたことによるとみられる[6]。上長者町に対して名古屋城から離れているため、「下」の字を付けた[5]。
沿革
- 1871年(明治4年)9月29日 - 八百屋町の一部を合併[7]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 郡区町村編制法により、名古屋区下長者町となる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 市制施行に伴い、名古屋市下長者町となる[7]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 行政区新設に伴い、西区所属となる[7]。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が広小路通となる[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区新設に伴い、栄区所属となる[7]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区が中区に統合され、中区所属となる[7]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、全域が錦二丁目となり消滅[7]。