難波利三
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島根県邇摩郡温泉津町(現・大田市)の宮大工の家に生まれる。苦学して、1960年[1] 関西外国語大学英米語学科中退[2]。
大阪で流しのギター弾きをする。プラスチック業界新聞に勤務[3]。病気に倒れ結核で療養所にいた時、「小説新潮」の懸賞に2度入選[1](1964年の「夏の終わる日」等[3])。1965年退院すると、英語塾を開く傍ら、本格的に書き始める[1]。
1970年からオール読物新人賞に応募し、「地虫」で1972年受賞、同作で直木賞候補となる。「雑魚の棲む路地」で同候補。1974年「イルティッシュ号の来た日」、1975年「天を突く喇叭」、1978年「大坂希望館」と、五回直木賞候補となる。
黒岩重吾に半ば師事し官能小説などを書いていたが、戦前戦後の大阪市西成区山王を舞台に下積みの芸人たちを描いた『てんのじ村』で1984年に直木賞を受賞してからは、上方演芸の世界を描く作家として知られるようになった。
1988年に大阪市教育委員に就任後は、居住地である大阪を中心に、行政が行なう各種行事の委員に選ばれるなど(なにわ大賞選考委員長、大阪女性基金プリムラ大賞選考委員 他)、文化人的な活動に移った。
受賞・役職
- 1964年、「夏の終わる日」で小説新潮新人賞
- 1972年、「地虫」でオール讀物新人賞。
- 1984年、「てんのじ村」で第91回直木賞。
- 1998年、第33回大阪市市民表彰(文化功労部門)。
- 1988年 大阪市教育委員(~1992年)[2]
- 1999年10月 大阪市立クラフトパーク館長[2]
- 1999年、温泉津町名誉町民(合併により現・大田市名誉市民)[4]。同地では2000年度より難波利三・ふるさと文芸賞を主催している。
- 2000年05月 堺市文化振興財団理事長[2]
- 2006年、大阪芸術賞。文芸(小説)分野[5]。
- 2012年より、泉大津市オリアム随筆賞選考委員。
- 心斎橋大学(藤本義一が創設した作家養成スクール)講師。