藤井重夫

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藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日 - 1979年(昭和54年)1月17日)は、兵庫県生まれの作家[1][2]

兵庫県豊岡市生まれ[1]。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校[3]

21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした[2]1941年、25歳の時に朝日新聞に入社[3](姫路通信局専属通信員)[2]第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した[2]。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる[2][4]。同作が1958年日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する[5]1965年、大阪の戦災孤児を描いた『虹』(『オール讀物』発表)で直木賞を受賞した[1]

1979年1月17日、午前2時2分、脳出血のため世田谷中央病院で死去[1]。満63歳没[2]

戒名は「酒仙文道居士」。生前は「酒さえあれば他は何もいらない」を信条とした[4]。不器用で直情的な性格から、編集者に怖がられ、時には煙たがられることもあったという[3]。妻・菊枝との間に一男一女をもうけた[6]

著書

脚注

参考文献

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