藤井重夫
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兵庫県豊岡市生まれ[1]。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)[3]。
21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした[2]。1941年、25歳の時に朝日新聞に入社[3](姫路通信局専属通信員)[2]。第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンやマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した[2]。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる[2][4]。同作が1958年に日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する[5]。1965年、大阪の戦災孤児を描いた『虹』(『オール讀物』発表)で直木賞を受賞した[1]。
1979年1月17日、午前2時2分、脳出血のため世田谷中央病院で死去[1]。満63歳没[2]。
戒名は「酒仙文道居士」。生前は「酒さえあれば他は何もいらない」を信条とした[4]。不器用で直情的な性格から、編集者に怖がられ、時には煙たがられることもあったという[3]。妻・菊枝との間に一男一女をもうけた[6]。
著書
- 『悲風ビルマ戦線』(鱒書房、1956年)
- 『佳人』(東都書房、1957年)
- 『家紋の果』(東都書房、1958年)
- 『風紋』(東都書房、1959年)
- 『夜の猟人』(東京文芸社、1960年)
- 『花の肖像』(東京文芸社、1961年)
- 『誰かと誰かが』(秋元書房、1963年)
- 『千羽鶴の祈り』(秋元書房、1965年)
- 『終りなき鎮魂歌』(番町書房、1965年)
- 『虹』(文藝春秋新社、1965年)のち春陽文庫、角川文庫
- 『おない年』(秋元書房、1966年)
- 『祝婚歌』(春陽堂書店、1970年)
- 『死線』(番町書房、1971年)
- 『静歌』(番町書房、1972年)
- 『きけわだつみもうひとつの声』(汐文社、1975年)
- 『にっぽんいそっぷ』(崙書房、1981年)
脚注
参考文献
- 海音寺潮五郎、木村荘十、森荘已池、岡田誠三、富田常雄、小山いと子、藤井重夫 著、川口則弘 編『消えた受賞作 直木賞編』メディアファクトリー、2004年7月。ISBN 978-4840111102。
第53回直木三十五賞 | |||||||||
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