エイシンデピュティ

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エイシンデピュティ
2008年6月29日 阪神競馬場
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 2002年4月9日
死没 2025年9月15日(23歳没)
抹消日 2009年12月10日
フレンチデピュティ
エイシンマッカレン
母の父 Woodman
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 栄進牧場
馬主 平井豊光
調教師 野元昭栗東
調教助手 甲斐純也
競走成績
生涯成績 30戦10勝
獲得賞金 4億4104万5000円
勝ち鞍
GI宝塚記念2008年
GII金鯱賞2008年
GIIIエプソムC2007年
GIII京都金杯2008年
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エイシンデピュティ (Eishin Deputy2002年4月9日 - 2025年9月15日)は、日本競走馬種牡馬。馬名は冠名の「エイシン」と父・フレンチデピュティの馬名の一部からとった「デピュティ」が由来となっている。

3歳、4歳

2005年、3歳時の4月24日にデビューし、3戦目で初勝利を挙げた。しかしオープン入りまでは時間を費やした。

5歳

2007年3月25日の心斎橋ステークスを勝ってオープン入りを果たすと次走4月21日オーストラリアトロフィー、さらに6月10日エプソムカップ(GIII)も制し3連勝で重賞初制覇を果たした。

その後休養を挟み秋の緒戦として10月7日毎日王冠に参戦したが、こちらは8着。続く天皇賞(秋)にも参戦し8位入線となるが直線で外側に斜行し、他馬の走行を妨害したとして14着に降着となった(この詳細はについては別段にて後述する)。

しかしその後、鳴尾記念で巻き返しを見せ2着となった。

6歳

2008年宝塚記念

2008年京都金杯で勝利し重賞2勝目を挙げた。京都金杯後にドバイデューティーフリーへの出走登録を行ったが出走は回避した。さらに1月22日に締め切られたアジアマイルチャレンジのシリーズ登録も行った。その後東京新聞杯に出走するが、7着に敗れた。しかし続いて出走した大阪杯では、メイショウサムソンアサクサキングスなどに先着し2着だった。さらに5月31日中京競馬場での金鯱賞では、マンハッタンスカイ、カワカミプリンセスなどを引き離して逃げ切り勝ちを収めた。

金鯱賞出走後、調教師の野元昭は「次は宝塚記念に出します」と夏のグランプリレース参戦を宣言した。そして6月29日、雨まじりの阪神競馬場で行われた宝塚記念では、好スタートからハナに立つと、最後の直線走路で追いすがる1番人気メイショウサムソンをアタマ差しのぎ、初のGI制覇を飾った。

9月24日、右前脚の球節を痛めたため、予定されていた11月2日東京競馬場で行われる天皇賞(秋)への出走を断念することが明らかになった。ただ症状は軽症で軽い運動は行われており年末の有馬記念での復帰へ向けて順調に調整されていたが、12月24日の調教中に右前脚の繋靱帯炎を発症し、翌12月25日に同レースを回避することとなった。

7歳

1年3か月の休養を終えて、2009年9月27日オールカマーで復帰。レースでは2番手で追走したが、直線で失速し14着と大敗した。続く天皇賞(秋)では逃げを打つも直線で後退し9着に敗れた。続くジャパンカップでは3番手追走も直線で一杯になり6着に敗れた。

しかし入線後に右前脚の繋靱帯炎を再発[1]。2009年限りでの引退、種牡馬入りが既定路線だったことから[1]、ジャパンカップを最後に引退し、12月10日付で競走馬登録を抹消された[2]

競走成績

種牡馬時代

2010年より北海道新ひだか町レックススタッドにて種牡馬となる。受胎条件50万円、または出生条件80万円に設定された[5]。2013年に産駒がデビュー。2013年5月30日笠松競馬第1競走新馬戦でカツゲキイチバンが産駒初勝利をあげた。

2018年からは栄進牧場で繋養されることになった。

2019年に引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となり、種牡馬を引退し余生を送っていた。2025年9月15日、23歳で死亡した[6]

主な産駒

血統表

脚注

外部リンク

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