ビル・マゼロスキー

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生年月日 (1936-09-05) 1936年9月5日
没年月日 (2026-02-20) 2026年2月20日(89歳没)
ビル・マゼロスキー
Bill Mazeroski
2010年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウェストバージニア州ホイーリング
生年月日 (1936-09-05) 1936年9月5日
没年月日 (2026-02-20) 2026年2月20日(89歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手二塁手
プロ入り 1954年
初出場 1956年7月7日
最終出場 1972年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 2001年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ウィリアム・スタンリー・マゼロスキーWilliam Stanley Mazeroski, 1936年9月5日 - 2026年2月20日)は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州ホイーリング出身の元プロ野球選手二塁手)。右投右打。ニックネームは「Maz(マズ)」

現役時代

1954年に17歳でピッツバーグ・パイレーツと契約し、1956年7月7日に19歳10か月でメジャーデビュー。以後、1972年を最後に現役引退するまで、パイレーツ一筋に二塁手として活躍。 軽快な守備ですぐにレギュラーとなり、1958年には初のオールスター出場を果たす。同年初のゴールドグラブ賞に選出された。 この年には打撃面でも打率.275、本塁打19、打点68と活躍し、ナ・リーグMVP投票でも8位に入った。

特に守備面では卓越しており、通算守備率は.983。ナショナルリーグゴールドグラブ賞に輝くこと8回。通算1706回の併殺に参加し、これはMLB歴代記録である。 パイレーツの名アナウンサー、ボブ・プリンスは「ザ・グローブ」と称えた。 17年間のキャリアで3個しかグローブを使わず、くたびれたグローブはチームメイトから「パンケーキ」と野次られた。 一度、チームメイトのいたずらでグローブにバターシロップを塗られたことがあったが、それを修繕してまた使ったという。

1960年にはチームがリーグ優勝を果たし、ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズに駒を進める。 3勝3敗で迎えた第7戦(フォーブス・フィールド)は、MLBの歴史に残る1戦となった。 序盤パイレーツが4-0とリードするが、強打のヤンキースは5回から8回までに7点を取り逆転。 8回裏パイレーツが5点を取り9-7と逆転するが、9回表ヤンキースは2点を取って同点に追いつく。 そして9回裏、マゼロスキーがワールドシリーズ最終戦としては史上初のサヨナラ本塁打を打って、不利が予想されたパイレーツが4勝3敗でヤンキースを下した。 このシリーズを通じて、ヤンキースの55得点に対しパイレーツは27得点。安打数でも91対60と完敗であったが、シリーズには勝った。 この活躍で、マゼロスキーはベーブ・ルース賞に選ばれた。

ワールドシリーズ最終戦のサヨナラ本塁打は、その後1993年のワールドシリーズジョー・カーターまでなかった。この時のカーターは第6戦であり、3勝3敗の第7戦でサヨナラ本塁打を打ったのは、現時点でマゼロスキーのみである。なお、この際のホームランボールは、ファンの1人がキャッチしたが、ビール2ケースと交換にマゼロスキーの手に渡り、現在でもアメリカ野球殿堂に保管されている。

その後も、1966年に自己最多の82打点を記録するなど活躍を続ける。 1969年以後は出場機会が減るが、1971年のワールドシリーズ(対ボルチモア・オリオールズ)で自身2度目のワールドチャンピオンとなった。 翌1972年を最後に現役を引退。オールスター戦には10度選出。ゴールドクラブ賞には8度選ばれた[1]

引退後

マゼロスキーの背番号「9」。
ピッツバーグ・パイレーツの永久欠番1987年指定。

1987年8月7日にマゼロスキーの背番号『9』がパイレーツの永久欠番に指定される。

2001年ベテランズ委員会の選考でアメリカ野球殿堂入りを果たした。

2026年2月20日、ペンシルベニア州ランスデール[2]にて死去。89歳没[3]。マゼロスキーの死去により、現在ピッツバーグ・パイレーツの永久欠番選手が全て物故者となっている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1956 PIT 812772553062813811400401810244.243.293.318.611
1957 14856852659149277821454331132721496.283.318.407.725
1958 152607567691562461924968119325337115.275.308.439.747
1959 135537493501191567167591310429115416.241.283.339.622
1960 151591538581472151121164404840151509.273.320.392.712
1961 152595558711482121321259212626103559.265.298.380.678
1962 1596175725515524914239810324371624715.271.315.418.733
1963 14257653443131223818352207332604615.245.286.343.629
1964 16264460166161228102296411104291105221.268.300.381.681
1965 13052749452134171617154214918523416.271.294.346.640
1966 162660621561632271624782432531916216.262.296.398.694
1967 16367963962167253922577125530705517.261.292.352.644
1968 143556506361271823158423464381023818.251.304.312.616
1969 672562271352713702511142232166.229.298.308.606
1970 112404367298414071193920532792406.229.283.324.607
1971 70213193174931157160023151083.254.303.295.598
1972 347264312400163003231052.188.217.250.467
MLB:17年 21638379775576920162946213828488532723877044711020706194.260.299.367.666
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



二塁(2B)三塁(3B)
























1956 PIT 81163242856.981-
1957 1443084431796.978-
1958 15234449617118.980-
1959 13330337313100.981-
1960 15141344910127.989-
1961 15241050523144.975-
1962 15942550914138.985-
1963 13834050614131.984-
1964 16234654323122.975-
1965 1272904399113.988-
1966 1624115388161.992-
1967 16341749818131.981-
1968 14231946715107.981-
1969 65134192446.988-
1970 102227325787.987-
1971 4695121322.986725001.000
1972 15293917.9861504001.000
MLB 2094497466852041706.9831029001.000
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤文字はMLBの二塁手における歴代最高
  • 太字年ゴールドグラブ賞受賞

表彰

記録

背番号

  • 9(1956年 - 1973年、1979年 - 1980年)

脚注

関連項目

外部リンク

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