ポール・モリター

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生年月日 (1956-08-22) 1956年8月22日(69歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
ポール・モリター
Paul Molitor
2005年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州セントポール
生年月日 (1956-08-22) 1956年8月22日(69歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 指名打者三塁手二塁手
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目(全体3位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名
初出場 1978年4月7日
最終出場 1998年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 2004年
得票率 85.2%
選出方法 BBWAA選出

ポール・レオ・モリターPaul Leo Molitor, 1956年8月22日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール出身のプロ野球監督、元プロ野球選手指名打者三塁手二塁手)。

ニックネームは、「The Ignitor」。

プロ入り前

1974年MLBドラフトセントルイス・カージナルスから28巡目(全体587位)に指名を受けるが契約せず、ミネソタ大学に進学。

プロ入りとブルワーズ時代

1977年MLBドラフトミルウォーキー・ブルワーズから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。同年はA級バーリントン・ビーズ英語版で64試合に出場し、打率.346、8本塁打、50打点、14盗塁を記録する[1]

1978年は、開幕メジャー入りを果たし、4月7日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー[2]。翌日の同カードではメジャー初本塁打を含む5打点を記録[2]。当初は遊撃手、5月途中から二塁手に回り[2]、前半戦で打率.296、6本塁打、22盗塁を記録[3]。後半戦は打率.242、本塁打0と調子を落とすが[3]、打率.273、142安打、30盗塁の好成績で新人王の投票ではルー・ウィテカーに次ぐ2位に入った[4]

1979年は、打率.322、188安打、33盗塁、リーグ2位の16三塁打と成績を伸ばす。

1980年は、開幕から好調を維持したが、6月に故障で1カ月以上離脱[5]オールスターゲームに初選出されたが辞退した。復帰後は調子を落とし、打率.304、34盗塁の成績だった。

1981年は、主に中堅手で出場するが[6]、5月にまたも故障で離脱。50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されたこともあって64試合の出場に留まり、打率.267、2本塁打、19打点に終わる。同年は前後期制の変則日程となり、チームは後期優勝。ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは第3戦でトミー・ジョンから勝ち越し本塁打を放つが[7]他の試合では振るわず、チームは2勝3敗で敗退した。

1982年は、三塁手コンバートされ[8]5月12日カンザスシティ・ロイヤルズ戦で先頭打者本塁打を含む3本塁打を放つ[9]。打率.302、19本塁打、71打点、41盗塁、201安打、リーグ1位の136得点を記録し、チームは1969年の球団創設以来初の地区優勝。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.316、2本塁打を記録。チームは2連敗の後3連勝でリーグ優勝。カージナルスとのワールドシリーズでは第1戦で5安打を放つなど打率.355を記録するが、チームは3勝4敗で敗退した。

1983年は、打率.270と成績を落とした。

1984年は、故障でわずか13試合の出場に終わる。

1985年は、5年ぶりのオールスターゲームに選出される。

1986年は105試合の出場に留まった。

1987年は、開幕13連勝を記録したチームと共に好調なスタートを切る。7月16日から8月25日にかけて39試合連続安打(後述)を記録する。118試合の出場ながらいずれもキャリアハイの打率.353、45盗塁、出塁率.438、長打率.566、リーグ1位の114得点、41二塁打を記録し、シルバースラッガー賞(指名打者部門)を初受賞した。

1988年1989年は共に打率3割、190安打以上を記録。

1991年は指名打者としての出場が増加、この年以降レギュラーシーズンでは一塁手以外で守備に就くことがなくなる[10]。5月15日のミネソタ・ツインズ戦でサイクル安打を達成[11]するなど打率.325、いずれもリーグ1位の216安打、13三塁打、133得点の好成績を記録。

1992年も打率.320、195安打を記録した。オフにFAとなった。

1987年に記録した39試合連続安打は、2015年現在でも大リーグ歴代7位で、ブルワーズ球団記録である。20世紀以後に限れば5位で、第二次大戦後ではピート・ローズの44試合連続安打(1978年)に次ぐ記録である。8月26日の本拠地ミルウォーキー・カウンティ・スタジアムでのクリーブランド・インディアンス戦でジョン・ファレル(現ボストン・レッドソックス監督)の前に無安打に終わり、延長10回裏に次打者席にいるモリターの前の打者、リック・マニングがサヨナラ安打を放って試合が終わり、モリターの連続試合安打がストップすると、一部のファンからはブーイングも起こった。

ブルージェイズ時代

1992年12月7日にトロント・ブルージェイズと契約を結んだ。移籍後は背番号をブルワーズ時代のチームメイトだったロビン・ヨーントと同じ「19」に変更。

1993年は後半戦で打率.361[12]と調子を上げ、打率.332、22本塁打、111打点を記録し、チームの地区優勝に貢献、最優秀指名打者賞を受賞。シカゴ・ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦で本塁打を含む4安打、3打点を記録[13]するなど打率.391の活躍で、チームはリーグ連覇。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは打率.500、2本塁打、8打点を記録して、チームのシリーズ連覇に大きく貢献し、シリーズMVPを受賞。第3戦~第5戦では指名打者がないため第3戦で一塁手として、そして第4戦・第5戦ではレギュラーシーズン首位打者の一塁手のジョン・オルルドと同時に出場するため1990年以来久々に三塁手として守備に就いた。これが自身にとって最後のポストシーズンの出場となったが、通算で29試合に出場し、打率.368、6本塁打、22打点、5二塁打、3三塁打、28得点などの素晴らしい成績を記録した[14]

1994年も好調を維持し、打率.341、14本塁打、75打点を記録するが、232日間に及ぶ長期ストライキでシーズンが打ち切られた。

1995年は平凡な成績に終わる。オフにFAとなった。

ツインズ時代

1995年12月5日に故郷のツインズと契約を結んだ。

1996年9月16日のロイヤルズ戦で中堅オーバーの三塁打を放ち、通算3000安打を達成。3000安打目を三塁打で達成したのは史上初。40歳にして打率.341、9本塁打、キャリアハイの113打点、リーグ最多の225安打を記録し、2度目の最優秀指名打者賞を獲得。なお、「1桁本塁打で100打点」は20世紀以後に限ると、1985年のトム・ハーセントルイス・カージナルス)の8本塁打、110打点に次いで2度目で、モリター以後2021年までは達成者がいない。

1998年は8月8日のオリオールズ戦で通算500盗塁を達成し、同年限りで現役を引退。

引退後

モリターのブルワーズ在籍時の背番号「4」。
ミルウォーキー・ブルワーズの永久欠番1999年指定。

引退の翌1999年7月11日、ブルワーズ在籍時の背番号4』がブルワーズの永久欠番に指定された[15]

2000年からの2年間はツインズで打撃コーチを務める。

2004年1月6日、資格初年度でアメリカ野球殿堂入り。主な守備ポジションは三塁手であったが、指名打者としては初の選出となった。同年シアトル・マリナーズの打撃コーチに就任したが、チームは打撃不振で打率こそリーグ7位であったが、得点がリーグ最下位[16]であったことが響き、順位も地区最下位に終わり、監督のボブ・メルビンらと共に解任された。

2014年よりツインズのコーチに復帰し、同年のシーズン終了後には2015年シーズンより監督に就任することが発表された[17]

2015年のウィンターミーティングにて
(2015年12月7日)

2015年、過去4シーズンで地区の順位が5→5→4→5と低迷していたチームを見事に立て直し、ワイルドカード獲得までわずか3ゲーム差となる、地区2位の83勝を挙げた。2017年にはチームをワイルドカードで7年ぶりのポストシーズンへ導き、最優秀監督賞を受賞した[18]。しかし2018年チームはポストシーズンに進出できずシーズン終了後、監督を退任となった。

選手としての特徴

類稀なバットコントロールと強靭なリストを武器とした好打者であり、打率と長打力を両立させた上、スピードと走塁技術を持ち合わせた出群の走者でもあった[19][20]。主に一番打者として、33本の先頭打者本塁打(歴代10位)を記録するなど、打線の火付け役を務めたことから"The Ignitor"イグナイター点火装置)の異名を持ち[20]、21シーズンに及ぶ現役生活において通算3319安打(歴代9位)、234本塁打、504盗塁の数字を積み上げた。3000本安打・200本塁打・500盗塁をクリアしているのは他にリッキー・ヘンダーソンのみであり、「MLB史上最も洗練された攻撃型プレーヤーの1人」と評される[20]。守備は打撃ほどよくないが、投手捕手を除く7ポジションでの出場経験がある[21]。歴代順位はいずれも2015年シーズン終了時点。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1978 MIL 125556521731422646194453012751924546.273.301.372.673
1979 1406455848818827169274623313654852489.322.372.469.842
1980 11151245081137292919737347654843489.304.372.438.809
1981 64284251456711028419106502513293.267.341.335.675
1982 16075166613620126819300714191056911939.302.366.450.816
1983 1526826089516428615249474187659427412.270.333.410.743
1984 134946310100116100120080.217.245.239.484
1985 1406425769317128310235482177454618012.297.356.408.764
1986 10548243762123246918655205234000819.281.340.426.765
1987 11854246511416441516263754510516922674.353.438.5661.003
1988 154690609115190346132756041105371825410.312.384.452.836
1989 15569661584194354112705627114964446711.315.379.439.818
1990 103458418641192761219445183023741517.285.343.464.807
1991 1587496651332163213173257519801771666211.325.399.489.888
1992 158700609891953671228189316411731236613.320.389.461.851
1993 TOR 160725636121211375223241112241877337113.332.402.509.911
1994 1155154548615530414235752000555414813.341.410.518.927
1995 1305985256314231215222601203461155710.270.350.423.772
1996 MIN 16172866099225418930911318609561037221.341.390.468.858
1997 1355975386316432410234891142124580738.305.351.435.786
1998 126559502751412954192699211045514119.281.335.382.718
MLB:21年 268312160108351782331960511423448541307504131751091094100471244209.306.369.448.817
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備


一塁(1B)二塁(2B)三塁(3B)遊撃(SS)
















































1978 MIL -911972831257.976120001.00031541181017.945
1979 -1222894131581.979-10202713.979
1980 -912402941680.971111001.000121941410.938
1982 --1501283402948.942461030.842
1983 --1461053431637.966-
1984 --772123.933-
1985 --1351262631930.953-
1986 --91821701525.944-
1987 -1935490161.00041256458.947-
1988 -111001.000105861871715.941-
1989 -16284419.986112782431718.950-
1990 3732525528.98660136190436.98822711.900-
1991 4638932652.986---
1992 4846126244.996---
1993 TOR 2317814316.985---
1994 5473061.000---
1996 MIN 1713813113.993---
1997 1299716.991---
1998 9797041.000---
MLB 197171612718169.990400926127448279.9797916421639121185.95057991961830.942
外野守備


左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































1981 MIL -42112421.98348010.889
1986 441001.000--
MLB 441001.00042112421.98348010.889
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度球団地区年齢[22]試合勝利敗戦勝率順位/チーム数備考ポストシーズン
勝敗
2015MINAL 中591628379.5122 / 5
2016 6016259103.3645 / 5
2017 611628577.5252 / 5ALWC敗退0勝1敗
2018 621627884.4812 / 5
通算:4年 648305343.4710勝1敗

表彰

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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