ミカドロイド
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ストーリー
第二次世界大戦末期、旧日本陸軍は極秘裏に本土決戦に向けた秘密兵器を開発していた[7][3][5]。その中の一つである人造人間「百二十四式特殊装甲兵ジンラ號」は、不死化改造を施した兵士に特殊装甲を装着し、敵地に送り込んで敵を殲滅した後に自爆させるという、究極の殺人兵器だった[7]。しかし、戦況の悪化を経て計画は破棄される[5]。ジンラ號の存在と関連設備の抹消、そして開発者たちの口封じを目的として、地下の秘密研究所に憲兵隊が送り込まれるが、空襲によって秘密研究所はそれらもろとも埋没してしまい、そのまま放棄された[3]。
そして現代。遺棄されて久しい秘密研究所の真上に建設されたクラブの地下で起こった漏電が、人知れず眠りに就いていたジンラ號を再起動させてしまう[3]。蘇ったジンラ號は今なお眼に入るものすべてを殺戮する殺人兵器として、次々と人々を抹殺していく[7][3][5]。だが、奇跡的に秘密研究所の崩落から生き延びていた元・不死兵士素体の男により、ジンラ號は永遠の眠りに就くのだった[3]。
登場兵器
ジンラ號
| ジンラ號 | |
|---|---|
| 別名 | 百二十四式特殊装甲兵[8] |
| 身長 | 不明[8][3] |
| 体重 | 不明[8][3] |
日本陸軍の地下秘密研究所(第十一陸軍技術研究所)が太平洋戦争中に開発していた、強力な装甲を装着した不死の人造人間[7][8][3]。外観は潜水服のような全身装甲服に覆われており、耐弾性のための積層装甲により[3]、丸っこい体型となっている。ヘルメット状の頭部装甲には、双眼の丸いゴーグル状レンズがある。装甲に包まれた内部には、不死化・筋肉強化されて自我を失った兵士が存在しており、一度起動すると殺戮の限りを尽くす[7][3]。オープニングで披露される百二十四式特殊装甲兵ジンラ號のスペックは、以下の通り。
なお、“べ式”とはベルグマンMP18、MP28短機関銃を指す略称であるが、当作品でジンラ號が装備している短機関銃は作品オリジナルの架空のものである。また、名称と形状は似ているが一〇〇式機関短銃とはまったく別の火器である。
計画されていた運用法は、空襲時にジンラ號を高射砲で発射し、空中で内蔵されている爪でB-29にしがみ付かせ、そのまま到着先のサイパンやテニアンなどのB-29基地で破壊の限りを尽くしてから自爆するというものであった。
ジンラ號と戦う実験兵士の生き残りの使用兵器
上記のほか、劇中未使用だが分解された状態の二式小銃も確認できる。
帝都専守要塞「轟烈睦」
ジンラ號と共に秘密研究所で開発されていた兵器。
三角形のキャタピラと、ジンラ號の射出用の前部固定式の巨砲(72インチ)、左右に単装砲を1門備え、その後方にそびえる巨大な艦橋構造物(パゴダマスト)が特徴で、最深部には皇族用の居住区画を有している。
連合国に本土が占領された場合に備え、旗艦として皇室を奉じ、武装要塞国家として独立宣言をすると共に日本最期の砦として東京湾沿岸に配置される予定だったが、戦況の悪化に伴い、ジンラ號共々開発は断念され、破棄される。
作中では稼働することなく、最後はジンラ號の自爆によって崩壊する秘密研究所と共に全壊した。
キャスト
スタッフ
- 企画:藤原正道、濱渡剛、円谷粲
- プロデューサー:斎春雄、下飯坂一政、永井憲二
- 原案:原口智生
- 脚本:武上純希、原口智生
- 音楽:川井憲次
- 撮影:間宮庸介
- 照明:保坂芳美
- 美術:水野伸一
- 特殊撮影:桜井景一、大根田利光
- 特撮照明:林方谷
- 視覚効果:中野稔
- 記録:宍倉徳子、島貫育子
- 編集:高野隆一
- メイク:石川富美子
- スタイリスト:篠塚奈美
- 操演:根岸泉
- 特殊効果:久米攻
- 殺陣:二家本辰巳
- ガン・エフェクト:納富貴久男
- シューティング・コーディネーター:今関謙一
- キャラクターデザイン:明日蘭
- 特殊造型:松井祐一
- スチール:渡辺享
- 助監督:神園浩司
- キャスティング協力:吉田裕之
- プロデューサー補:高橋健太郎
- 制作:佐藤章夫
- 現像:東京現像所
- 監修・題字:実相寺昭雄
- 特技監督:樋口真嗣[5]
- 監督:原口智生[5]
制作
当初、原口は「大戦中の憲兵がゾンビとして復活する」という展開の『ミカドゾンビ』を構想していたが、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の影響でホラー映画へのバッシングが起きて製作中止となってしまい、ゾンビの設定を人造人間に変更して本作品を改めて製作することとなった[9][注釈 1]。かつて原口は東映Vシネマの特殊メイクに携わっており、東映からも製作のオファーがあったが、原口は東映よりも東宝のテイストで製作するべきだと考えていたことからこれを断り、オリジナルビデオレーベル立ち上げのために企画を募っていた東宝へ、円谷映像を経由して企画が持ち込まれた[9]。
原口が樋口を本作品に誘ったのは、映画『帝都物語』(1988年)での撮影がきっかけであった[11]。初めて本格的な演出を手がけた樋口は、現場をコントロールするということを想像できていなかったため、撮影がスケジュール通りに進まず、周りに多大な迷惑をかけたが、反省も含めてやれて良かったと述懐している[12]。合成用の撮影に失敗してもリテイクを行う時間がなく、合成担当の中野稔から叱責されることもあったという[12]。
博士役の伊武雅刀は、原口の初監督祝いとして出演した[9]。特別出演の森本レオは、別作品のロケで偶然近所に来ていて急遽撮影に参加したという[10]。毒蝮三太夫は、円谷プロダクションに携わってきた記録の宍倉徳子からの紹介であった[9]。
大映撮影所でのセットは、円谷映像社長の円谷粲への恩返しとして同所のスタッフが予算以上のものを作り上げた[9]。撮影には東宝スタジオ内のロケーションが多用され、キヌタ・ラボラトリーの跡地も用いられている[10]。